『週刊少年ジャンプ』とともに青春を過ごした世代だけではなく幅広い世代に愛されてやまない理由を探ります(東洋経済オンライン編集部撮影)

12月3日に公開を控えるアニメ映画『THE FIRST SLAM DUNK』が大きな話題を呼んでいる。

現在、30代後半以上で1990年代に『週刊少年ジャンプ』の愛読者だった男性読者には説明不要だろう。湘北高校バスケットボール部を舞台にバスケットマン・桜木花道の成長やチームの快進撃を描いた漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」が最新技術で蘇るのだ。

原作者の井上雄彦氏が監督・脚本を担当するのもあってか、心待ちにしているファンも多いはずだ。週刊少年ジャンプでの連載が1990年から1996年で、連載終了から実に26年も経っている。

映画公開に先駆けて、今年11月8日に集英社ムックから発売された「『SLUM DUNK』ジャンプ」は、Amazon売れ筋ランキングの上位をひた走り、全国の書店・コンビニなどに届けられた。往年のファンも、連載当時を知らない若い世代も興味津々である。

長い時を経ても、『SLAM DUNK』がこれほどまでに愛されてやまないのはなぜだろうか?キャラクター、ストーリー、テーマといった面から考えていきたい。

(※ここから先はネタバレを含みますのでご注意ください)

魅力あふれるキャラクターたち

スラムダンクを語るうえでは、やはりキャラクターという視点が大切になるだろう。伝説的に語り継がれるのは、主人公を含む湘北高校のメンバーが魅力的だからというのは間違いない。

以下、メンバーを確認していくと、

桜木花道(さくらぎ はなみち):主人公。高校入学後、赤木晴子に惚れたことがきっかけでバスケを始める。
赤木晴子(あかぎ はるこ):ヒロイン。バスケ部の流川に想いを寄せている。
赤木剛憲(あかぎ たけのり):バスケ部主将。赤木晴子の兄。
流川 楓(るかわ かえで):桜木と同じ1年。中学時代からスタープレイヤー。
三井 寿(みつい ひさし):中学時代は天才シューターと呼ばれたが怪我で挫折。不良となり離脱するも復帰する。
宮城リョータ(みやぎ りょーた):小柄だが運動神経抜群。マネジャーの彩子に想いを寄せている。
木暮公延(こぐれ きみのぶ):バスケ部副主将。赤木とは中学時代からのチームメイト。花道のよき理解者。
安西光義(あんざい みつよし):湘北バスケ部監督。かつては鬼コーチと呼ばれたが、今は仏の安西と言われている。

安西先生とヒロインの赤木晴子を除いた6人がコートに立つ湘北チームになるわけだが、ここでキャラクターとしての役割に目を向けてみたい。

7月18日配信の「『SPY×FAMILY』がここまで人気を呼ぶ納得の訳」でも書いたが、キャラクターの魅力は、期待に応えるほど高まる。

スラムダンクでは、個性的なメンバーが見事に自分の役割を全うしていると言えるが、それを具体的に見ていこう。

『SLAM DUNK』のキャラクターは主役級揃い

私は、キャラクターを「主体」「客体(主体の行為対象)」「敵対者」「協力者」「援助者」「犠牲者」「いたずら者(トリックスターと同義。味方になったり敵になったりする)」の7つに分類して考察している。スラムダンクにあてはめれば、下記のようになる。

「主体」桜木。いわゆる主人公。
「客体」晴子(ラブストーリー軸の対象)、赤木(バスケ軸の対象。全国に連れていってあげたい)
「敵対者」流川(ライバル)→インターハイが始まってからは相手高校の面々
「協力者」木暮、元々の不良仲間たち(精神的な支え)
「援助者」安西先生
「犠牲者」(怪我した時の赤木)
「いたずら者」三井(敵対者からの協力へのスライド)

キャラクターの魅力が「期待に応えるほど高まる」というのは、つまり敵対者は主体に対して、大きな壁になればなるほどキャラクターとしての魅力が高まるということだ。同様に協力者であれば、協力すればするほどキャラクターの魅力が高まる。

キャラクターの魅力というと、見た目の容姿や能力の高さなどで決まると思いがちだが、大切なのは物語の中でどのような役割を果たしたかだ。あるいは、その役割をどれほど貫き通しているかにもよる。だからこそ、能力や容姿が優れているわけではないキャラクター、あるいは敵対者に対しても、時に魅力を感じたり、感動したりすることがあるのだ。

