朝日新聞社はまるでリアル『半沢直樹』の世界!?

“朝日新聞も私も「傲慢罪」という罪に問われているのだ――”こんな印象的な書き出しから始まる、新聞業界を代表する大組織の内幕を切れ味鋭く綴ったノンフィクション『朝日新聞政治部』(講談社)が注目を集めている。5月27日の発売早々から立て続けに重版がかかり、現在は累計5刷・4万8千部を突破。さらには「2022年 Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞」へのノミネートも発表された。同書がこれほどまでに注目を集めている理由は何か。なぜ、生々しい告発を本としてまとめようと思い至ったのか。そして、現在の朝日新聞社の驚くべき内幕とは? 著者・鮫島浩氏へのインタビューを3回に分けてお届けする。

“朝日新聞も私も「傲慢罪」という罪に問われているのだ――”

こんな印象的な書き出しから始まる、新聞業界を代表する大組織の内幕を切れ味鋭く綴ったノンフィクション『朝日新聞政治部』(講談社)が注目を集めている。5月27日の発売早々から立て続けに重版がかかり、現在は累計5刷・4万8千部を突破。さらには「2022年 Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞」へのノミネートも発表された。

同書がこれほどまでに注目を集めている理由は何か。なぜ、生々しい告発を本としてまとめようと思い至ったのか。そして、現在の朝日新聞社の驚くべき内幕とは? 著者・鮫島浩氏へのインタビューを3回に分けてお届けする。

ジャーナリスト・鮫島浩氏

当初のタイトル案は『朝日新聞が死んだ日』だった

――『朝日新聞政治部』、本当に面白かったです。多彩な顔を持つノンフィクションですね。一人のサラリーマンの失敗談を綴った私小説的な趣もありますし、政治記者とはどういう仕事かを紹介するジャーナリズム論でもあります。さらには朝日新聞社という大企業をめぐる、生々しい組織の問題も実名で書かれています。これほど内容がぎっしりと詰まっているのに、意外なほどにサラッと読み通せて読後感もスッキリしている。まるで小説のようでした。

鮫島 有り難うございます。その感想は嬉しいですね。とにかく色んな要素を詰め込んだけど、僕としては「読みやすい」というのを一番追求したんですよ。一個一個のテーマ、例えば政治論だとかジャーナリズム論も深めようと思えばできるけど、やり始めるとキリがない。だからなるべく簡潔に問題提起するぐらいにしておきました。

あと、朝日新聞社を早期退職した人間なので、「恨みから書いた怨念まみれの本」という風には思われたくなかったから、なるべく読んだ後に爽快感が残るように、読み出したら止まらないような文章にすることに心を砕きました。

会社の秘密を暴くんだったら、実はもっとネタも沢山あるんですよ(笑)。でもそれだと単なる悪口本になっちゃうからね。

――後ろ向きな怨念などは感じませんでした。文章の書き方に工夫があるのでしょうか?

鮫島 読んでくださった方はわかるかもしれないんですが、小説のようにしたいと思っていたから、意識的に「印象的な風景」の描写を入れるようにしています。

例えば、冒頭に横浜中華街での出来事が出てきます。いきなり二胡の演奏があって紹興酒が運ばれてくる、というようなディテールを入れたり。あるいは朝日新聞を退社する当日に、会社に行ってふと外を眺めると、海がキラキラ輝いていたとか。

色々な波乱があったんだけど、その時の風景とか光景、色合いなどを細かく入れながら、描写的に書いていく。個々のシーンを印象付けてもらうために、僕の中に鮮明に残っている光景をそのまま書くということは、意識的にあちこちでやっていますね。

――『朝日新聞政治部』というのも、組織名そのままのシンプルなタイトルですね。

鮫島 実は当初のタイトル案は『朝日新聞が死んだ日』だったんです。だけど、「死んだ」なんていうとちょっとネガティブで怨念がましいでしょう。しかもこのインターネット時代で、「死んだ」とかネガティブな単語はどうしても拡散しづらいんですよ。

そういう戦略的なこともかなり考えて、やっぱり避けた方が良いかなと言って。そうしたら、講談社の方でこういう部署名を押し出したタイトルを考えてくれたんですね。組織名や部署名をタイトルにすると中立的で、意外と人気が出るそうなんです。日本人は組織の話が好きですから。

実は、新聞記者は文章がヘタクソである!

