35歳の若さで台湾のデジタル担当相となったオードリー・タンさん。小学1年生のときに天才児だけを集めた「ギフテッド・クラス」に転入したが、そこでは「命の危機」を感じるほどの壮絶ないじめを受けることになる。作家・石崎洋司氏の伝記物語『「オードリー・タン」の誕生 だれも取り残さない台湾の天才IT相』(講談社)<第1章オードリーの生い立ち>より一部を抜粋、編集してお届けする――。
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台湾の唐鳳(オードリー・タン)政務委員(閣僚)=2020年6月11日、台湾・台北 - 写真=AFP/時事通信フォト

■祖母と母を困惑させた「異常な学習欲」

小学一年生らしからぬオードリーの知識と学習欲は、実は、家でも悩みの種になっていました。

両親が働いて家にいない昼間、おもに祖母の蔡がオードリーと、4歳年下の弟・宗浩の面倒をみていたのですが、オードリーの風変わりな質問に悩まされていたのです。

「あの子はむずかしい質問ばかりしてきて困る。今日も、とつぜん『太陽の黒点って何?』って聞いてきてね。わたしが答えられないでいると、『おばあちゃんは、ぼくが何を聞いても、なんにもわからない!』って、怒るんだよ。どうしたらいいんだい? もうわたしには面倒をみきれないよ」

母は、オードリーを呼んで、いいました。

「おばあちゃんに、むずかしいことを質問しちゃだめよ。おばあちゃんが子どものころはね、勉強をしたくてもできない時代だったの」

それを聞いて、オードリーはうなだれました。

「ごめんなさい。でも、だったら、質問はだれにしたらいいの? 学校でも、だれもとりあってくれないんだよ」
「お父さんかお母さんにすればいいわ」

両親は、仕事のあいまをぬって、いっしょうけんめいにオードリーの質問に答えました。それでもたりない分は、家庭教師をやとって埋めました。

しかし、それで解決、とはなりませんでした。オードリーは、仕事中とわかっていながら、かまわず母親に電話をかけて質問するようになったのです。ときには、弟が泣いているからと、電話をかけてくることもありました。

母は気がつきました。

「この子は、ただ学習欲と知識欲から質問をしているのではないのだわ」

■「知能指数が最高レベルであることがわかりました」

オードリーの心の中には、学校では同級生からおかしな目で見られ、先生にさえもきちんと相手にしてもらえない不安がうずまいていました。だからこそ、お母さんには、真剣に自分にむきあってほしかったのです。

「これはもう、わたしが子どもたちといっしょに過ごすほかはない」
「いや、それなら、わたしが仕事をやめて、子どもたちを育てるよ」

同じ新聞社に勤めている唐には、妻のほうが記者として優れていることがわかっていました。実際、李は教育問題から、法律や文化、政治までカバーできる、取材部門でナンバー2のエース記者と目されていました。

「男女は平等であり、母親だからといって、仕事上のチャンスを逃していいということにはならない」

けれども、オードリーも弟の宗浩も、母親が家にいてくれるほうを選びました。こうして母は仕事をやめ、2人の子どもを育てることに専念することになりました。台湾の新学年は9月からはじまります。新学年を前に学校から1通の手紙がとどきました。そこにはこんなことが書かれていました。

「先日、優等生を対象にした知能検査を行いましたが、その結果、唐宗漢くんの知能指数が、最高レベルであることがわかりました。ついては、ギフテッド・クラスのある学校へ転校してはどうでしょう?」

■台湾では70年代から設置されている「ギフテッド・クラス」

「ギフテッド」とは、「天から才能を授けられた人」という英語から生まれた言葉で、生まれつき高い知能(IQ130以上が目安)や才能を持つ子どもや若者のことです。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

相対性理論で有名なアインシュタイン、Windowsなどを世に送り出したビル・ゲイツ、Facebookの創始者マーク・ザッカーバーグなども、ギフテッドとされます。

しかし、こうした人々は、知能の高さや特殊な才能のせいで、かえって生きづらさをおぼえる人が多いともいわれています。たとえば、学校の勉強についていけない子どもを「落ちこぼれ」と呼ぶことがありますが、その反対に、知能が高すぎて、まわりから浮いてしまう子どもを「浮きこぼれ」とも呼んだりします。小学校一年生のときのオードリーは、まさにこの「浮きこぼれ」でした。