スラムダンクは主体である桜木が、次々と現れるライバル(敵対者)にどう立ち向かっていくのかが毎話の見どころだ。たいていは、ライバル(敵対者)として出てきてぶつかり合い、桜木は追いついていく。個性と才能を持った「敵対者(ライバル)」が次々と登場することがスラムダンクの魅力を支えていると言えるだろう。

2021年12月25日配信の「煉獄さんにやたらと魅力を感じてしまう納得の訳」で解説した『鬼滅の刃』の煉獄さんに代表されるように「援助者」が作品全体の特徴と言える。『SPYxFAMILY』で言えば、アーニャに代表される「いたずら者」(のもつ二面性)がその物語の魅力を象徴している。それがスラムダンクの場合は「敵対者」なのだ。

もちろん、優れた作品は往々にして「敵対者」の魅力が高い。これは1990年代の週刊少年ジャンプのヒット作全体に言えることでもあろう。しかしスラムダンクほど、敵対者たちが憎々しくないのも珍しいのではないか。最後の対戦相手である山王高校は少し異なるが、陵南や海南大附属など、主役にもなれそうなキャラばかりである。

湘北と同じように、それぞれの高校において素敵な先輩後輩関係があり、ライバル校にはライバル校の物語があると思える。スラムダンクに出てくるライバルたちは、敵対者でありつつ、1つの物語を共に作る協力者でもある。視点が変われば、陵南や海南大附属も主人公になりうるのだ。そのフラクタル(相似的)な広がりが、見ていてうれしくなるし、スラムダンクの世界観の特徴と言えるだろう。

『SLAM DUNK』では挫折こそが美しい

スラムダンクのストーリーとしての魅力は、単に桜木花道が天才的に活躍することだけではない。周りのキャラクターもそれぞれの役割を果たし、誰一人無駄なキャラクターがいないこと。そして時には勝負に負けたとしても、勝利や敗北を越えたものの美しさを描いていることが最大の魅力と言える。

読者の記憶に残っているのも、単にミラクルプレイが炸裂した瞬間や、勝負に勝った瞬間でなく、悔し涙の美しさや、長い時を経て報われる瞬間ではないだろうか。

例えば、単行本8巻の#71で三井が「バスケをしたいです」と泣くシーン。あるいは、15巻の#131で試合に負けた直後、コートで桜木が男泣きをするシーン。そういった敗北や挫折の瞬間が美しく描かれたシーンがスラムダンクにはたくさんある。

個人的に好きなのは、29巻の#252の安西先生のシーンだ。桜木の活躍を見ながら「見てるか谷沢……お前を超える逸材がここにいるのだ……!!」とつぶやく1コマがある。かつて鬼コーチと呼ばれた安西先生が、それゆえ失ったもの、自分が間違っていたのかと問い続けた、積年の思いが昇華される瞬間だ。

そうやって勝利の瞬間だけにカタルシスがあるのではなく、もがいている最中や負けた瞬間にも感動があるのがスラムダンクの魅力と言えるだろう。

同様にコートの外から主人公たちを見守る視線にもわれわれは感情移入できる。晴子やマネジャーの彩子、あるいは桜木の不良仲間たちだ。私は水戸洋平というサブリーダー格の男が特に好きだ。彼が単なる取り巻きではなく、凛とした存在として描かれ、遠くから花道の成長を見守っている姿はとても印象に残っている。

そしてもう1人、スーパースター揃いの湘北高校の中で、強く「共感」を感じるキャラクターといえば木暮公延だろう。スター揃いの湘北の中にあって、彼が活躍した瞬間は自分のことのようにうれしかった。それが21巻#183の「メガネ君」というエピソードだ。

スラムダンクファンの中で、この話をいちばん好きなエピソードに挙げる人は少なくない。才能はないかもしれない、目立った個性もないかもしれない、けれどそんな彼が大舞台のここぞという場面で、大切なシュートを決めるシーンに涙した人は多いだろう。

