膨大な取引が行われているメガバンクでは、伝票の記入ミスなどでクレームが発生することがある。メガバンク現役行員の目黒冬弥さんは「エース営業マンのミスが、事務の行員の責任になることがあった。それから営業マンからの陰湿な嫌がらせが始まった」という。実録ルポ『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)からお届けする――。(第3回)
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■エース営業マンが起こしたクレーム事件

下小岩支店で、預金担当課の課長として着任してから数カ月がすぎた。

「目黒課長、定期預金のオペレーションでミスが出ました」

午後、管理資料に目を通す私のところへ、課長代理の鈴木綾子さんが報告に来た。慌てている。

「午前中に菅平さんがお客さまを訪問し取り次いできた投信と定期預金のセット取引ですが、定期預金の金利優遇をしなければならないところ、店頭の基準金利で作成してしまいました」

菅平君は取引先課のエース営業マンだった。当時、M銀行では個人のお客が投資信託を購入すると、同じ金額分の定期預金について金利を上乗せするキャンペーンを展開していた。菅平君は1名分の投資信託と定期預金を獲得したが、伝票の記入方法を間違えたため、定期預金金利の上乗せなしで処理されてしまった。

「起きてしまったものは仕方がない。お客さまにご迷惑をおかけする前にまず修正しよう」
「いえ、通帳をこちらがチェックする前に、急ぐからと菅平さんがお客さまのところに返しに出かけてしまいました」
「チェック前に持って行ったの? まずいな。それじゃあ、すぐ菅平君の携帯に電話して……」

鈴木さんがさえぎる。

「すでにお客さまに通帳を渡してしまって、金利が優遇されていないとお客さまが気づき、クレームになっているそうです」

顧客対応はスピードが重要だ。責任の追及よりも、まずお客の立腹を治めることを優先しなければならない。菅平君の直属の上司・取引先課の薮野課長のもとに走る。

「もう遅いですよ。お客さんからのクレームでもう支店長が呼ばれてしまいました。難しいお客さんなんですよ。な〜んで預金担当課でチェックできませんでしたかね?」

薮野課長は怒りとあきらめが混ざった表情をしていた。

■「事務方が大事な客の取引をぶっ壊すなんて最低だな」

菅平君が持ってきた取引の伝票を見直した。金利優遇の際に書き込む欄が未記入で、投資信託とのセット契約であることも書かれていなかった。

伝票を受け取った預金担当課は、金利優遇をすべき取引であると認識しないまま処理をし、その通帳を菅平君が急いでお客のもとに戻してしまった。コミュニケーションの齟齬(そご)が原因だが、われわれ預金担当課からすると、担当者の記載がなければ、ミスの発見は難しい。

「これはさすがにないですよ。記載がなければ、通常の金利で定期預金を組むのが当然です。菅平さんはいっつもいい加減なんです。起こるべくして起きた事件だと思います」

課長代理の鈴木さんの言葉は、預金担当課の思いを代弁したものだった。夕刻、阿部支店長と菅平君が戻ってきた。支店長はまっすぐ支店長室に入ると音を鳴らしてドアを閉めた。ほどなくして私の机の電話が鳴る。

「すぐに支店長室に来なさい」

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行内の不穏な空気を察して、オペレーションを担当した若手女性行員が涙ぐんでいる。伝票をまとめ、支店長室に走る。顔を真っ赤にした支店長の隣に弱り顔の薮野課長、その向かいに能面のように無表情な菅平君が座っていた。

「はぁー」

阿部支店長が露骨にため息をつく。

「事務方が大事な客の取引をぶっ壊すなんて最低だな。どうしてくれるんだ?」

阿部支店長が声を荒らげることはない。腕組みをし、冷たい視線を送ってくる。

「申し訳ありません」

私が詫びると、しばらく沈黙が続く。

■「キミら、誰が稼いだ金で給料もらってんだ」

「どうしてこんなことになった?」
「原因を確認しましたところ、菅平さんがお客さまからいただいた伝票に記入漏れがありまして……」
「菅平君が悪いって言いたいのか? キミら事務だろ? 事務が確認すべきところだろう」

菅平君も口を開く。

「私は手続き内容を口頭で伝えたかと思います」

そんなはずはない。そんな重要なことを伝えられていたら、事務方はすぐに処理するはずだし、こちらが通帳のチェックをする前に急ぐからと持っていってしまったのは菅平君なのだ。

