社会的地位が高く、経済的にも恵まれているのに、万引きをやめられない人たちがいる。朝日新聞論説委員の井田香奈子さんは「『窃盗症』という精神疾患が原因となっているケースがある。万引きの被害を減少させ、当事者の更生を促すためにも専門家による治療体制を充実させる必要がある」という――。(第2回/全2回)

※本稿は、竹村道夫、吉岡隆(編)『窃盗症 その理解と支援』(中央法規出版)の一部を再編集したものです。

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■メディアの関心が向けられてこなかった「窃盗癖」

さまざまな犯罪のなかで、窃盗、盗みは私たちに最も身近なものだろう。

「人のものをとってはいけない」と幼い頃教えられた人は少なくないはずで、犯してはならない罪ということを考える、最初の接点かもしれない。万引きは盗みの「手口」の一つではあるが、それぞれの被害は高額でないことが多く、軽い罪ととらえられがちだ。新聞、テレビなどの日々の報道では取り上げられることはほとんどない。結果として、万引きという行為やその被害の実相が、社会に十分に伝えられていない現実がある。

万引きの背景にある窃盗癖(クレプトマニア)についても、長くメディアの関心は向けられてこなかった。それゆえ、どのように対応するか、医療や司法の専門家も交え、広く深く議論する空間が生まれてこなかった経緯があったのではないか。ここでは、万引きや関連する問題についての報道のあり方、課題を考えたい。

平成29年版の犯罪白書によると、2016(平成28)年の窃盗の認知件数は約72万3000件。手口別に見ると、万引きは自転車盗難に続いて2番目に多く、後には車上・部品ねらい、置引きが続く。ごく身近な犯罪の類型に、万引きも名を連ねている。その広がりからは、社会に与えている影響も少なくないに違いないのだが、一つひとつの万引きが事件として記事になることはまれだ。

事件報道の大きな端緒となっているのが警察の報道発表だが、万引きがその対象になることもほとんどない。人々の命や安全が深刻に脅かされるような凶悪事件や、公権力が絡む贈収賄、経済犯罪などにメディアの関心は集まりがちだ。

■逮捕者が議員や警察幹部の場合は報道されるが…

一方でどんな微罪であれ、それが社会が抱える問題をあぶり出しているのではないか、という視点も報道には不可欠だろう。読者や視聴者がその時々に何を考えるべきか、問題を共有し、議論の素材となる情報を提供していく役割がメディアにはある。

朝日新聞は、事件報道の指針「事件の取材と報道」をまとめ、公刊している。ここでもニュース価値の判断基準としてまずあげるのは死傷者の多さなどに表れる事件の重大性だが、一方で、事件の裏に隠された問題点、あるいは事件を予防するための手立てを探る取材・報道の大切さにも言及している。

万引きに関する報道でいうと、万引きをして逮捕された人が議員や警察幹部など、公的な職にあったときに、新聞の社会面や地方面で扱われることはかねてあり、その背景を掘り下げるような報道も近年、見られるようになった。

例えば、若年性認知症の一つ「ピック病」と万引きとの関連を指摘する記事が2007(平成19)年2月、朝日新聞社会面に大きく掲載された。神奈川県茅ヶ崎市課長の男性がスーパーで万引きし、起訴はされなかったものの、市から懲戒免職とされたケースだ。本人は盗んだことを覚えておらず、家族が「どうして」と聞いても話がかみ合わない。心療内科を受診し、認知症の症状である可能性が浮かんだのだという。

市が「認知症のことを知らなかった」として、この男性の懲戒免職処分を撤回した、という続報もある。男性が海水浴場の命名で話題になるアイディアマン課長であり、40年近い勤続のまじめな市職員として知られていたことと、万引きという行為のギャップが、記事が大きく扱われた要素になったと考えられる。

■「なんで盗ってしまったか分からない」と語った60代の女性

万引きを扱う裁判が、取材・報道のきっかけになるケースもあった。2016(平成28)年7月、万引きと認知症の関連が疑われたケースでの司法判断をめぐる記事が朝日新聞社会面でやはり大きく扱われた。「母が万引き……認知症だった」「実刑か猶予か、割れる司法判断」という見出しがついたその記事は、62歳の女性に関するものだ。

東京都内のスーパーで靴などを万引きし、罪に問われた。万引きするようになったのは10年ほど前からだったが、経済的には困っておらず、娘に「なんで盗ってしまったか分からない」と話していた。専門医の診察を受け、ピック病の症状があると告げられたという。東京高裁での控訴審判決は、万引きと認知症との関連を認めたものの控訴は退け、有罪と認定した。ただし、娘が母の症状の悪化を理由に刑の執行停止を求めると刑務所への収監は延期されたという。

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記事では、同じような症状の人で、執行猶予中の再犯でも実刑とせず、再び刑の執行を猶予した裁判例も紹介している。事件報道において、裁判の取材は警察取材と並んで重要な要素だが、たくさんある窃盗罪の法廷をメディアがフォローしているとはいいがたい。

しかし、窃盗で有罪と判断された人の刑の執行を猶予するかどうかについての裁判所の判断に新しい傾向が出てきたとしたら、そこに取材・報道のきっかけが生まれる。司法判断の変化は、社会の変化をとらえ、反映したものと考えられるからだ。

■「犯罪なのに何度いってもやめられない人たち」という認識だったが…

さらにその変化が、矯正や更生保護などの司法制度、罪を犯した人を受け入れていく社会にも影響を及ぼしていくことが考えられる。「自分とは関係ない」と受け止められがちな万引きだが、さまざまな接点からの報道は自分に引きつけて考えてもらうきっかけになるかもしれない。

