ざっくり言うと
- ある双子の母親は「スキルス胃がん」により32歳という若さで亡くなった
- 母親は突然のがん告知に、気持ちが整理できていない様子だったという
- やってきた双子の娘たちに笑顔を向けたが、いつもより表情は硬かったそう
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こっちゃん(娘)が埼玉県の病院を退院し、家族4人がそろった(写真:田村建二『2冊のだいすきノート』(光文社刊)口絵より)
ステージ4の「スキルス胃がん」が発覚して、32歳の若さで亡くなったみどりさん。医師から病名が告げられたとき、双子の娘「もっちゃん」「こっちゃん」はまだ4歳でした。がんと診断され最期をむかえるまでに、夫の「こうめいさん」ら家族は何をどう選択したのか、双子の娘に残した2冊のノートはどのようにして書かれるに至ったのか――。朝日新聞の田村建二記者による著書『2冊のだいすきノート 〜32歳、がんで旅立ったママが、4歳の双子に残した笑顔と言葉〜』より一部抜粋してお届けします。
10月15日の午後2時半。前日の雨は上がり、曇り空だった。病院を訪れたこうめいさん、母えつこさん、義理の叔母たかこさんの3人は、病院3階のナースステーションの奥にある部屋に通された。テーブルをはさみ、医師と看護師と向かい合った。「ご本人の前に、ご家族に説明したい」と連絡を受けていた。もっちゃん、こっちゃんは、別室で待機。看護師が遊び相手をしていた。
こうめいさんたちは、「面談票」というタイトルの、A4判で5枚の説明文書を渡された。1枚目の下のほうに、「4型胃癌」と書かれていた。いくつかの検査の結果、いわゆる「スキルス胃がん」と呼ばれるタイプのがんだと診断されたことが、文書には記されていた。
一般的ながんは、胃や大腸などの粘膜の表面に「腫瘤」と呼ばれるこぶのような塊をつくることが多い。このため、胃がんであれば内視鏡などで見つけやすい。一方、スキルス胃がんははっきりとした腫瘤をつくらず、胃の壁を硬く厚くさせながら、粘膜の表面ではなく、内部でがんが広がっていく。このため、早期に見つけることが難しい。
一般的な胃がんは中高年層で見つかりやすく、女性よりも男性に多い。一方、スキルス胃がんは比較的若い世代でもみられ、女性の割合も一般的な胃がんより高いとされている。
発見されたときには、すでに進行していることが多いのも、スキルス胃がんの特徴の一つだ。CTなどで調べた結果、みどりさんのセキが続いていた原因は、肺にあるリンパ管にがん細胞が転移していたためだと推測された。また、おなかの中にがん細胞が散らばる「腹膜播種」も起きていた。
がんが発生した部位にとどまっていれば、手術で取り除くことで完治も可能になる。しかし、転移が起きていると、治癒させることは難しくなる。みどりさんの場合は、「末期がん」と表現されることもある「ステージ4B」という段階だった。
こうめいさんは、ただぼおっと説明を聞いていた。スキルス胃がんでステージ4? どういうこと? 説明の中身を、受け止めることができなかった。
えつこさんは、両手で顔面を押さえ、あふれる涙をなんとか止めようとしていた。本人に先立って家族に対して検査結果を説明したのは、本人以上に家族が取り乱してしまう事態を避けるためだったと、病院側からあとで聞かされた。
たかこさんは、泣き崩れるえつこさんに「大丈夫!」と声をかけ、背中をさすりながら、説明書類の文面を携帯電話のカメラで撮影していた。次の手を考えるためだった。
「あと、どのくらいなんでしょうか」
いま推定される生存期間について、こうめいさんが質問した。医師の答えは、「おそらく、1年もないかもしれません」だった。想定外だった。
あと1年で、みどりちゃんがいなくなる?
あと1年で、娘たちが母親を失う?