そこで、ギフテッドの子どもや若者たちのための特別な教育制度を設ける国が現れました。日本はまだですが、アメリカやヨーロッパ諸国をはじめ、シンガポールや香港などアジアにもその動きは広がっています。

台湾も、そうした国のひとつで、すでに1973年から、ギフテッド・クラスを設置していました。

当時、その対象とされたのは、〜澗里箸靴毒塾呂旅發せ童、語学や数学など、特定の分野に秀でた児童、H術、音楽、ダンス、演劇、スポーツなどで才能豊かな児童、でした。ギフテッド・クラスでは、ふつうの授業もありますが、算数や物理、あるいは、工芸やアート、音楽など、興味のあるレッスンや授業を選んで学ぶことができます。

ただ、すべての学校にギフテッド・クラスが設置されているわけではありません。オードリーが通っていた小学校にもなかったので、転校を勧められたというわけです。

■転校先で待ち受けていた苛烈な体罰

李は迷いました。転校を勧められた学校は、ギフテッド・クラスで学ぶのは国語と算数だけで、それ以外は一般クラスに入って、さまざまな子どもたちと交われるしくみをとっていました。そのことはとてもいいと思いましたが、一方、図書室はあまり充実していないことや、校風が少し権威主義的であることが気になりました。

「どうする? 転校してみる?」

オードリーは、少し考えたあとで、うなずきました。いま通っている学校の授業は、たしかに退屈だったからです。

新しい学校の担任は、若くて、とても教育熱心な人でした。オードリーはここでも、抜群の成績を修めて、班長(学級委員長)にも選ばれました。

「ここなら、楽しい学校生活が送れるかもしれない」

けれども、そんな期待とは正反対のことが、オードリーを待ち受けていました。体罰です。オードリーは勉強の面ではもちろんなんの問題もありませんでした。けれども、生活の面では、よく忘れものをする子どもでした。台湾の小学校では、毎日かならず自分のティッシュペーパーとタオルを持っていかなくてはいけないのですが、それをしょっちゅう忘れるのです。

すると、担任の先生は、罰として、オードリーを棒でたたきました。

実は、1980年代終わりごろの台湾には、子どものしつけのためなら体罰を与えてもかまわないという風潮がまだまだ残っていました。これには台湾の歴史が大きく関係しています。

■台湾で体罰が当然になっていた歴史的な背景

台湾は面積は小さいものの、実はさまざまな民族が住んでいます。まず、もともと台湾に住んでいた何十もの先住民族にくわえて、17世紀以降に中国大陸から移住してきた人々がいます。これらの人々は「本省人」と呼ばれました。

写真=iStock.com/yaophotograph
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また、日本による植民地支配の終わった第二次世界大戦後、中国大陸から移住してきた人々は、「外省人」と呼ばれました。外省人の多くは、中国大陸で中国共産党との争いに敗れ、台湾に撤退してきた中華民国政府の関係者や、それについてきた人々でしたが、戦後の台湾の統治をめぐっては、本省人とのあいだに、さまざまな摩擦が生まれました。

なかでも激しい対立が、1947年の「二・二八事件」です。本省人に対して役人が乱暴な取り締まりを行ったことをきっかけに、本省人が全国で大規模なデモを行いました。すると政府はこれをきびしく弾圧し、戒厳令を出したのです。

戒厳令とは、国家の非常事態を乗りきるために、軍部が国を統治することを認めるものです。戒厳令下では、国民の権利は大きく制限されます。台湾でも、政府の意に反した行動や言論はきびしく取り締まられ、多くの住民が逮捕され、投獄されました。

学校教育も軍隊式になりました。政府の指示する内容だけが教えられ、教師の指示にしたがわない生徒は、容赦なくなぐられました。

そして、この戒厳令は38年間も続き、ようやく解除されたのは1987年、オードリーが6歳のときでした。

■「ほかのクラスの先生は、もっと太い棒でたたくんだ」

生徒を正しく教えさとすのに、体罰は必要だ――そういう考えは日本にもありました。有名なアニメ『機動戦士ガンダム』にも、主人公が上官になぐられたあと、『なぐられもせずに一人前になったやつがどこにいるものか!』と、いわれるセリフがあります。そして、体罰が法律で禁止されたのも、2020年4月になってからです。

