今となっては昔のことですが、港区に沙羅という女が生息していました。

「今夜、食事会あるんだけどどう?」と言われれば飛び入り参加して、必死に“彼氏候補”を探したものでした。

ある日、ようやく彼氏ができて食事会に行かなくなりましたが、その彼にも…。

残念に思って2年半ぶりに港区へ近寄ってみると、そこには以前と全く別の世界が広がっていたのです。

▶︎前回:結婚に焦り、7歳下の彼を狙おうとする憐れな33歳女。男には4年も付き合っている彼女がいて…




「沙羅、彼氏と別れたんだって?だから言ったじゃない。ちゃんと働いて自立しなさいって」

1ヶ月ぶりに立ち寄った実家。狭いキッチンに立って料理している母の小言を聞き流しながら、私はぼんやりと考え込んでいた。

東京生まれ、東京育ちの私。必然的に学生時代まで、私はずっとここで暮らしてきた。

でも台東区にある実家は、ごく普通の2LDKマンション。飲食店を経営しているとはいえ、両親は古い店を守っているだけで、港区界隈にいる飲食店経営者の収益とは比べ物にもならない。

学校だって高校までは近所の公立校だったから、都心に出ることも少なかった。

だから東京に住んでいながらも、港区に憧れを抱き「彼らみたいに華やかな暮らしがしたい!」と思っていたのかもしれない。

そうやって憧れを持ち続けるのはいいけれど、時間は止まってはくれない。

20代の頃だったら「沙羅は家にいてもいいのに」と甘かった父親でさえ、最近では結婚の心配をしてくるようになった。

「他にいい人いないの?別に結婚しなくてもいいけど、ちゃんと生活できてるの?食べてる?」
「まぁ、そのうちね」

店のことを相談しようかとも思ったけれど、この日は夕方から約束があったので、私は早々に実家を後にした。

築40年の、古いマンション。滞在している間、ずっと胸がザワザワしていた。


食事会からアプリへ。“男性との出会い方”に、変化が…


待ち合わせ場所に指定されたのは、白金のプラチナ通り沿いにある『LIKE』だった。

「こんな所にお店があったんだ…」

日中来ることはあっても、夜は意外に来ない白金台エリア。今日は食事会で出会った人ではなく、マッチングアプリで知り合った人とのデートだった。

「久しぶりにこの界隈へ来たな」と思いながら、もう一度アプリを開いて彼のプロフィールをチェックする。

29歳、IT関連の仕事をしている会社員。東京出身で、年収は1,000〜1,200万円だという。

― 素敵な出会いだといいな。

そう思いながら、お店の扉を開けた。




店内に入ると外観とはまた違った雰囲気が漂っていて、緊張してしまう。すると奥の方で、優しく手を振っている人が目に入った。

「こんばんは、陽太です」
「は、初めまして…!沙羅です」

身長も高くスラッとしているけれど、ちょっと癖っ毛なのが可愛いらしいな、というのが第一印象だった。

新・港区では、IT関連の若手が台頭していると聞いたことがある。

でも決してギラついていない。物腰も柔らかで、私もカジュアルな服装にしてきて良かったと心底思った。

「場所、すぐにわかりましたか?この店、前から気になっていて」
「初めて知りました♡下のお店はよく来るのですが…」
「そうでしたか!…とりあえず、何か飲みますか?」

陽太さんから「何を飲むか」と聞かれ、私は一瞬考える。

― 最近の流行りからいうと、シャンパンとか言わないほうがいいのかな。

そう思っていると、彼は早々に「僕、白ワインからいってもいいかな?」と笑顔を向けてきた。

「もちろんです!私も白ワイン、ご一緒します」

こうして、私たちは心地よい雰囲気の中で小さく乾杯をした。




実は、マッチングアプリで誰かに会うのは初めてだった。

恥ずかしい話だけれど、多いときは1日2回も食事会に参加していたし、アプリなんかに頼らなくても出会いはあると思い込んでいたから。

けれども時代は変わり、今やマッチングアプリをやるなんて当たり前のこと。

私よりうんと年上の知り合いも、マッチング相手の候補として出てきたりして、時代の移り変わりに驚いた。

「陽太さんは結構、アプリ使っているんですか?」
「そうですね。効率良いので」
「はぁ…。そうですよね」

たしかに食事会へ行くよりも、効率はかなりいい。今日はディナーだけれど、お茶などだったらサクっと終わると思う。

「沙羅さんは彼氏、いないんですか?」
「そうなんです…。先日別れたばかりで。陽太さんは?」
「僕はもう4年くらい、いないですね」
「えっ!?よ、4年…?」
「はは。気がついたらそれくらい経ってました」

