勝負事において勝者を自認する者は、負ける準備をしていないものだ。タイトルに手が届く可能性が低いチームであっても、だ。カタール・ワールドカップのルイス・エンリケ監督率いるスペイン代表がまさにそうだった。
2010年の南アフリカ大会で初優勝を果たして以来、今大会のコスタリカ戦(7−0)も含めてW杯で3勝しかしていない低調な実績(残りの2勝は14ブラジル大会のオーストラリア戦(3−0)と18年ロシア大会のイラン戦(1−0)、今年のバロンドールの候補に誰1人ノミネートされなかった陣容どちらを見ても、スペインには初めから不利な条件が揃っていた。
優秀な選手には事欠かない。その大半は移籍市場での人気も高い。さらに同じクラブ出身者と錯覚させるほどアカデミックな環境で育った選手が揃い、その中にはペドリ、ガビ、ニコ・ウィリアムスら将来有望な若手も少なくない。しかし、一方で大きなハンデとなって立ちはだかったのがフランスのキリアン・エムバペ、アルゼンチンのリオネル・メッシ、イングランドのハリー・ケイン、ブラジルのネイマールに匹敵するような違いを生み出すタレントの不在だ。
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ルイス・エンリケはそんな中でも準備を怠ることなく人一倍の熱意を持ってチームを指揮した。しかし実績抜群の指揮官の手腕をもってしても、結果を残すことはできなかった。
したがって、今大会スペインに突き付けられていたのは、威厳を持ってカタールにアディオスを告げるタイミングを探すことだったかもしれない。たとえば準々決勝でブラジルの前に敗退を喫するようなシナリオだ。しかしルイス・エンリケ監督はそうした現状を受け入れることを潔しとせず、選手たちとファンに楽観主義の波に乗るよう呼びかけた。
コスタリカ戦での圧勝がその機運の醸成に重要な役割を果たしたのは言うまでもない。さらに指揮官はその雰囲気作りの一環として、ストリーマーに変身し、日ごろサッカーに興味を示さないライト層の取り込みに努めた。
当初このプロットがうまく行っていたのは、アイデアが魅惑的だったからだが、同時にリスクもはらんでいた。それは偉大な選手を抱えることなく、強者の戦い方を志向し続けたことだ。全員が等しく優秀である反面、課題を矮小化することも、欠点を隠すことも、他の強豪国に比べてタレントの力で劣っていることを認めることもしなかった。
ルイス・エンリケが選んだのは、メンバー26人のうち20人がW杯デビューという若く野心的な選手たちを鍛えて、良いサッカーをすることだった。コスタリカ戦後は、その賭けが奏功するような高揚感が生まれ、かつてのオランダ代表のように、スペインの革新的なサッカーが大きな関心を集めた。
全ての歯車が狂ったのは、日本戦の敗北(1−2)だった。ドイツがコスタリカに勝利(4−2)してくれたおかげで敗退を免れたが、モロッコに敗れて(0−0[PK0−3])ルイス・エンリケスペインの挑戦は終わった。味方のGKも自軍のゴールも存在しないかのように守備時にもボールを握ることを前提とする攻撃的なサッカーも、流麗で正確なパスワークも、見る影もなかった。
ピッチ上で展開されたのは、プレーリズムも驚きもない、ただただボールを回して保持するだけの代物だった。ルイス・エンリケ監督が交代選手を投入しても、状況は変わらず、相手守備陣に跳ね返され続けた。ルイス・エンリケのゲームプランにとってモロッコはもともと相性最悪のチームだったが、さらに過酷なフェーズにはまり込んだ。1000本以上のパスを繋いで、シュート3本という数字がスペインの攻撃の単調さを物語っていた。
とにかく負け方が悪かった。大会が始まって以来、遅かれ早かれ敗北がやって来ると自覚していたアンチですらも、その事実を受け入れることができなかった。試合内容(解決不可能)、タイミング(ラウンド16)、対戦相手(モロッコ)いずれの観点から見ても、だ。もちろんルイス・エンリケと一緒にまだまだ冒険を続けることを確信していたシンパの失望の大きさは想像に難くない。
両者に違いがあるとすれば、こうした信奉者は、うわべだけの強さを強調したルイス・エンリケの行為に対し、騙されたとか裏切られたとかいった負の感情を持ち合わせていないことだ。むしろ2018年にともに歩みを始めた道のりを刺激に満ちた期間だったと受け止め、リーダーとしての責任から逃げることなく、選手を擁護し続けた指揮官のイデオロギーを支持した。
しかしやはり早期敗退の戦犯は、攻めて勝つことに固執するあまり、勝負事はいつでも負ける可能性があることを見通すことができなかった人物だ。ルイス・エンリケである。ラ・リーガは近年タレントの流出に歯止めかからず、“ラ・ロハ”は、黄金時代への強烈なノスタルジーを払拭することができずにいる。そんな中、ルイス・エンリケはモダンさと楽観的思考を唱えたが、不可避の事態を回避することはできなかった。
文●ラモン・ベサ(エル・パイス紙記者)
翻訳●下村正幸
外部リンクサッカーダイジェストWeb