――元々はどういう本として書かれたんですか。

鮫島 色々な依頼があったんです。「吉田調書事件」(*)の真相を書いてくれというオファーも複数ありました。でも僕としては、やっぱり思い出すのが嫌なことなのでなかなか気乗りしなくって。

*2011年の東京電力福島第一原発事故直後に、吉田昌郎所長が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた内容を記録した公文書が「吉田調書」である。この文書を2014年5月に朝日新聞社がスクープとして取り上げた際に、「第一原発の所員が吉田所長の待機命令に違反して撤退した」との内容で掲載し、「誤報」だとのバッシング指摘を受けたのが「吉田調書事件」。木村伊量社長(当時)が謝罪会見を開き辞任し、担当記者・デスクらが処罰を受ける騒動に発展した。

一方で、自分が見たり聞いたりしたことは書き残さなきゃいけないという、ある種の義務感もありました。それでも義務感だけでは書きたくないなと思って。それならいっそのこと、自分の新聞記者人生を振り返りながら、そこから得たものを何でもさらけ出しつつ書こうかなと。

僕としては、この本は「卒業論文」のつもりなんですよね。この本をネタに今後もずっと生きていこうとは思っていないし、新聞にしがみつこうとも思っていない。新しいジャーナリズムの世界に飛び立つにあたり、自分なりのひとつの区切りとして、新聞からお別れをするという思いが一番強かったかな。

――執筆はかなり前から進めていたのでしょうか?

鮫島 朝日新聞に退職届を出したのは2021年の2月でした。そこからすぐにウェブサイト「SAMEJIMA TIMES」を立ち上げたんです。自分自身が小さなメディアになろうと思って。そして「新聞記者やめます」という連載を始めました。実際に会社を辞めるのは5月末で、あと93日あったので、毎日書いていこうということで。

本当はそれが書籍になると良いなと思ったんですけど、日々起きたことを書き連ねていたらハチャメチャになってしまった。このままでは本にならんなあと思いながら、どこかでまとめたいなと思っていたんですが、2021年は衆議院選挙があったりして忙しくて、なかなかまとめるタイミングがありませんでした。

ちょっと時間が空いちゃったので、2022年の年明けぐらいからちょうど退社1年のタイミングぐらいで本として出したいなと思って、改めて整理して書いたという流れですね。

――じゃあ、執筆期間はちょうど1年くらいで……。

鮫島 いや、実際にかかったのは1か月ぐらいでした。

――えっ、たったの1ヶ月ですか!?

鮫島 はい。「新聞記者辞めます」という連載は、一人で毎日3000字ぐらい書いていたんですよ。その後も「SAMEJIMA TIMES」は事実上ひとりで回していて。「筆者同盟」という寄稿家が何人かいて、ときどき無料で原稿を書いてくれているんだけど、基本的には毎日、自分で1本書く。

それから365日、ほとんど毎日書いたんですよ。体調が悪い日も、正月も土日も、常に3000字ぐらい。フラフラになりながら書く日もありました。

忙しくて夜の11時になっても何のネタも無くて、書くことも決まっていなくて、「あと1時間でなんとかするぞ」という感じでやっていたら、1年経つと新聞記者時代よりも書く腕が上達したというか。実際にやってみると、50歳にして最も原稿が上手になったかな、と(笑)。

スピードはものすごく早くなりましたよ。大量に詰め込む集中学習、短期合宿みたいなものはやっぱり意味があるんだなって改めて思いましたね。そういう蓄積があったので、勢いに任せて2月の1か月間ぐらいで書き上げてしまった。いま思うと、短期間で書いたがゆえのスピード感や勢いが文章にこもっている気がします。

――退職後の方が、記者時代よりも文章がうまくなった(笑)

