星野監督は「落合を名指しで叱責したことも、2、3回はあった」

 星野仙一監督と落合博満内野手の間には、微妙な空気が流れていた。1986年オフにロッテとの世紀のトレードで、牛島和彦投手ら4選手を放出してまで中日が獲得した3冠男。入団会見での落合の「男が男に惚れた」という指揮官への言葉は有名だったが、それも時の経過とともに……。絶えず闘将のそばにいた早川実氏が、その関係を振り返るとともに、中日がセ・リーグ優勝を果たした1988年シーズンの涙のエピソードを明かした。【山口真司】

 第1次政権(1987年〜1991年)での星野監督は、ひとたび怒りのスイッチが入ると、簡単には収まらなかった。すさまじい世界だったといってもいい。試合後のミーティングもそうだった。大声や物音が響き渡るのは日常茶飯事。そんななか、闘将は落合に対しても容赦なかった。早川氏はいう。「落合を名指しで叱責したことも、2、3回はあったと思う」。もちろん、その数は他の選手よりは少ない方だが、特別扱いはしなかった。

「1死二、三塁で落合が犠牲フライも打てずに凡退して点が入らなかったときがあって、試合後、監督は『オチー!』って怒っていた。『ヒットを打てとは言わん。お前だったら、簡単に外野フライくらいは打てるだろ! どういう気持ちでやっているんだ』ってね」。闘将はその時の落合の打撃内容が気に入らなかった。「なんで振り回すんだ、犠牲フライ以上のものを狙っているんじゃないか、と感じ取ったみたいだった」。

 そのとき、落合は星野監督の怒声にも表情ひとつ変えなかったという。「黙ってじーっとしているわけ。普通だったら監督は『こっちに来い!』ってなるんだけど、それはそこで終わっていたけどね」と早川氏は話す。「2人は犬猿と言われていたけど、星野さんは『俺とあいつは監督と選手だぞ!』って。そのスタンスでしたね」と付け加えた。怒る星野、黙る落合。それが基本的な構図だった。

就任2年目の1988年にリーグ制覇も…日本シリーズでは西武に力負け

 そんな闘将に関して、早川氏には忘れられない出来事がある。1988年、中日は星野体制になって2年目のシーズンでセ・リーグを制覇した。そこにたどり着くまでには、怒ったり、蹴ったり、走ったり、いろんなことがあったが、すべてを超える一瞬だったという。ナゴヤ球場で清原和博に特大アーチを打たれるなど1勝4敗で西武に敗れた日本シリーズ。敵地・西武球場での第5戦に6-7で負けて終わったが、その後の話だ。

 球場では敵将・森祇晶監督の胴上げシーンを「目に焼きつけとけ!」と選手に指示した星野監督だったが、東京・立川の宿舎に戻って、その姿は豹変した。「いつもはなんだかんだとあるんだけど、そのときは、もういいぞ、お疲れさんって」。そしてスタッフだけになったときに、ことは起きた。いきなり闘将が涙を流しながら土下座したのだ。「『みんなようやってくれた。ありがとう。勝てなかったのは俺の責任。申し訳ない』ってね。みんなびっくりしてましたよ」。

 その年、星野監督に仕えたコーチは木俣達彦総合コーチら、ほとんどが年上。「コーチに対して『何教えているんや!』とかガンガン言ってきましたからね。そんなこともあったんだと思いますよ」。怒ったら怖いけど、本当は優しい、すごく優しい。これは闘将を知っている人の共通の意見だ。忘れられるわけがないが、早川氏にはそんな星野監督の教え子たちのなかで、とりわけ印象深い選手がいる。その彼は、バケツを持たされて立たされていた……。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)