まして戒厳令が解除されて2年とたっていない台湾では、オードリーのように体罰を受ける生徒は、あたりまえのようにいました。オードリーも、初めのうちは体罰に耐えていました。なぜなら、オードリーにはわかっていたからです。

「だって、先生にはクラス全員を管理する責任があるんだから」

それに、担任の先生のことは大好きでしたから、母にはこうもいっていました。

「ぼくたちの担任の先生は学校でいちばんいい人なんだよ。だって、先生が体罰に使うのはいちばん細い棒だもの。ほかのクラスの先生は、もっと太い棒でたたくんだ」

だからといって、体罰がこわくなくなるわけではありません。そして、生徒を管理したり教育するために、体罰が正しい方法だとも思えませんでした。

「せっかくギフテッド・クラスのある学校に転校したのに……。先生だって悪い人じゃないのに……。なのに、どうしてこんなことになるんだろう……」

しかし、オードリーのなやみは体罰だけでは終わりませんでした。ギフテッド・クラスならではの、新たな問題が襲いかかってきたのです。

■「おまえはなぜ一番になれないのか」と父親に殴られていた同級生

ギフテッド・クラスの子どもたちは、才能にあふれています。そんな子どもを持つ保護者たちは、よその子どもと比較したがりました。

写真=iStock.com/AlexLinch
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AlexLinch

「おまえは絵の才能は抜群なのに、国語と算数はどうしてそんなにできないの!」

そういって子どもを責める親もいれば、保護者会で、わが子のしつけのためにもっと体罰を与えてくれるよう教師にたのむ親もいました。親がこうだと、子どもたちもおたがいを比べ、自分よりもすぐれた点を持つ子どもに強い嫉妬心をもつようになります。当然、成績のいいオードリーは、かっこうのうらみの的になりました。

あるとき、一人の生徒が、オードリーにむかって、吐きすてるようにいいました。

「おまえなんか死ねばいいのに! そしたら、ぼくが一番になれるんだから!」

実は、その子は父親から、「おまえはなぜ一番になれないのか」と家でなぐられていたのです。

「死ねばいい!」――その言葉は小二のオードリーの心に深く突き刺さりました。幼稚園に入る前から、心臓に負担をかけないように、死に至るようなことがないように、慎重に生きてきたオードリーにとって、死ねといわれたことは大変なショックでした。

■「どうしてみんなは怒るの? どうしてぼくをたたくの?」

オードリーは、たまらず、母にこううったえました。

「ママは、人はおたがいに長所をほめあわなければいけないって、いうよね。ぼくだって、なわとびを百回とべる子がいたら、ほんとうにすごいと思う。足が速い人のことも、がんばれって、応援している。なのに、ぼくが算数が得意で、国語の問題を早く答えると、どうしてみんなは怒るの? どうしてぼくをたたくの?」

夏休みになると、オードリーの状態はどんどん不安定になりはじめました。小学3年生への進級と、新しいクラスがどうなるかが、不安でしかたがなかったのです。

オードリーは指の爪をかむようになりました。夏休み中の最後の登校日には、朝の五時に起きたものの、遅刻寸前の8時まで動こうとはしませんでした。そして、「今日はクラス決めの日だ。ぼくは、どの教師の手中に落ちるんだ?」と、ひとりごとをくりかえしました。

写真=iStock.com/Suphansa Subruayying
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Suphansa Subruayying

さいわい、その日はクラス決めはありませんでしたが、オードリーはもう耐えられなかったのでしょう。母にむかっていいました。

「ママ、休学の手続きをしてくれない?」

母はすぐに手続きはせず、まずギフテッド・クラスの教師に相談をしました。それを知ったオードリーは、こんどは母にこんな質問を次々と投げかけました。

「ママ、体罰は犯罪じゃないの? なのに、なぜうちの学校の先生たちはそんなことをするの? もし新しい先生がぼくをたたこうとしたら、逃げてもいい? 先生が追いかけてきたら、どうしたらいいの?」

そして、小学三年生の初日、新しいクラスが決まって帰宅したオードリーは、李にこう告げます。

「ママ、ぼくは終わりだ」

■体罰はなくなったが、同級生からの暴力が始まった

成績のいいオードリーは、また班長に任命されたのですが、新しい一般クラスの担任にこういわれたのだそうです。ふつうの子が何か失敗したときは一回たたくが、班長は二回たたく、と。