鮫島 いや、新聞記者って毎日3000字も書かないし、新聞記事では100行くらいのものが長文・長行と言われますからね。実は新聞記者は長い文章が下手ですよ。何を隠そう、僕自身どうしようもないくらい下手クソでした(笑)。

新聞記者って文章を書く仕事だと思ったら大間違いで、やっぱり根本的には「情報を取る仕事」なんです。よく世間の人が勘違いしているけど、まずは「情報を取れ!」っていうことばかり鍛えられて、書くことはあまり鍛えられないんですよ。

朝日新聞社はリアル版『半沢直樹』の世界!?

――読者からはどんな反響が多かったのでしょうか。

鮫島 この本は政治やジャーナリズムが題材なので、同じマスコミ業界の読者が多いのかなと思っていたら、意外とサラリーマンからの反応が大きくて驚いています。企業の生き残り方とか組織のあり方とか、そういう観点で読まれているみたいですね。

中小企業の経営者からもたくさん手紙が届いています。生意気な若手をどう使えば良いか、とかね。僕自身が生意気な記者だったことは、本をお読みいただければわかるかと思います(笑)。あとは組織管理だとか組織運営だとか、そういう企業のマネジメントの観点で読んで、「ああ、うちの会社も似てるな~」みたいな反応も多いです。

――「吉田調書事件」への対応では、社長の面子を忖度するあまりトラブル対応が遅れ、最終的にはすべての責任が現場のデスクや記者に押し付けられるという一連の経緯に仰天してしまいました。

鮫島 先日、元検察官で弁護士の郷原信郎さんと対談したんですが、郷原さんも本書を読んで「朝日新聞と検察はそっくりだ」と言っていました。日本のどの組織や会社にも共通する内向きな足の引っ張り合いと、狭い世界で競い合ってみんなで共倒れしていく様子が生々しく書かれているので、共感を得られたのかな。

――『半沢直樹』にも近いような読まれ方ですね。

鮫島 そうそう。銀行や商社にいる知人たちもみんな同じ反応で。「うわ、どこも一緒だな」みたいな。朝日新聞も検察も銀行も商社も、戦後日本を支えてきた大企業はいまみんな行き詰まっている。その原因が縮図のように描かれているという評価の声もありました。

ジャーナリスト・鮫島浩氏

ソニーで結果を出していたのに左遷されて、その後Googleの日本法人代表になった辻野晃一郎さんという方が書評を書いてくれたんですけど、彼も「自分がソニーで経験したこととまったく一緒だ」と言っています。

やっぱり日本がここ30年間ずっとデフレで元気が無いのは、組織の閉塞感や空気と関係があると思うんです。みんなそう感じているから、政治や報道に興味が無い人も手に取ってくれているのかもしれません。そうだとすると嬉しいですけどね。

――ひとつ不思議だったことがあります。新聞は当然ながら読者が読むものなので、「読者目線」ということをもっと意識するのかな、と想像していました。でも本書を読んでいると、ずっと組織内部の論理や忖度ばかりが先行している気がしてなりません。

鮫島 出版社からすると理解しづらいでしょうね。雑誌や書籍は日々の売り上げ部数という数字で左右される世界だから。新聞とは全然違います。

新聞は定期購読で、短期間に部数が上がったり下がったりするわけじゃないから、もともと読者に対して非常に鈍感なんですよ。自分たちの記事が本当に読まれているかどうか、客観的に確認する術もないし、フィードバックも評価も何もない。読者からの手紙も一応あるけど、毎回同じようなマニアの人が書くものが大半です。

そうすると、どうしても自己満足の世界に陥っていくんです。新聞って、一方的に「これは素晴らしい記事だから読め!」と訴えてくる媒体でしょう。しかもなぜ良い記事かというと、「一面に載ったから良い記事に決まっている!」というロジックで。しかしそれは単に内輪の論理で決まっていることに過ぎません。