「しかし、伝票に何も表記しないというのはまずいよ……」

菅平君に向かってそう言うと支店長が大きなため息でさえぎった。

「目黒課長、この期に及んで自分の課の失態を菅平君のせいにするのか。営業は忙しいんだ。伝票に書いてなきゃ、キミが書けよ。キミら、誰が稼いだ金で給料もらってんだ。自分の管理疎漏(そろう)を棚に上げて営業のせいにして。そんなだから取引先課の課長をクビになったんだろう」

菅平君が薄笑いを浮かべているのが見えた。

■証券会社の営業手法で瞬く間に成績をあげていった

自分のデスクに戻ると、鈴木さんとオペレーションをした女性行員が不安そうな顔をして私を待っていた。

「どうでしたか?」

鈴木さんがおそるおそる聞いてきた。支店長室で何を言われたかなどとてもじゃないが伝えられない。

「大丈夫だった。伝票に問題があったことをきちんと伝えたし、菅平君も反省していたよ。支店長からもしっかり注意してもらった。みんなに責任なんてないんだから安心して」

2人はまだ疑念がぬぐえない心配げな顔でうなずいた。

菅平君は32歳、1年前にある証券会社を辞めて中途採用で入行してきた。バブル崩壊後、F銀行は採用人数を極端に減らした。とくに山一證券が破たんした1997年ごろは新卒採用をほとんどしていない。そのツケがまわってきていた。

30代半ばから40代半ばまでといった、働き盛りの年齢層が手薄だった。それを補うため、2010年代あたりから中途採用者を積極的に採用し、即戦力として活躍させるようになった。菅平君もそのひとりだった。ただ、これには弊害もあった。

M銀行では新卒者へのOJTは手厚いものの、中途採用者への教育は不親切だった。中途採用者にはすべてわかっている前提で接するところがあった。菅平君もM銀行流の教育を受けず、証券会社で培った営業手法で瞬く間に成績をあげていった。

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彼が得意としたのは個人のお客への投資信託の売り込みだった。短期間に何度も買っては売らせ、販売手数料を稼いだ。投資信託は売買時に銀行に手数料が入る。お客が儲かろうが損をしようが、関係ない。頻繁に売買すれば、その分だけ銀行の収益になるわけだ。

彼の成績が伸びると、阿部支店長の寵愛は一手に菅平君へ向かった。

■形骸化していた「内部管理」システム

「菅平はすごい。菅平のような部下がもっと欲しい。キミたちも菅平を見習え」

ことあるごとに支店長はそう口にして、彼のやり方を奨励した。ほかの行員も我先にと、彼の手法を真似し出した。禁じ手ともいえるその販売方法が、下小岩支店では半ば組織的に行われだしていた。

銀行には、コンプライアンス的に問題がある販売行為を監督する「内部管理」というシステムがある。下小岩支店では、私が内部管理責任者を担っていた。しかし、そのシステムは形骸化していた。

内部管理責任者は問題と思われる行為を見つけた場合、本部のコンプライアンス部門に報告することになっている。報告があれば、本部は是正するように支店長を注意する。つまり、本部から支店長に連絡が行った時点で、誰が報告をしたかは丸わかりになる。

自らが推奨する方法を部下が問題視したとすれば、その部下に対してどんな処遇がとられるかは火を見るよりも明らかだろう。

私は菅平君の販売手法をマズイと感じながらもコンプライアンス部門に報告する勇気はなかった。ただ一度だけ、日常会話の中で菅平君に自重を促したことはあったのだが。

■防犯カメラに映っていたのは…

ある日、私の印鑑が見当たらなくなった。銀行内の業務に印鑑は不可欠であり、ないと仕事にならない。今でこそ電子スタンプや、書類のペーパーレス化などにより、印鑑のいらない場面が増えてきたが、この当時はあらゆる書類に回覧印や決裁印を押すことが求められていた。

朝、仕事始めの最初の回覧書類に押した記憶があるから、その時点では確かにあった。ポケットの中や机まわり、あちこちと捜したが出てこない。これだけで3日間も業務が滞った。途方に暮れ、天井を見上げた。防犯カメラがある。カメラはちょうど私の机を捉えている。防犯カメラのサーバーパソコンにアクセスし、映像を再生した。映像には日付が表示されている。印鑑がなくなった当日朝の時点から見直した。

