オーバーホールを受けるジャカルタのMRTJ南北線車両(筆者撮影)

円借款契約総額1200億円超、「日本の電車システムをほぼそのまま輸出する」初の事例として開業したジャカルタ都市高速鉄道事業「フェーズ1」こと、MRTJ南北線ルバックブルス―ブンダランHI間(15.7km)。2019年4月1日から商用運転を開始し、順調に運行を続けている。新型コロナウイルス感染拡大による社会制限で、一時は利用者数が9割近く減少したが、2022年に入ってからは急速に回復している。

このフェーズ1事業、実は今もなお続いており、「開業して終わり」ではない。この部分こそが、「パッケージ型インフラ輸出事業」の真価とも言うべき部分であると同時に、ひいては日本の鉄道事業者の海外展開という面で、非常に重要な意味を持っている。2021年1月から始まった、MRTJ南北線開業後の運営維持管理支援を行うOMCS2(オペレーション・アンド・メンテナンス・コンサルティング・サービス・セカンドステージ)の現場を紹介する。

日本の「鉄道現場のプロ」が集結

つくばエクスプレス守谷車両基地をモデルにして設計されたというMRTJ南北線のルバックブルス車両基地の一角、車両のオーバーホールを担う検修棟に隣接した「C棟」1階にOMCS2のプロジェクトオフィスはある。40〜50人はゆうに入れるかと思われる巨大なオフィスで、今は一定間隔に距離を保ちつつ20人分ほどのワークスペースがある。コロナ禍前は社員食堂だった場所で、結果的に検修棟まで数十秒という好立地が確保されたそうだ。


つくばエクスプレスの守谷車両基地をモデルに設計されたというMRTJ南北線のルバックブルス車両基地(筆者撮影)

筆者が初めて訪問した際は車両オーバーホールの真っただ中で、オフィスは7割方日本人で埋まっており、ここがインドネシアであることを忘れるほどだった。

開業前からMRTJの建設・支援には名だたる鉄道マンが専門家として派遣されていたが、OMCS2は日本コンサルタンツ(JIC)と日本工営の共同事業体(JV)が受注し、JR東日本、JRTM、東京メトロがサブコントラクターとして名を連ねる。いわば2大鉄道事業者から各分野、現場に精通した技術者が専門家として派遣されているわけで、「フルメンバー」と言っても過言ではないスペシャリスト集団を形成している。

このほか、インドネシアから国営鉄道車両製造会社(INKA)の子会社、IMSCもこれに加わっている。IMSCは、今後、日本人の体制が縮小されたときのサポート役となる。

OMCS2の目指すところは、MRTJによる自律的な運営維持を可能にすることで、これは従前のパッケージであるOMCS1から変わらない。オペレーション(運転、列車運行管理、安全管理等)、車両保守、インフラ保守(信号・通信、軌道、電気等)という3つの柱もそのまま引き継いでいるが、大きく変化した部分がある。

今回は初の「オーバーホール」

それは、従前の車両メンテナンスパートではライトメンテナンス(仕業検査・月検査)を行っていたところが、今回はヘビーメンテナンス(重要部検査・全般検査:オーバーホール)に置き換わったことだ。オーバーホールとは、日本の鉄道ではおおむね4年ごと、あるいは規定の走行距離に達した際に実施されるメンテナンスで、台車と車体を切り離してすべての部品の検査を実施し、指定された消耗部品に関しては総取り替えを行う大掛かりな検査で、分解検査とも呼ばれる。

部品をすべて取り外し、そしてもう一度組み立てるという作業は、車両の長期的な安定走行に欠かせない作業である一方、非常に大きなリスクを伴う。開業後支援たるOMCS2の中でももっともボリュームの大きい部分であり、見せ場でもある。

MRT車両初の「分解」検査は、日本とインドネシア双方の注目を集め、インドネシアのブディ・カルヤ・スマディ運輸大臣は「国鉄(KAI)もこのオーバーホールを見学したほうがいい」と発言するほどだった。また、見学に訪れた金杉憲治在インドネシア日本大使は、MRTJにルバックブルス車両基地の設備や作業をもっとアピールしたほうがいいと、MRTJ側にリクエストするほどだったそうだ。

