2018年夏、アンドレス・イニエスタのJリーグ入りが世界的な話題となったが、フェルナンド・トーレスサガン鳥栖加入も衝撃的だった。

スペイン代表やクラブであらゆるタイトルを獲得したストライカーが、残留争い真っただ中の鳥栖へ。そのプレーは大いに注目された。

J1残留を大きく手繰り寄せるゴールなども決めたトーレス。ただ、彼の加入やパフォーマンスを、鳥栖の選手たちは実際どう見ていたのか…。

Qolyでは先日、当時サガン鳥栖でプレーしていたツエーゲン金沢FW豊田陽平に単独インタビュー。

動画第2弾では、モンテディオ山形での“恩師”との出会いや、J1で5年連続二桁得点を記録した鳥栖時代などを中心に聞いた。今回はその中でトーレスに関する部分を紹介する。

(取材日:2022年11月11日)

――(前略)豊田選手が韓国の蔚山現代FCからサガン鳥栖へ復帰された2018年夏、直後にフェルナンド・トーレス選手が鳥栖へやってきました。それを初めて聞いた時はどう思いました?

すごいなと思いました。どのくらいできるのだろうと。どれだけ違いを作れるんだろうと。あれだけ有名な選手ですから。

信じられなかったですけどね。来るとか来ないとか、本当にギリギリまで僕ら自身も、中の人間たちも分からなかったので、実際来るとなった時に「本当に来るんだ」という思いでした。

――ストライカーとして見た時、実際のフェルナンド・トーレス選手はどんな感じでしたか?

それはあまり言えないですよね(苦笑)。オフレコですよほぼほぼ。

まぁでも、聖人君子なので、本当にそこの徹底している感じはありました。第一線で戦い続けてきて、悪いところを見せられないですし、かといってまったく違う人間性かと言ったらそうではないんですけど。

やはり「フェルナンド・トーレス」という偶像というかがあって、それに反したことは絶対しないですし、教科書通りのコメントを残すと思います。

あまり多くは語らないほうがいいと思います。

――トーレス選手が鳥栖に来たことで遺したもの、鳥栖にもたらしたものはどう感じますか?

難しいですね。

サッカー界にとっては、入り口が広がったと。やはりあれだけの場数で結果を残してきた人ですし、誰しもが知っている選手が加入したということなので。

佐賀県以外の方々にもサッカーが注目されたと思いますし、色々なものがもたらされたと思います。お金が動いたと思いますし、人も動いたと思います。

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動画では他にも、キャリアにおいて大きかったモンテディオ山形への期限付き移籍や、「センターフォワードを育てることに長けた人」と語る“恩師”小林伸二監督の具体的な指導法、「戦術豊田」と揶揄されたというサガン鳥栖時代や「トヨコプター」誕生秘話、鳥栖への想いなど、たっぷり聞いているのでこちらもぜひご覧ください!