予定が入っていない時間はあるか?(写真:Kazpon / PIXTA)

スケジュールに空白があると、なんだか仕事をしていないように思え、ついつい予定で埋め尽くしてしまう現代人。毎日「やること」でびっしり埋め尽くされ、時間に追われてバリバリ働いている人は、確かに「一見、できる人」っぽく見える。でも「本当に、できる人」、つまり、生産性高く創造的な仕事をしている人は、実は予定と予定の間に「空白(ホワイトスペース)」を入れていることが多い。その意図は何か? 『WHAITE SPACE ホワイトスペース 仕事も人生もうまくいく空白時間術』(東洋経済新報社刊/ジュリエット・ファント著/三輪美矢子訳)から、その秘密を紹介する。

燃え上がるために必要なもの

私は火の熾し方を知らない子どもだった。マンハッタンで育つのに必須のスキルではないから。エレベーターで階から階へと移りながら「トリック・オア・トリート」をする(そしてお菓子をもらう)方法なら覚えたし、《レイズ・ピザ》のスライスを上手に折りたたんで、ギトギトの脂を紙ナプキンに落としながら食べるコツも3歳になるまでに身につけた。けれどアパート暮らしの子どもは、何か特別にまずいことでも起きないかぎり、火の熾し方は学ばない。


それから月日は流れ……3人の子の母となってからのこと。私は夫と息子たちと、ロサンゼルスの自宅からそう遠くないビッグ・ベア湖のほとりの山小屋へ向かっていた。山小屋は、わざわざ車を走らせる甲斐があるものだった。美しい木立に囲まれた場所で、巨大な窓があり、幅の広い重厚な石造りの暖炉が火をつけられるのを待っていた。

暖炉があると知った息子たちは興奮して飛び跳ねていた。ただあいにく薪はなく、燃やす知識もない。夫は町に出かけている。

湖畔のロッジの、ドイリーが敷かれた丸テーブルにこんなお知らせが置いてあった。

「薪のご入り用は×××まで! 10分以内にお届けします」

その場で携帯電話を取り出してメッセージを送ると、まるですぐそこの角で待っていたかのようなすばやさでチャーリーがやってきた。チャーリーは、私とまわりで歌いながら飛び跳ねている息子たちに、火を熾すときは燃料を重ねて置くとやりやすい、と教えてくれた。まず小さな紙を敷き、乾いた松葉を火格子に乗せて着火剤をいくつか置くと、早く火がつく針葉樹とゆっくり燃える広葉樹の2種類の薪をその上に積む。

ところが彼は、1つ重要な燃料について言い忘れていた。空間だ。

夫が戻るまでの20分間、私たちは手に入るかぎりの可燃物を隙間なくきっちり積み上げ、マッチを投げ込んでは火を熾せずにいた。

夫は焦げた薪の小山に目をやると、くしゃくしゃになった紙マッチを私の手からそっと抜き取り、燃料を積み直し始めた。松葉をふんわりと盛り、着火剤を互い違いに並べ、薪をティピ型(三角錐のテントの形)に組んで、火を熾すのに必要な空気の通り道を完璧に作ってみせた。するとどうだろう、たった1本のマッチで、薪は豪快な音を立て始めた。息子たちはマシュマロを1袋まるまる焼き、私は貴重な学びを得た。

火になくてはならないもの、それは、可燃物のあいだの空間(スペース)であると。

「空白」が見当たらない毎日の仕事

炎が着火し、燃え続けるためにはスペースが必要だ。けれど私たちはこの自然の法則を、暖炉以外の人生のあらゆる場面、とりわけ仕事の場面で忘れてしまっている。

スケジュールはテトリスのゲーム終了寸前さながらに積み上がり、もはや頭の中だけに収まりきれず、何十もの用足らずのメモアプリにあふれ出ている。火を燃え立たせるための酸素はどこにもない。マッチというマッチを擦り、能力を限界まで引き出そうと必死だが、良い仕事をするのに必要なのはマッチよりもむしろ、ほんの少しの息つく余裕なのである。

スペースがなければ、私たちはやっていけない。不眠不休でまともな仕事ができるはずがない。市場の流れを変える画期的なアイデアも、それによって受けられるはずの栄誉も、忙しさに阻まれて手にしそびれている。日常のふとした隙間に生まれる偶然やひらめきなどの人間らしい瞬間も、その隙間自体がないために逃している。