こういう環境だと、読者に向き合うのではなくて、会社の中で上司にゴマをすって自分の記事を大きく扱ってもらえるようにするといった、社内の根回しや調整に力を注ぐようになっていくんです。それが社内政治を生む土壌になっているんですよ。

確かに、良い記事が必ずしも読まれるとは限らないのも事実です。それでもメディアである以上、どんなに良い記事をつくっても読まれないということは何かが足りないわけだから、やっぱり反省して色々と考えなきゃいけない。それが真の意味での読者との対話だと思うんだけどね。

直近の事件に象徴される朝日新聞の「保身体質」

――つい最近、本書で描かれているような朝日新聞の「保身体質」を象徴するような事件が立て続けに起こりました。まずは2022年7月15日、および16日付の「朝日川柳」コーナーで、安倍晋三元首相の銃撃事件を風刺する作品が投稿者の名前入りで掲載されました。しかし、ネット上で批判が燃え上がると朝日新聞社はすぐに声明文を出し、事態の鎮静化を図ろうとします。

鮫島 批判が起こることも覚悟のうえで、腹をくくってやったことだと思っていたので、正直ガッカリしたと同時に呆れ果てています。「川柳は権力を風刺する文化です。風刺にタブーはありません。私たちは新聞社として表現の自由を何よりも重視していく覚悟です」と断固主張すればいいじゃないですか。

徹底的に戦う覚悟もなく、ちょっとバッシングが起こると保身と組織防衛の観点からすぐに屈服し、一方的に謝罪してしまう。「吉田調書事件」への対応と相通ずるものが垣間見えますね。

――さらには、社会学者の宮台真司さんが朝日新聞7月19日付の朝刊およびウェブ版に掲載されたインタビュー記事「元首相銃撃 いま問われるもの」「『寄る辺なき個人』包み込む社会を」に関して、取材で答えていたはずの重要な部分が丸ごと削除されていることを明かし、物議を醸すという出来事もありました。

鮫島 朝日新聞は宮台さんに対して、「社会部の取材で確かめてからでないと掲載できない」「今回は社会部が勉強課題を負ったということで勘弁してほしい」と回答したようですね。ついにここまで来たか、という暗澹たる気持ちです。

これらの事件から見え隠れするのは、ただただバッシングされないように当たり障りのない紙面をつくろうという消極的な姿勢です。そして批判の兆しが見えたら、即座に謝罪をして穏便に収めようとする。もはや、表現の自由や言論の自由を守り抜こうという気概もプライドも感じられません。

――これらの出来事は、鮫島さんが当事者となった「吉田調書事件」の延長線上にあると考えて良いのでしょうか?

鮫島 そう考えて問題ないでしょう。注目すべき点があります。伝統的に、朝日新聞社は政治部と経済部が経営陣の中核を占め、人事権を行使する体制が続いてきました。

しかし2014年の「吉田調書事件」で政治部出身の木村伊量社長が辞任を余儀なくされ、大阪社会部出身の渡辺雅隆社長が就任した後、朝日新聞社内では社会部の影響力が一気に増大します。要職を社会部出身の官僚的で内向きな人たちが固め、それまで権勢をふるっていた政治部・経済部は冷や飯を食わされる形になったわけです。

現在の社長は政治部出身ですが、いまだに主要ポストは社会部が押さえていて、影響力は衰えていません。「社会部の確認が必要」「今回は社会部が勉強課題を負ったということで」という言葉がありますが、ここからは社会部の影響力と強権が見え隠れするようです。

つまるところ、なんということはない、背景にあるのは実にくだらない派閥抗争や社内統制なんですよ。

いまや朝日新聞記者のSNSは社内で厳しく監視されていて、会社批判をするとすぐに見つかって警告を受ける。反抗すると左遷人事が待っているようです。私の在籍中から個人のtwitter投稿への介入はありましたが、状況はますます悪化し、息苦しい組織になっているみたいですね。

このあたりのより詳しい事情について知りたければ、是非とも『朝日新聞政治部』を読んでみてください(笑)。納得感があると思いますよ。

朝日新聞社を覆う「エリート・特権意識」

――ここまで伺ってきた朝日新聞の保身体質や、権力批判の甘さの背後にある理由は何なのでしょうか?