桜木花道は成長と共に目的が変わっていく

『SLAM DUNK(スラムダンク)』のストーリーは、「メンバーが揃うまで」と「メンバーが揃ってから」に分けることができる。

その境目は、8巻のラスト71話で、バスケ部を離れ不良となっていた三井が「バスケがしたいです」と戻ってくるところだろう。ここでようやく湘北チームが1つになり、チーム内の対立ではなく、チームが結束して強豪校を相手に戦っていくフェーズに移る。それまでコメディー、ラブストーリー要素が強めだったのが、次第にスポーツ漫画の色が濃くなっていくのだ。

それは、桜木花道の目的がどう変化するかにも現れている。桜木は物語スタートから、

\音劼気鵑鮨兇蠍かせたい
∪音劼気鵑鮨兇蠍かせるためにバスケを始める
晴子さんを振り向かせるために流川に勝ちたい

といった変化を経る。そしていつしか、純粋にバスケを好きになり、自分だけでなく仲間のためにも勝ちたいと思うに至るのだ。

その過程で、晴子さんを振り向かせたいという目的は薄まり、桜木にとって「手段」であったバスケそのものが「目的」となり、自分自身のすべてを注ぎ込む対象となっていく。

それを象徴するのが、物語の中盤でそれまでのリーゼントを刈って丸坊主にしたことだ。インターハイ予選決勝リーグ第1試合で敗戦したことをきっかけに、それまで自分が活躍できればいいと思っていた桜木が、真にバスケットプレイヤーとしてのスタートを切る。

この転換が全31巻のうち15巻であることを考えれば、丁度折り返し地点であり、ここから桜木はラストに向かって突っ走っていくのだ。

スラムダンクは、高校進学から始まり、その夏に行われるインターハイまでのたった数カ月間を描いたものだ。これだけ伝説的なマンガでありながら、実はたった31巻という短さであったことは驚きに値する。それだけ密度が濃い証拠なのだが、物語の終わらせ方にしても、いたずらに連載を長引かせたくなかった作者の美意識が感じられる。

ただ、若くして急逝してしまった歌手の尾崎豊氏がそうであるように、完結していないことで伝説的な作品になったという意見は正しいだろうか? 全国優勝まで描かれる期待が、道半ばで幕を閉じてしまったから、私たちはまだその世界にいるのだろうか?

なぜ半年に満たない物語で終わらなければいけなかったのか

私はそうは思わない。確かに、スポーツ漫画の難しいところは、全国優勝などの目的を掲げた瞬間に、途中過程が「どうせ勝つんでしょ」と思われてしまうところにある。かといって最初のほうの敵を弱くしてもつまらないので、結果的にどんどん敵の強さがインフレ化していく、あるいは展開が強引になってしまうことが多い。

そういったマンネリを避け、半年にも満たない期間で終わったからこそ、その刹那さがいつまでも残っていると言えばそうかもしれない。けれど、道半ばで幕が下ろされたのではなく、最も大事な瞬間はきちんと描かれきった、私はそう考えている。

それを象徴するのが物語の終盤30巻の#268だ。桜木は倒れた妄想の中で「バスケットは好きですか?」と晴子に聞かれた時のことを思い出す。そして次の瞬間立ち上がり「大好きです。今度はうそじゃないっす」と答える。「今度は」という言葉に込められた、夢中になれるものがついに見つかった喜び、あの瞬間が作品のピークだったと思うのだ。

人は、全身全霊で夢中になっている人に惹かれる。私にとってスラムダンクとは、桜木花道という男が、心から夢中になれるものを見つけた物語だ。それは「努力」や「友情」や「勝利」に勝る感動を与えてくれた。桜木は好きな人を振り向かせるために始めたバスケにいつしか夢中になった。ここに自分の居場所があると思えた。何を失っても最後までやり抜こうと思えた。

1人の男が、自分が心から探していた「何か」に出会えた、スラムダンクはそんな物語ではないだろうか。

私たちも皆、そんな「何か」を探して生きているが、現実世界ではなかなか簡単には見つからない。好きなことを仕事にするどころか、本当に好きなものが何であるかを掴めている人のほうが少ないだろう。

最初は図体がでかくケンカが強いだけの主人公が、いつしかバスケのことだけを考えて一心不乱に努力し続ける姿に、居ても立っても居られなくなった読者は多いのではないか。

桜木花道がバスケに出合ったように、自分も夢中になり続けられる何かを見つけたい、それに向かって走り続ける勇気を、スラムダンクは時を超えて私たちに与え続けてくれるのだ。

(たちばな やすひと : プロデューサー)