荒木雅博は「たとえ福留が獲れても4位で獲りましょうという話に」

 1987年から1991年までの中日・星野1次政権下で監督付広報を務めた早川実氏は、闘将退任とともにスカウトになった。星野2次政権がスタートする1995年オフまで務め、新体制で1軍投手コーチに就任したが、同年のドラフト会議にはスカウトとして出席した。復帰したばかりの星野監督がご執心だったのが、PL学園(大阪)の福留孝介。だが、くじで逃して不機嫌に。そのときのドラフト1位・荒木雅博(現中日内野守備走塁コーチ)が早川氏の担当だった。

 早川氏は1993年から九州地区担当スカウトとなり、1995年の熊本工の遊撃手・荒木をマークしていた。「派手なプレーはないし、広範囲の守備力があるわけでもない。でも自分の守備範囲は確実にアウトにできた。それと足がちょっと速かった。そういう選手でしたね」。星野監督は「ショートが欲しい」と熱望。狙いはその年の目玉、PL学園の遊撃手・福留だったが「たとえ福留が獲れても荒木も4位で獲りましょうという話になっていた」という。

 福留を巡って7球団によるくじは近鉄が引き当て、中日は外れ1位で東海大相模の原俊介捕手を指名したが、巨人に持っていかれた。「星野監督は福留を外した段階で頭に血が上り『もうええわ、誰でもええわ、お前らで決めろ』って円卓から去ろうとした。1位が決まるまではダメですよって止めたくらい。そんな状況での外れの外れだったので……」。そして早川氏と中田宗男スカウトが出した結論が「ショートがほしいって言っていたんだから、荒木でいきましょう」だった。

 星野監督が投げやりになっただけに見えるが、実際はスカウトを信頼しているからこそできたことでもある。もっとも、ドラフトから数日後、地元名古屋のテレビ番組に荒木が指揮官とともに生出演したときのこと。アナウンサーが闘将に「荒木選手のどういうところがいいですか」と質問すると「俺は知らんわ! 早川に聞いてみろ!」。当然のごとく、まだ高校生の荒木は固まっていたというが……。

荒木にお願い…契約金は「『6000万円でいいです』と言ってくれ」

 さらに契約金問題でこんな裏話も。「当初、4位で契約金3000万円くらいを予定していたのが、1位。会社は『それにふさわしいお金は用意しますよ』って言ってきたけど……」。それでも他球団1位よりは安い金額だった。マスコミに示した推定金額は6000万円。同じ年に熊本工から松本輝投手がダイエーに2位指名されたが、こちらは8000万円ともいわれていた。そこで早川氏は荒木にこう提案した。

「報道陣に囲まれたとき『球団からはもうちょっとくれると言われましたが、僕はそんな選手じゃないから6000万円でいいですって言いました。入ってから頑張ります』と言ってくれ」と……。荒木はその通りにコメント。これが大成功だったという。

「今の世の中に、こんなきれいな考えを持っているやつがいるって、すごい褒められた。まぁ、それが狙いだったんだけどね」と早川氏は明かす。「いまだに荒木は言いますよ。あれはすごかったですね、自分が好感度を持たれたのは、あの作戦が、ってね」

 2017年に荒木は通算2000安打を達成したが、早川氏は「最初の5年間で15安打しか打ってなかった。普通ならクビですよ。だけど星野さんは使ってくれた。たぶん俺が獲ってきたからだと思う。そういう人なんです、あの人は……」。偉業の日、楽天副会長だった星野さんは涙を流しながら荒木に花束を渡した。今でもそのシーンが目に浮かぶという早川氏は、楽天スカウト時代の話もしはじめた。ケンカもやむなし。強引に進めたあのときのことを……。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)