「もっとやろう」と自分を追い立てるうち、私たちは、かつて1日のバッファーとなっていた自由で柔軟な時間を失ってしまっているのだ。

自由な時間を失った結果、現代人は偽りの生産性に浮かされて日々猛進し、その仕事を本当にすべきかどうかもわからないまま脅迫的にリストを消化している。余計な時間は1秒だって余ってはいない。それどころか、ほとんどの時間はダブルブッキングだ。緊急性という暴君により、現代人はあらゆる形の日々のプレッシャーやストレスにさらされ、しかも問題を解消する時間すら見つけられずにいる。

悲しいかな、私たちはあまりに忙しすぎて、その忙しさから抜け出すことができない。寝つけない深夜の布団の中だけが、その日唯一の予定が入っていない、考えにふける時間を授けてくれる。

注意経済(アテンションエコノミー)のローラーコースターに乗っている私たちは、かつてないほど時間に追われて息苦しさを覚えている。時間を奪うものの総攻撃を受けており、世界じゅうどこもかしこも、労働者は疲れきって青息吐息になっている。

そこで私が見つけた解決策が、「ホワイトスペース」と呼ばれるもの。1日の中に考える(そしてひと息つき、内省し、計画し、創造する)ための自由な時間を設ける、というアイデアだ。

名前からわかるように、この言葉は紙のカレンダーの白い未記入のスペースから思いついた。あの小さくて四角い、インク跡のないまっさらな空白が、あなたや私の1日に集中力(フロー)と心の平穏を、驚くべき創造性を加えるカギだと気づいたのである。

グラフィックデザインの世界で、ホワイトスペースはページの空白部分を意味する。セールスの世界では未開拓の市場を指す。わが社では「予定が入っていない時間」と定義している。

長いか短いか、計画的にとったか偶然空いたかはともかく、それはスケジュール外のオープンな時間であり、日々の活動を「戦略的に休む」ことで手に入る。

ホワイトスペースがこの社会に欠けていて、必要であることはいわずもがなだろう。人々が燃え尽き感に絶えず襲われているのも、本来の力を発揮できないのもホワイトスペースがないからだ。

Googleも注目する“空白時間”

自由な時間を持てると知ると、多くの人はこちらに聞こえるほど深々と安堵のため息をつく。そうやってみんなが元気になっていくのを見るのはとてもうれしい。

私はこれまで、個人的な対話や、ワークショップや、世界最大のリーダーシップイベントなどを通じて、何十万もの人々にホワイトスペースの魅力を伝えてきた。そしてアメリカ国内はもとより、ドイツやオーストラリア、遠くはルワンダからも感謝のメッセージを受け取ってきた。はるかアフリカの地でも、人々は1分間の心のゆとりを、考えにふける時間を必要としている。

いまから10年前、いくつかの企業からこの思想を広く導入するアイデアを請われたのを機に、私は仲間とホワイトスペースのコンサルティング会社を立ち上げた。以来、グーグル、P&G、ヴァンズ、セフォラ、ナイキ、スポティファイといった錚々たるブランドと仕事をしてきた。

どんな企業や組織も、働き手の火を燃やす燃料を模索しているのだ。

そしてそれは、取り戻すことができる。

ホワイトスペースを手に入れることは誰にでもできる。

まずはその時間を見つけよう。自分に許そう。毎日、ほんのわずかな時間を割くだけで、あなたは変われる。完全に止まるもよし、1秒か5秒、ちょっと立ち止まるもよし。まずはできる範囲で楽しんでやってみよう。

そしてこの先、仕事の激流に否応なくさらわれても(いずれそうなる)、ふとわれに返ると何週間もノンストップで働き続けていることに気づいても、そんな自分を認めて、許して、また一から始めよう。何度でもトライしよう。

そして、次のことを自分に問いかけよう。

1日何度立ち止まっているか?(数えてみよう)

それは時間にするとどのくらいか?(タイマーをどうぞ)

戦略的小休止をとろう。毎日。今日も。明日も。

(訳:三輪美矢子)

(ジュリエット・ファント)