上野広小路店(東京都台東区)の外観。店先には「105円」の目玉商品が並べられている(写真:羽久ホームページより)

「ワンコインでトータルコーディネート」――。ホームページにこんな夢のようなキャッチフレーズを掲げ、値札のほとんどを105円、200円、315円で固めている激安リユース店がある。羽久(はねきゅう)とその子会社であるヴァンベールがチェーン展開する「たんぽぽハウス」だ。

現在の店舗数は東京都に12店、千葉県内に3店で、合わせて15店。このうち1号店にあたるのが東京メトロ東西線・西葛西駅南口を降りて徒歩1分のところにある西葛西店(ファッションリサイクル ヴァンベール)だ。

11月上旬の日曜日の午後に西葛西本店に行ってみた。すると、屋外のワゴンに並んでいるのは105円均一の服ばかり。数人の女性客が、ハンガーにかけられて並べられた服を素早くかき分けて品定めをしていた。

店の中に入ると、入り口近辺には子供服や雑貨が並び、奥には婦人服や紳士服がカテゴリーごとに並べられている。レジ近くには3000円のブランドネクタイなど”高額品”がガラスケースに収められている。

レジ内では、店員が大きな布袋から衣類を出して仕分け作業。雑然とした中に静かな熱気がみなぎる。この西葛西本店では11月中旬時点で1日平均230人ほどがレジを通っているという。


値札は105円、200円、315円の3つが大部分を占めている(記者撮影)

アメ横の繁華街に立地し、最大の売り上げを誇る上野広小路店では1日平均350人ほどがレジを通る。コロナショックで一時は来客が大きく落ち込んだが、コロナ前の水準へと持ち直しつつある。

出費を節約したい高齢者、子育て中の主婦など幅広い「倹約家」に愛されている人気店であり、コロナからの復元力は強かった。

この「たんぽぽハウス」を運営する羽久は1889年創業の老舗。かつて櫛(くし)・簪(かんざし)・紅(べに)・白粉(おしろい)を扱っていた小間物問屋。創業者の羽田久之助は金属製の「後れ毛留め」を考案したアイデアマン。日本橋浜町を拠点に全国に幅広く卸売していた。戦前は台湾に工場も構えていた。

そんな老舗が、なぜ古着屋チェーンへと業態転換したのだろうか。この老舗の苦闘の歴史を見ていこう。

古着のしまむら、西松屋

リユース店が利益を稼ぐために、重要なのが買値と売値の価格差。この価格差を大きくできる高額なブランド品を扱うと、販売量が少なくても確実に利益を稼ぐことができる。そのため、リユース店の多くは、客寄せのために利幅の小さい激安商品を扱ってはいるものの、事業の柱はあくまで高額品だ。

しかし、たんぽぽハウスが買い取っているのは、使い古しのノーブランド品ばかり。羽久の3代目である羽田健一郎社長は「古着屋のしまむら、西松屋のようなもの」と語る。


羽田健一郎社長は羽久の3代目。1989年、ハードオフのビジネスモデルをみて、古着屋チェーンへの業態転換を思いついた(記者撮影)

「25〜50円で買い取って105〜315円で販売するので、利益率は非常に大きい。でも、利益の絶対額は小さい。家賃、人件費、倉庫代などを考えると、相当の数を売ってはじめて利益を出すことができる」と羽田社長は言う。そこで重視するのが商品の販売点数だ。現在、全店で年間500万点ほどの商品を販売している。

たんぽぽハウスの運営は羽久とその子会社のヴァンベールが行っており、年商はそれぞれ1.8億円(2022年6月期)と2.7億円(2022年3月期)。2社を合計すると年商は4.5億円。純利益は2社あわせて1000万円だ。

2019年のピーク時には年商7.2億円までいったのだが、コロナ禍の直撃で日々の売り上げは一気に半減。多店舗展開による家賃負担の重さに耐えきれず赤字に転落。そこで浅草店など家賃の高い不採算店の店じまいを断行。2020年には4店、21年には2店閉じた。「実はコロナになる前から採算の悪い店が増えていた。まずは赤字体質から脱するために身を縮めた」。

社会貢献は「結果」

Twitterで「たんぽぽハウス」を検索してみる。すると、さまざまな客層がいることがわかる。サバイバルゲームで使う服をたんぽぽハウスで探す人もいれば、せどりのための宝探しをしている人もいる。初めて買い物をして、その品揃えと安さへの感動をつづる人も多い。

「たんぽぽハウスは常連さんに支えられている。家計の余裕がなく、たんぽぽハウスを頼りにしているお客さんが多いし、そうした人たちが増えているように思う」と羽田社長は言う。地元に出店してくれたことへの感謝の思いが綴られたハガキも届く。差し出し人が書かれていないそのハガキを、羽田社長は額に入れて飾っている。