午後1時30分をまわったところで動きがあった。ロビー担当が私のところにやってきて話をしている。このことは覚えている。お客からクレームがあり、ロビー担当が私のところに相談に来たのだ。私は右手に持っていた印鑑のキャップを閉め、筆箱の中に戻し、それからロビー担当者と話しながら、席を立った。ここでは間違いなく、筆箱の中にある。

そう思ったとき、菅平君が私の席にやってきた。私の筆箱を開け、印鑑を取り出し、自分の背広の内ポケットにしまった。その間、ほんの1、2秒だろう。モノクロの映像内の菅平君の挙動を見ているうちに鼓動が激しくなり、汗がにじんできた。

現実に感じられず、何度も何度も繰り返し同じシーンを再生した。さらにその時間のほかのカメラ映像も確認してみた。すると、印鑑を内ポケットに入れた菅平君がその後、支店長室に入っていく姿が映っていた。

■「ところで、キミ、防犯カメラを見たんだってな?」

翌朝、内線で菅平君に電話をした。

「じつは私の印鑑が4日前から見当たらなくなっているんだ。それで昨夜、防犯カメラの映像を見てみたら、その日、菅平君が私の机のそばに映っていた。何か間違ってキミのところに紛れ込んだりはしていないだろうか?」

前の晩に考えた、できるだけ当たりさわりない聞き方で尋ねた。

「知りませんが」

菅平君は素っ気なくそう言った。焦っている感じもなかった。こうなったら、もう映像を一緒に見てもらうしかない。そう覚悟を決めて、「わかった」と言ってとりあえず電話を切った。その30分後、阿部支店長から内線があった。すぐに支店長室に来てくれと言う。

支店長室に入ると、テーブルに私の印鑑が置いてあった。

「菅平君が拾って届けてくれた。落ちていたそうだ」

言葉に詰まった。ここで支店長になんと説明すればいいかがわからない。そうだ、防犯カメラを見てもらおう。あそこには菅平君が私の印鑑を取った姿が映っている。それを見せて事情を説明するのだ。

「ところで、キミ、防犯カメラを見たんだってな? 誰に断って見たんだ?」

頭が真っ白になった。なぜ支店長が、私が防犯カメラを見たことを知っているのか。防犯カメラのことを知っているのなら、あそこに収録された菅平君の犯行も把握しているはずではないか。

「勝手なことをするな。キミはもう要らない。明日から来なくていい。出ていきなさい」

自分に何が起こっているのかがわからず、呆然としたまま自席に戻った。

■防犯カメラの映像は消去され、エースは課長代理に昇格した

その翌朝、出社すると私の机には取引先課の薮野課長が座っていた。彼が小さい声で言った。

「悪く思わないでくださいね。私だってこんなことしたくないんですよ」

目黒冬弥『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』(三五館シンシャ)

空いている席が見当たらず、そのまま銀行を出た。行内の誰ひとりとしてこちらを見ず、しかし全員が私を凝視しているのを感じていた。近くの公園のベンチに座って池を眺めていた。2時間ほどその場に座っていた。

しかし、私には行き場もなく、午後になって銀行に戻った。自席には戻らず、会議室に入った。支店長が退社するまで、そのまま部屋から出ることができなかった。

支店長らが帰った午後8時、再びサーバーパソコンにアクセスし、防犯カメラの映像を検索しようとした。しかし、当日分の映像はすべて消去されていた。行内で消去できる人間は、支店長しかいない。私は何が起こっているのかを悟った。

翌朝、出社すると、私の席は空いていた。取引先課の薮野課長は阿部支店長からの指示で、私への嫌がらせのために一日だけ席に着かされたのだ。彼もまた被害者だろう。

その翌月、菅平君が課長代理に昇格した。中途採用者が入行2年足らずで課長代理とは異例の出世だった。

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目黒 冬弥(めぐろ・とうや)
現役メガバンク行員
バブルの終わりごろ大手都市銀行に入行。地方都市や首都圏の支店で法人営業に携わる。紆余曲折を経て、窓口事務の管理者としてメガバンクM銀行に勤務する現役行員である。
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(現役メガバンク行員 目黒 冬弥)