筆者もヘルメットをかぶり、靴を安全靴に履き替え、オーバーホールの現場を訪問した。

検修棟の内部にはMRT車両1編成が取り込まれており、そのうち3両は台車を分離して「ウマ」(台車を取り外した際に車体を支える台)を履いて車体が宙に浮いた状態、残りの3両は隣の線路に留置されたままだ。これは、まず前者3両については日本人専門家を中心にメンテナンスを行うとともにMRTJの作業スタッフに対するレクチャーや質疑応答を交えて進め、残る3両はMRTJの作業スタッフが中心になって同様の作業を進めていくためだ。


オーバーホールの現場。左側が台車を分離した車両、右側が線路上に留置された車両だ(筆者撮影)

筆者の訪問時は前者3両の作業中で、日本人専門家の一挙手一投足をMRTJの若い作業スタッフたちが熱心に見つめていた。前半部分は30日間、後半部分は25日間の作業スケジュールが割り当てられており、通常の全般検査時には6両で30日と設定しているところを見ても、「教える」という部分に時間が割かれていることがわかる。

日本とビデオ電話で相談も

車体、台車、ブレーキ、エアコン、パンタグラフそれぞれの持ち場には、ホワイトボードが設置され、その日のスケジュール、また作業内容が日本語、英語、インドネシア語で書き込まれている。ときには現場で判断がつかないこともあるが、そんなときはビデオ電話で日本の現場と繋いで検討する。国境を越え、日本とインドネシアが一丸となってMRTJを育てているのだなと感じずにはいられない。


作業内容などが日本語・英語・インドネシア語で書きこまれたホワイトボード(筆者撮影)

事前のトレーニングも含めると2月17日にスタートしたオーバーホール作業は順調に進み、5月11日の夜間走行試験の完了をもって、山場を越えた。ルバックブルス車両基地の設備の問題(試験機の調整)で間に合わなかった作業があったそうだが、これも8月上旬にはおおむね完了し、一連の作業が終了した。

OMCS2自体は2023年12月までのプロジェクトであり、日々の運営維持管理活動に対してのアドバイスは今後も続く。とはいえ、この山場を迎えたことで、かつては専門家でいっぱいだったプロジェクトオフィスもだいぶ閑散としてしまい、再び同所を訪問すると、ちょっぴり寂しい感じではある。

ここで、日本コンサルタンツ(JIC)の宇都宮真理子氏(プロジェクトリーダー)と釼持義明氏(ヘビーメンテナンスリーダー)に話を聞いた。2人ともJR東日本からの出向で、鉄道の現場を知るプロフェッショナルだ(インタビュー部分敬称略)。

――無事オーバーホールが終わったが、当初はコロナ禍で現地に専門家が入れず大変だったのでは。


日本コンサルタンツ(JIC)のプロジェクトリーダー、宇都宮真理子氏(筆者撮影)

宇都宮:コロナがなければ、2021年に始まる予定だった、これはメーカーによる保証が開業後2年という部分に合わせていた。

――OMCS2では、オーバーホールがかなりの部分を占めていると思うが、どのくらいの規模だったのか。

宇都宮:OMCS1でメンテナンス部門に派遣された専門家は2人だったのに対し、今回は日本人16人、インドネシア人6人の計22人が、車体、台車、ブレーキ、エアコン、パンタグラフと細分化された分野に派遣されていて、もっともボリュームの大きい部分である。

――オーバーホールに必要な交換部品は、MRTJ側が独自に調達し揃えていると認識しているが、ものすごい量になると思う。すべて揃ったのか?

宇都宮:限られた予算の中、また州営ということで調達方法の縛りもある中、極力純正のものを揃えてもらった。必要部品は数百種類ほどになるが、マニュアルに指定のない一部のものはローカルで調達されている。

――MRTJの作業スタッフは若い人がほとんどで、鉄道経験は浅いと思う。どのような点を注意しながら指導したのか。

釼持:彼らの経験が少ない分、何をしたらいいのかを考えた。メーカーからのトレーニングを彼らは受けており、また、オーバーホール開始前に独自に車体と台車を切り離すなどの作業デモンストレーションをやっている。どういうスキルなのかを事前に調査することから始めた。

日本式メンテナンスを海外でも

――メンテナンスをメーカーではなく、事業者が行うのが日本の鉄道の特色だ。今回、チームに車両製造元である日本車両製造は加わっていないが、海外においてもメンテナンスは事業者側が行うのか。