「だからママ、ぼくはもう学校には行かない」

驚いた母は、次の日、オードリーにつきそって登校すると、担任に事情を話しました。ところが、それは逆効果でした。先生はたたくことはなくなりましたが、オードリーはそのことでかえって「特権的存在」になってしまったからです。

「罰として立たされることも、そうじをさせられることもないけれど、クラスのみんなはぼくをうらんで、授業が終わるとなぐりに来るんだ」

なぐられる理由はほかにもありました。

たとえば班長は、決まりを守らなかった生徒の名前を黒板に書いておくようにと、先生に命じられていました。名前を書かれた生徒たちは、あとで先生から罰を与えられます。つまり、まじめに班長の仕事をすればするほど、オードリーは生徒たちにうらまれるというわけです。

オードリーは、どんどん追いこまれていきました。学校に行くのをいやがるようになり、夜は悪夢にうなされ、朝もすぐに起きられなくなっていました。オードリーは必死にうったえました。

「パパ、ママ。ぼく、学校に行くのがつらいよ。これは命の危機なんだよ」

■建物の3階から向かいの建物へのジャンプを強要され…

命の危機――それは、決して大げさな言い方ではありません。なぜなら、オードリーの心には自殺願望さえ芽生えていたからです。

事実、こんなことがありました。クラスメイトたちに、建物の3階から向かい側の建物へ飛びうつれとはやしたてられたオードリーは、ほんとうにジャンプをしたのです。

一歩まちがえれば、命を落としかねません。心臓に負担をかけないように、幼いときから注意をおこたらずに生きてきたオードリーが、自分からそんな危険なことをするのは、まさに自殺行為といってもいいことでした。

不登校に陥ったオードリーは、精神状態もとても不安定になりました。食欲がないといって、まる一日食事をとろうとしなかったり、登校しようと家を出ても、行けば先生やクラスメイトから質問攻めにあうことを想像して、結局もどってしまったりしました。それでも母は、オードリーを励ましながら、なんとかして学校へ通わせようとしました。オードリーの苦しみは理解していたつもりでした。しかし、その一方で、学校へ行かないという選択肢は、母にはなかったのです。

■「これでもママは学校へ行けっていうの?」

そんななか、おそろしい事件が起きました。

ある授業でテストが行われたときのことです。先生がテストを配ると「20分以内に終えるように」といって、教室を出ていきました。

オードリーのことですから、20分どころか、あっというまに解いてしまいました。すると、先生がいないのをいいことに、まわりの子たちが手を伸ばしてきました。

「おい、答え、見せろよ」
「いやだよ。テストは自分で解かないといけないんだよ」
「いいじゃないかよ、見せるぐらい」

石崎洋司『「オードリー・タン」の誕生 だれも取り残さない台湾の天才IT相』(講談社)

4、5人の子どもたちがしつこくせまってきます。オードリーが答案を見せまいと席を立つと、彼らも立ちあがって、追いかけはじめました。オードリーは教室を逃げまどいました。が、勢いあまってころんでしまいました。すると、一人の子が、倒れたオードリーのおなかを思いきり蹴ったのです。オードリーは壁に打ちつけられ、そのまま気を失ってしまいました。

知らせを受けて、母がむかえに来ました。家に連れ帰って、お風呂に入れようと服を脱がせて驚きました。オードリーのおなかに、大きな青あざができていたのです。

言葉を失う母に、オードリーはいいました。

「これでもママは学校へ行けっていうの?」
「……いいえ。もう行かなくていいわ。家にいなさい」

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石崎 洋司(いしざき・ひろし)
作家・翻訳家
1958年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学卒業後、出版社勤務を経て、作家・翻訳家としてデビュー。『世界の果ての魔女学校』(講談社)で第50回野間児童文芸賞、第37回日本児童文芸家協会賞を受賞。『黒魔女さんが通る!!』シリーズ(講談社青い鳥文庫)など多数の人気作品を手がける。伝記には『杉原千畝 命のビザ』、『福沢諭吉 自由を創る』(講談社火の鳥伝記文庫)などがある。
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(作家・翻訳家 石崎 洋司)