鮫島 朝日新聞社自身が「エリート」というか、「エスタブリッシュメント」の組織と化してしまっているということに尽きるんじゃないですかね。

いまでは東大生から就職先として敬遠されるようになってしまった朝日新聞社だけど、僕の世代やもう少し上だと、出身大学で一番多かったのは東大なんですよ。当時の東大では、法学部で一番優秀な学生は大蔵省に行きました。二番手は外務省に行ったり銀行に入ったりして。そこに行かなかった層が民間企業に来るんだけど、その中に朝日新聞も入っていたわけで。

そういう層は親が外交官や学者だったりして、いわゆるエスタブリッシュメント(権威)の仲間としての朝日新聞という意識を持っていた。つまり、ジャーナリズムのリーダーというよりはむしろエスタブリッシュメントの一員で、「俺は大蔵省や外務省や東大などのアカデミックの世界の側にいるんだ、賢いんだぞ」というエリート意識を持った人間が多い。

だから本来的には、庶民がどうだという話よりも、アカデミックな外交論を語ったり、ジャーナリズム論や民主主義論も語るのが好きだ、という感じ。そういうことで格好をつけてきたところがある。どこか強烈な自負心を抱いているんです。

――大衆よりちょっと上の目線で世の中を語る、という姿勢があるわけですね。

鮫島 そう。自分は「あの朝日新聞」の記者である、というプライドがあるから、世間から「朝日新聞、ダメね」なんて言われると誇りがズタズタになる。そんなのは許容できない。

それでも少数ながら、「自分はジャーナリズムを守るんだ」という気骨のある記者たちもいて、そういう人たちが調査報道や権力監視によって朝日新聞のブランドイメージを守ってきました。しかしそれもいまや崩壊してしまった。

僕は四国の母子家庭出身の貧乏人で、もともと新聞なんか読んでもいなかった。それでも、ジャーナリズムというのは権力の反対側にいて、そんなかっこいいものじゃなくて、権力に石を投げるものだと思っていたから。最終的にはやっぱり庶民の味方じゃないと意味がないでしょう。

実はアメリカでも、ニューヨーク・タイムズなんかが同じ問題に行き当たっていて。トランプ支持層がニューヨーク・タイムズやCNNが大嫌いだっていうのもわかるんですよ。「なんだよお前ら、エスタブリッシュメントを代表しているだけじゃん」という意識ですよね。

ただし、僕も一歩間違えると「記者はエリートなんだ」という特権意識を持ちかねなかったな、と危うく感じることはありますよ。

――何か原体験があるのでしょうか。

鮫島 新入社員でつくば(茨城県)の小さな支局に配属になってまず驚いたのが、朝日新聞記者の名刺を出すと誰にでも会えることです。普通、22歳とか23歳の若造だと、警察署長なんかには会えないよね。

大学出たての右も左も敬語の使い方もわからないヤツがいきなり「朝日新聞の新人記者の鮫島です」って言ったら、つくば中央署の署長や市長が会ってくれるんだよ。場合によっては茨城県警本部長にも会える。「うぉ~っ、名刺さえあれば誰でも会ってくれるんだ! これはすげぇ特権だ」と思いましたね。

――そうした意識が悪い方向に育って行ってしまうと、「俺はエリート側の人間なんだ」という感覚になるのでしょうか。

鮫島 だから僕も大いに反省する面があるんだけど。そこは正と負の両面がありますよね。偉い人に対して物怖じしなくなるという意味では良いことですから。

――構造的に、目線が権威の側へ同化しそうになり、批判しにくくなってしまうという傾向がどうしてもあるんですね。社会部と政治部の派閥抗争のお話もありましたが、次回はもう少し踏み込んで、政治記者とはどのような仕事なのか、取材はどのように行うのかといった内容についても伺いたいと思います。

ジャーナリスト・鮫島浩氏

(文責:集英社新書編集部/撮影:野崎慧嗣)