格差社会が広がる中で、激安の古着屋はセーフティーネットの役割を果たしているのかもしれない。社会貢献を考えて事業をやっているのだろうか。そう尋ねると、言下に否定した。「会社が生き残るために必死でやっているだけ。結果として何らかの貢献になっているのであれば嬉しいけれども、そのためにやっているわけではない」。

羽田社長は1975年に慶応大学を卒業。羽久の取引先でもあった日本橋三越に就職した。ところが三越入社5年後には2代目が亡くなり急遽、家業を継ぐことになった。この頃には、かつて隆盛を極めた小間物の卸売は存亡の危機に立っていた。「集団就職で働きに来た社員も多く、僕にとっては家族のようなもの。社員の皆さんのおかげで大学に行かせてもらえたのだから、絶対に会社を潰すことはできなかった」。

そこで、チェーンストア研究団体ペガサスクラブの勉強会に参加するなどして再建の道を探った。台湾などで安く作らせたファッション雑貨をディスカウント店に卸す事業が当たって年商10億円規模まで息を吹き返したこともあった。

しかし、1987年に「100円SHOP ダイソー」が登場。「100円ショップ」が大ブームとなり、息の根を止められてしまう。

問屋ではなく小売、新品ではなく中古

そんな窮地の中で出合いがあった。「ハードオフのFCを始めた静岡県の知り合いからどうしても来てほしい、どうしても話を聞いてほしい、と誘われた。おそらく夜の宴会で座持ちさせるために呼んだんだと思う。でもハードオフの事業について聞いているうちにピンと閃いた。これは古着でもやっていけるかもしれないと」。1989年のことである。

さっそく、母親が経営していたファッション小売店、西葛西のヴァンベールで古着の販売を始めた。パートで働いている女性に洗濯をした古着を持ってきてもらい、売り値の3分の1の価格で買い取って、それを店の外に並べてみたのだ。そうしたところしっかり売れた。

1989年といえばダイエー、ジャスコ(現イオン)の安売り競争が過熱していた時期。「小間物の卸売は厳しい。かといって小売でも大資本には勝てない。古着販売で行くしかないと決めた」。


古着の仕分けと値付けをする羽田社長(左)。商品の保管には、写真奥に積まれているような海苔用の段ボール箱を使っている。丈夫で使い勝手がいいそうだ(記者撮影)

当初は、店の外で始めた古着販売。徐々に店内の売り場を増やしていき、古着専門店へと姿を変えていった。この西葛西本店を起点に、パート社員の通勤に便利な東西線沿線で多店舗展開を進めていった。

ちなみに、なぜ第1号店だけが「ヴァンベール」で、その他の店は「たんぽぽハウス」なのだろうか。羽田社長いわく、もともとの店名で多店舗展開を進めようとしたのだが、ヴァンベールだと高齢者には読みにくい。そこで読みやすさを重視して、店名を変えた。

コロナでいったん大きな壁にぶつかったが、短期間で赤字から脱却できた。そこで新たな出店戦略を進めている。ショッピングセンター内での出店だ。

コロナ後はショッピングセンターに出店

21年3月にオープンした千葉・プラッツ五香店、21年4月にオープンした東京・西友東陽町店は、いずれも路面店ではなく、施設内の店舗。空きスペースが多くなった郊外のショッピングセンターを再生させる起爆剤として、たんぽぽハウスの集客力が期待されており、いろいろなところから声がかかるのだという。


五香店の様子(写真:羽久ホームページより)

「五香店はこれまでで最大の店舗で100坪もある。ショッピングセンターはテナントを入れるのに苦労しており、家賃がだいぶ下がっている。出店を拡大させるチャンスが来ている」と意気込む。「ただし、まだ採算が良くない。100坪店を多店舗展開するためには、まだまだ磨き上げていかないといけない」。

店舗を増やすために必要なのが、まずは人材の育成。「天才的なパート社員の皆さんのおかげで成り立っている。オンザジョブでそのノウハウを新しいパート社員に教えていくので、1店1店ずつ丁寧に出店していきたい」。

物流倉庫の効率化も課題だ。現在、買い取った服を保管しておく倉庫は複数箇所に散在している。手作業で海苔箱に入れて保管しているのだが、いずれは1カ所にまとめて効率化を図りたい。まとめることにより買い取りだけでなくアパレルから流れてくる新品の型落ち品の取り扱いを増やすこともできるようになる。商品が増えれば、さらなる店舗増にも弾みがつく。成長のスパイラルが回転を始める。

羽田社長の事業意欲は広がる。「しかし、それを進めるのは僕の代ではない。社員の中から後継者をみつけていきたい」。

毎日のように、羽田社長は前掛けをつけて、日本橋浜町の本社で古着の仕分けと値付け作業をしている。ここで扱っているのは、上野広小路店で販売する衣類の一部。「社長が働かないと社員に働けとはいえない。遊んでいる暇はありませんよ」。

祖父が創業した羽久、母が大事にしていたヴァンベールというのれんは、業態をすっかり変え、いわばリユースされながら、次の世代へとバトンタッチされようとしている。

(山田 俊浩 : 東洋経済 記者)