(写真:Rhetorica/PIXTA)

アロマセラピーとは、植物から抽出した精油(エッセンシャルオイル、以下アロマ)の香り成分が神経、細胞などに働きかけ、さまざまな作用をもたらすことを利用した自然療法です。日本では長らくリラックスやストレス解消などのセルフケアを目的として楽しむ人が中心でしたが、近年、医療や介護の分野での活用に注目が集まっています。

もの忘れよりも「におい」が先

認知症予防の第一人者である鳥取大学医学部の浦上克哉氏により、アロマセラピーの認知症への有用性が広く知られるようになりました。浦上氏の行った研究は、嗅神経を刺激することで認知機能(理解力や判断力)の低下予防・改善を目指すというものです。

アロマセラピストとして私もよく「どのアロマを使えば、認知症を予防できるのですか?」という質問を受けることがありますが、アロマの成分そのものに認知症への直接的な効果があるわけではなく、「期待できるのは、植物それぞれが持つ作用を活かし、感情の状態を整える効果」とお答えしています。

アルツハイマー病はアミロイドベータというタンパクが脳に蓄積し、脳の神経細胞が破壊されることで発症すると考えられています。このとき最初にダメージを受けるのがにおいを感じる嗅神経です。ダメージは嗅神経と直結する海馬にも広がり、記憶障害が起こります。実際、認知症患者の7割を占めるアルツハイマー病や、女性よりも男性に多いレビー小体病では、健常な高齢者よりも嗅覚が低下していることがわかっています。

しかし、幸いなことに脳の神経細胞の多くが再生できないなかで、嗅神経と海馬には再生能力があることがわかっています。とくに再生能力の高い嗅神経は、適度な刺激を与えることによって神経細胞が再生するうえ、海馬や周辺の神経細胞の働きも良くなっていきます。嗅覚を働かせることで、脳の活性化を促すことができるというわけです。

植物本来の作用を活かして嗅神経をやわらかく継続的に刺激することができるアロマは、嗅神経に与える刺激として適しているといわれています。

アロマの効果は、記憶障害の改善にとどまりません。認知症と聞くと、もの忘れをイメージする方が多いと思いますが、集中力や判断力の低下なども起こり、日常生活や人間関係にも大きな影響を及ぼします。

私が代表理事を務めている一般財団法人日本アロマ療法創造機構と、認知症ケアラボラトリーおれんじしっぷは現在、10カ所以上の介護施設で、介護現場で起こる困りごと(暴言・暴力・拒否・徘徊・抑うつ・無気力などの症状)の程度と頻度をアロマの使用前・使用後で比較する検証を行っています。

怒る回数が減った80歳の患者さん

80歳のアルツハイマー病の患者さんは、イライラ、そわそわされることが多かったのですが、この方のイラ立ちの原因を観察し、“生活のリズムが乱れたことによる慢性的な疲労感や倦怠感がイライラの原因ではないか”と見立てました。

そこで、アロマを染み込ませたシールを胸元(肌着の上や衣類の裏側など)に貼り、1カ月様子を見ました。使ったアロマは朝は刺激を与えるローズマリーカンファーとレモン、夜はリラックスできる真正ラベンダーとスイートオレンジです。これは、“交感神経と副交感神経の働きを促進させて、覚醒と睡眠のリズムにメリハリをつけることによって体調が整い、感情が快適な状態になり、負の感情を引き起こす行動が減らせるのではないか”という仮説に基づいて選んだものです。

すると患者さんは穏やかになり、それまで1日に5、6回怒っていたのが、1回程度にまで減りました。さらに興味深いことに、その後、再びシールなしで1カ月間過ごしていただいたところ、怒る回数が検証前に戻ってしまいました。

今回の検証で確認できたのは、“快の刺激によって望ましい行動が引き出される効果”と、“快の刺激がなくなることで望ましくない行動が再開してしまうという現象”でした。香りによって体調と感情を整えるアプローチは継続的に行う必要があるものの、一時的ないやしの効果を超えて、望ましい行動を作り出す影響力があることを確認できたのです。

このようにアロマで心の状態を整えると、イライラなどの症状が落ち着くことを日々、実感していますが、最大の効果は患者さんの症状が緩和されることで、介護する家族やスタッフの負担が減ることだと思っています。私が介護の現場で検証を続ける理由もそこにあります。

認知症に関しては、発症を遅らせたり、症状の進行を緩やかにしたりする、いわゆる二次的な予防について研究が進んでいます。そのなかで、適度な運動やバランスのよい食事、良質な睡眠、余暇活動などが重要であることがわかってきています。

このうち筆者がとくに注目しているのが、睡眠の質の向上です。

睡眠時間が短い人や睡眠の質が悪い人は、アルツハイマー病の原因物質とされるアミロイドベータが脳に蓄積されやすいため、発症リスクが高まることが指摘されています。ところが、アロマの香りが視床下部に直接働きかけると、自律神経のバランスが整って副交感神経が優位になるため、安眠できるようになることが増えるようです。

ほかにも、気分が落ち込んだり、ゆううつになったりする状態をコントロールすることで、認知症を予防できることがわかっています。

前述した介護施設では、抑うつ状態の患者さんにも検証を行っています。転んで骨折し、車いす生活になった89歳の方がいました。「もう死んだほうがいい」とおっしゃるなど、生きる意欲が低下し、声まで小さくなっていました。そこで、前述したアロマのシールを1カ月貼ってもらったところ、車いすに座ったままの居眠りが減り、声のボリュームも大きくなるという変化が見られました。

このように、認知症のリスクを減らすという点でも、アロマセラピーが役立つ場面が多いのです。その人の症状や目的に合わせて使用できるのも利点です。

アロマセラピーを習慣化させよう

認知症は20年、30年かけてゆっくりと進行していくことがわかっています。65歳以上で発症する人が多いことを考えると、40〜50代から対策を始めても早すぎることはありません。

長く続けていくことを考えると、無理なく自然に習慣として取り入れられることがポイントとなります。そういう意味でも嗅覚から刺激を取り入れるだけのアロマセラピーは適しているのです。

先のアルツハイマー病の患者さん同様、毎朝、毎晩の同じ時間帯に効果の異なるアロマを使ってアロマセラピーを行うのがおすすめです。選ぶアロマは、朝は頭がすっきりクリアになるハッカ(猫がいる家庭にはNG)を。夜はベルガモットやスイートオレンジ、真正ラベンダー、ホーリーフ、マグノリアなどの香りが適しています。カモミール・ローマンも中枢神経を穏やかにしてくれます。

選ぶ際に注意していただきたいのは、芳香成分100%のピュアなアロマを使用するということです。合成香料で作ったアロマオイルも多数市販されていますが、同じような香りでも、本来の効果・効能が得られないだけでなく、健康の面からも長期的な使用には適しません。専門知識を持ったスタッフがいる店で購入することも、アロマセラピーを生活に取り入れていくうえで重要なポイントです。

参考文献:浦上克哉『アロマの香りが認知症を予防・改善する』(宝島社)

(池端 美和 : 株式会社MIWAIKEHATA代表取締役、一般財団法人日本アロマ療法創造機構代表理事、武庫川女子大学薬学部非常勤講師)