作業手順を打ち合わせる日本コンサルタンツ(JIC)ヘビーメンテナンスリーダーの釼持義明氏(左手前)(写真:日本コンサルタンツ)

釼持:その通り、日本の車両メンテナンスは事業者がいないと成り立たない。そのため、海外仕様でも事業者側による。

――JR東日本は日本車両製の車両をあまり保有していないが、普段、使い慣れていない他社の車両のメンテナンスを指導するのは苦労しなかったか。

釼持:われわれもマニュアルを読み込むところから始めた。MRT車両(日本車両のSTRASYA)のベースはJR東日本のE231系に近いが、わからないところはメーカーに問い合わせた。

――しばしば、日本式の押し付けではないかというような批判的な言われ方もするが、そのあたりに関する考え方は。

釼持:第一線で働くプロが異国の地でどのように教えるかは議論した。また、MRTJの車両を初めて触るのは我々も同じだ。そのうえで日本での経験、つまりマニュアルには書いていないこと、また今のインドネシアの設備でできることを教えるように心がけている。

――経験を教えるということはメーカーではなく、鉄道事業者だからできることか。

釼持:車両メンテナンスの場面では、自分の目で判断しないといけないことが多々ある。この部品はまだ使えるのか、交換すべきなのか、マニュアルには書いていない。特に現状のMRTJの走行距離ではすべて交換する必要がないものもある。これを検証していけば、最終的にコストダウンに繋がる。

世界的な潮流は、車両メーカーが納入後のメンテナンスもカバーするというやり方だ。車両を安く売った分、このメンテナンス業務で稼いでいるとも言われている。東南アジアの都市鉄道を見ていても、鉄道事業者でメンテナンスを行わず、メーカーに丸投げというところもある。一見合理的ではあるが、これでは技術者は育たない。


訓練スケジュールの説明をする釼持氏(右から3人目)(写真:日本コンサルタンツ)

このMRTJのオーバーホールの現場は、鉄道事業者同士という対等な立場で技術が伝承される、まさに「人づくり」の現場でもある。また、日本から派遣されている専門家が、比較的若い人々が多いのも印象的で、非常に心強く感じた。日本の鉄道マンのサラリーマン化が言われるようになって久しいが、まだまだ捨てたものではないなと思う。日本とインドネシアの鉄道マンが人としてぶつかり合い、議論し、作業し、改善していく姿には、決して一方通行ではない相乗効果があるだろう。日本の鉄道事業者にとって、海外鉄道人材育成の場になることは言うまでもない。

「パッケージ型輸出」の持つ意味

もっとも、過去の日本の鉄道海外輸出ビジネスは「モノ」を売ることに終始していた。1970〜1980年代にはODAで日本製車両が多数海外に輸出されたが、早々に故障するものも多く、結果的に2000年代に入ると、安い中国製車両などに取って代わられた。2010年代以降、国の成長戦略としてインフラ輸出が掲げられ、鉄道もその中に含まれた。いわゆる「オールジャパン」体制での輸出が叫ばれるようになったわけで、これに対しては筆者が言いたいことが山ほどある。


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しかし、同時に「パッケージ型輸出」という枠組みが策定されたことは評価できる。これで、インフラからメンテナンスに至るまでのハード、ソフト両面をトータルに輸出することが可能になった。これに呼応するように2011年、JR東日本、東京メトロを筆頭に大手鉄道会社が出資して日本コンサルタンツが設立され、現役の鉄道技術者を海外に派遣できるようになった。これでようやく、国を挙げての鉄道海外輸出のスタートラインに立ったわけである。そして、その完成第一号案件が、ジャカルタMRT南北線事業である。

今後、同様の円借款プロジェクトで、ベトナム、バングラデシュ、フィリピンと都市鉄道の開業が控えている。ジャカルタの鉄道に尽力した専門家が再びこれらの国々に派遣されることも大いにあるだろう。それぞれの国で文化や背景が異なるにしても、ジャカルタで得られた知見、それから何より日本の鉄道150年の歴史で培われた経験が生かされていくことを願ってやまない。

レールは繋がらずとも、日本から世界の鉄道へ、人と人の繋がりはどこまでも伸ばしていくことができるはずだ。

(高木 聡 : アジアン鉄道ライター)