がんについての基礎知識がほとんどなかったこうめいさんとしては、あまり深くは考えておらず、何となく「がんだとしたら、10年はもたないかもしれない。それでも、5年くらいはきっと大丈夫だろう」というくらいの認識での質問だった。「1年」という回答は、あまりに短かった。
現実とのギャップが大きすぎて、こうめいさんは、これから先の闘病をどうしていくべきか、思いを巡らすことができなかった。みどりさんのいない家族の暮らしが想像できず、娘たちが母の死を受け入れられるのかもわからなかった。何げなく質問したことを、後悔するような気持ちだった。
午後3時、今度はみどりさんも加わった。医師はさっきと同じ説明をした。残された時間については、だれも聞かなかった。
みどりさんは何も言わず、左手で目頭を押さえながら、説明を聞いていた。右隣にいたこうめいさんが、ひざをつかむみどりさんの右手を握ると、ぐっと握り返してきた。涙をこらえて、必死に事態を受け止めようとしていた。
病室に戻ったみどりさんは、こうめいさんに向かってまた「ごめんね」と言った。病気になってしまって、申し訳ない。そんなふうに言いたいように見えた。
そのあと、みどりさんは、落ち着かない様子で、病室の中を歩き回った。2、3分だろうか。歩きながら、どこを見るでもなく、「どうして私なんだろう」、「これからどうしよう」、「なんでだろう」とつぶやいていた。突然のがん告知の衝撃に、気持ちが整理できていない様子だった。ベッドに座り込むと、しばらく言葉は出てこなかった。
やがて、もっちゃん、こっちゃんがやってきた。みどりさんは2人に笑顔を向けた。でも、表情はいつもよりも硬かった。
みどりさんの痛みは入院後も続いた。眠っていても、一晩につき2回くらいは痛みで目を覚ました。胃からの出血もじわじわと続いているとみられた。
ステージ4の胃がんの場合、一般的には、抗がん剤によって治療することが選択肢になる。しかし医師は家族に、みどりさんの状態が悪いため、「抗がん剤治療も負担が大きく、おすすめできません」と話していた。そして、「小さなお子さんもいるので、体調を整えたうえで退院し、ご自宅で過ごされるようにしてはどうですか」と提案した。積極的な治療はしない、という趣旨だった。
たかこさんとえつこさんは、医師の提案に納得できなかった。たとえ病気が治ることはかなわなくても、みどりさんになんとかして治療を受けてほしかった。
かわいい姪が、大事な娘が、ただ自宅に戻って、死が来るのを待って過ごす。そんなことは受け入れられなかった。「みーちゃんの心が壊れてしまう」。えつこさんは思った。
たかこさんは、みどりさんががんかもしれないと事前に考えてはいた。この若さでがんだとしたら、最悪の場合は膵臓がんか、スキルス胃がんかもしれない。結果は、想定していた中での最悪のケースだった。
でも、きっと助ける。そのためには、治療してくれる病院を見つけなければならない。過去に白血病を経験し、患者支援団体で活動をしているたかこさんは、医療関係者の知り合いも少なくなかった。つてをたどり、病院を探した。
いくつかの病院にあたった結果、最終的に慶應義塾大学病院が受け入れてくれることになった。治療の可能性も検討してくれるという。
こうめいさんは、どうすることがみどりさんにとって最善なのか、判断することができなかった。本人の選択に委ねるしかなかった。
みどりさんは、「転院して治療を受けたい」と望んだ。それに、この痛みを何とかしてほしかった。痛みを抑える薬の点滴をされてはいたが、効果はあまり感じず、夜は痛みでろくに眠れていなかった。この病院では十分に痛みを抑えてもらえない。そう思っていた。
「転院するので、書類をお願いします」
たかこさんは、それまでの医療記録をすぐ提供してくれるよう、病院側に依頼した。病院側は突然の転院の申し出に戸惑いつつも、対応してくれた。
17日、みどりさんは、胃からの出血を補うため輸血を受けてから、こうめいさんのクルマで病院を出発した。慶應義塾大学病院に着いたのは午後6時すぎだった。
慶應義塾大学病院の救急入り口の前にクルマを止めると、みどりさんは用意されたストレッチャーに乗り、入り口すぐ脇の処置室に入っていった。
入院の手続きを終えたこうめいさんが処置室に行くと、みどりさんは車いすに乗り、点滴バッグをつけた状態だった。看護師が車いすを押した。点滴の中身は、痛みを抑えるためのモルヒネのようだった。
中には医師がいた。医師は、こうめいさんたちに「みどりさん、いままで痛みや息苦しさでつらかったですね」と言った。そして、「まずはつらさを抑えて、体の状態を整えて、また明日、相談しましょう」と話し、その場を去っていった。院外で別の仕事が待っているようだった。
病室は、新しい建物の9階にあった。小さな子どもが来ることを考えて、個室を選んでいた。広さは、15平方メートルくらい。トイレやシャワーのほか、冷蔵庫などを備えていて、追加の簡易ベッドでもう1人、寝泊まりすることができるようになっていた。
やがて、もっちゃん、こっちゃんがやってきた。みどりさんは、以前と変わらないにっこり顔で2人を迎えた。
痛みはまだ治まっていなかったが、がんばって笑顔をつくった。もっちゃん、こっちゃんも笑った。
新しい病院に移り、これからお世話になる医師とも顔合わせができた。少し、緊張が解けたところに、大好きな2人が現れ、笑顔を見せてくれた。
この2人の笑う顔をずっと見ていたい。そして、2人には心配をかけたくない。だから自分も笑顔になってがんばろう。こうめいさんには、みどりさんがそんな決意を示しているように見えた。
こうめいさんは、病室のベッドに座る2人の目の前に行き、2人の目線と自分の顔の高さが同じになるように腰を落としたうえで、2人の背中に両腕を回し、みどりさんの転院について説明した。
「ママは病気をなおすために、がんばることを決めたんだ。だから、病院をうつることにしたんだよ。ただ、いままでよりも、病院はうちから遠くなる。だから、もっちゃん、こっちゃんに会うのはちょっと、難しくなるかもしれない。でも、ママはがんばるよ。だから、もっちゃん、こっちゃんもがんばろうね」
2人は、「うん、わかった」と言った。ただ、このときは、2人がどこまできちんと理解できているのか、こうめいさんはわからずにいた。初めての病院の個室に驚いただろうし、あわただしい一日の疲れもあって、ママのことをじっくり受け止める余裕は2人にはないように見えた。
(田村 建二 : 朝日新聞記者)
外部リンク東洋経済オンライン