陽太さんのような、いい意味でまともな男性に彼女がいないことが不思議だけれど、本人は全く気にしていないようだ。

「お食事会とかしないんですか?」
「食事会ですか?しないですね」

「そんなの当たり前です」という圧すら感じる言葉に、私は黙って白ワインを飲んだ。


「沙羅さんは今、どちらにお住まいなんですか?」
「私は広尾です。陽太さんは?」
「僕は目黒のほうです」

ひと昔前まで、六本木の有名タワマン族が幅を利かせていた港区。

でもここ数年でタワマン族は激減し、居住地も様々なエリアに分散しつつあるように思う。そして若い世代は、世田谷や渋谷エリアにも流れていっている。

「…お休みの日は、何をされているんですか?」
「週末はジムに行ったり、ランニングしたりとかですね」
「へぇ、健康的ですね」

金曜になれば浴びるほどお酒を飲み、土曜はお昼過ぎまで寝て、また夕方になればお食事会へ参加する…。なんてことは、もう誰もしていないのかと疑問に思う。

― 食事会、楽しいのにな。

でもそんなことは彼にする話でもないので、私は口を閉じた。でも、ふと陽太さんが放った言葉が胸にストンと落ちてきたのだ。




「陽太さんは、どちらのご出身なんですか?」
「僕は港区です。…そういえば沙羅さんは、どんなお仕事をされているんですか?」

そう言って、さっさと違う話をしてきた陽太さん。私はその言動に、若干驚いた。

私の周囲では「どこで生まれ育ったか」という、東京出身者の中にあるヒエラルキーを気にする人が多い。だからこういった類の話では、皆お互いの出身地について詳細を知りたがる。

でも彼は、生まれながらの港区男子。

他人に興味がないのか、余裕があるのか…。私がどこ出身であろうと、どんな家庭で育っていようと全く気にしていない様子だ。

「陽太さんって、バックグラウンドとか気にしないんですか?」

思い切って聞いてみると、彼はすごく驚いた顔をした。

「えっ、なんでですか?そんなのどうでも良くないですか?」

そのとき、圧倒的に「負けた…」と思った。




港区の煌びやかさに憧れて、人は集まってくる。でもその中心にいるのは意外にも地方出身者だったり、私のように東京出身でも違うエリアから来る人たちばかり。

生まれながらに港区にいる人には、きっとこの華やかさはただの日常であり、気にも留めないのかもしれない。

「沙羅さんは、港区に住みたいんですか?」

急に真意をつかれ、思わず声が裏返ってしまう。

「どうでしょうか。以前はすごくこだわっていましたけど、今はもうどこでもいいかなと思ってます」

これが最近の本音だった。港区は、時を忘れる竜宮城。だからこそ早く現実世界に戻る準備をしておかなければ、歳だけ取っていく。

「沙羅さん。よければもう一杯、どこかへ飲みに行きませんか?」
「も、もちろんです!」

エンドレスにシャンパンを飲ませる感じでもなければ、全くお酒を飲まないソバーキュリアスでもない。陽太さんの適度な感じが、今は心地よかった。

「ここから徒歩5分くらいのバーなんですけど…。歩けないですよね?」

彼が、チラッと私の足元を見る。今日はピンヒールを脱ぎ捨て、チャンキーヒールのブーツを履いてきた。

「全然歩けます。夜風も気持ちいいですし、歩きましょうよ」

2人で、暗くなったプラチナ通りを歩く。今までだったら、こんなに心地よい秋風を感じられることはなかったかもしれない。

「沙羅さんって、飾らない感じでいいですね」
「そうですか?ありがとうございます」

― 私も少しは、変わってきたのかな。

見上げれば、空には大きな月が浮かんでいた。

▶︎前回:結婚に焦り、7歳下の彼を狙おうとする憐れな33歳女。男には4年も付き合っている彼女がいて…

▶1話目はこちら:同棲中の彼にフラれ、婚活市場へと舞い戻った33歳女。そこで直面した残酷な現実とは

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