背景にある窃盗癖も、考えるべきことの多いテーマだ。ただし、読者に身近な問題ととらえてもらえる度合いは、一般的によく知られている認知症と万引きの関連に比べると、ずっと低いかもしれない。

実際のところ、私が2013(平成25)年、関連の記事を書くまで、「クレプトマニア」という言葉が朝日新聞の紙面に掲載されたことはなかった。「窃盗癖」「盗癖」はそれなりに見聞きされてきた言葉だと思うが、そこにあるのは「犯罪なのに、何度いってもやめられない人たち」といった、善悪への価値に基づいた差別や偏見、あきらめの視線ではなかったか。

治療対象として、あるいはなんらかの取り組みをすべき問題として、メディアでも、社会でも、広く意識されてこなかったのだと思う。

私がクレプトマニアの取材を始めたのは2012(平成24)年の夏だった。きっかけは、図書館で何げなく手にとった専門誌だ。クレプトマニアを特集していて、この分野の先駆者である赤城高原ホスピタルの竹村道夫院長の実践などが紹介されていた。それまで、アルコール・薬物依存の取材をした経験はあったが、万引きにそのような依存症と通じるものがあると意識したことはなかった。引き込まれ、関連する本や資料を読み進めた。

■万引きで懲戒処分を受けたNHKの地方放送局長

ずっと心の隅から消えていなかった事件もあった。

2006(平成18)年にさかのぼるが、NHKの地方放送局長が、自らの万引きが発覚したことで停職3カ月の懲戒処分を受け、退職した、という小さな記事があった。

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ひげそりなど計5000円相当をホームセンターから万引きしたというケースで、社会的な地位があり、経済的にも困っていないはずの人がそんな万引きでそれまでのキャリアや信頼を台なしにしてしまうなんて、とどこか気になった。

普通であれば新聞記事になることもないよくある万引きの一つなのだろうが、本人の社会的立場ゆえに地方面でなく東京に届く紙面で掲載された。自分が働く新聞の判断とはいえ、気の毒だなとも感じていた。その人がクレプトマニアと関係があったか、私は知らない。ただ、2012(平成24)年、専門誌をきっかけに新しい知見に触れたことで、「割に合わない」万引きを繰り返す人たちを突き動かしているのは何か、医療や司法ができることはあるのではないかと考えた。竹村さんを訪ねて、話を聞いて、その問題意識は強まった。

盗んだ品を自分で使う、転売して現金を得る、というのならまだ分かるが、そういうわけではない盗みを繰り返す人たちが少なからずいる。そのことで、仕事や家族など大切なものを失ってしまうこともあるというのに。

「盗む自分と向き合い、心の闇を見渡して心に隠された被害感に寄り添ってあげれば、正常な道徳観を取り戻すことができる」と竹村さんは言った。二度と万引きしなくなるまでの道の険しさは並大抵のものではなさそうだったが、臨床に基づいた竹村さんの言葉は、社会で共有すべきだと感じさせられた。

■「万引きをやめられない人」への取材で見えてきたこと

患者さんにも話を聞かせてもらった。赤城高原ホスピタルに足を運んだ際に会い、いいと言ってくれた人にはあらためて連絡し、東京都内などで再び会う形が中心になった。最終的に20代から60代まで10人余りの男女に会い、それまでの万引き、クレプトマニアの治療、人によっては過去の万引きに伴う裁判や刑務所での経験を話してもらった。

裁判が進行中の人も複数いて、その審理を傍聴する機会もあった。東京・霞が関にある東京簡易裁判所は、東京地方裁判所、高等裁判所と同じ建物にある。それまでもオウム真理教事件の裁判など注目を集める裁判や、裁判員裁判などの取材で何度も足を運んだ建物の一角で、常習累犯窃盗の裁判が日々たんたんと行われていたことを実感した。

万引きをやめられない人の問題は、医療と司法の狭間に落ち込んでいた側面もあったかもしれない。関心をもつ医師や弁護士がつながり、光が当てられていった時期でもあった。そうした専門家の取材をもとに、「ルポルタージュ現在 万引きという病」という見出しの記事(2013(平成25)年1月8日付、朝日新聞社会面)をまとめた。

クレプトマニアの当事者を取材することに伴う課題は少なくない。今回は、医師の紹介によるもので、対象者は取材が治療の妨げにならず、本人も取材を受け入れるだろうと医師が判断した人に限られる。当事者に対しては医師や医療機関とは独立した取材だと伝えたが、例えば話した内容が医師に伝わるのではないかといった懸念から、記者に率直に話していない可能性も否定はできない。

■「なぜ万引きするのか」に対する答えは人それぞれ

記事にする段階でも制約はある。自分とクレプトマニアのかかわりについて最も近い家族以外には口外していない当事者がほとんどで、「記者に話すのはいいが、記事にはしてほしくない」「自分と特定される書き方は絶対に避けてほしい」という気持ちが強い。

クレプトマニアと向き合い、人生を立て直している当事者に、記事によって不都合をもたらすわけにはいかない。そのような制約はあっても、当事者の話に耳を傾ける意義は大きかった。

クレプトマニアはいまだ社会で広く認知されているとはいえない。当事者の話は、人知れず悩んでいる当事者かもしれない人たちの助けになるはずだし、人々にこのような問題があると気づかせる力があると感じた。当事者への取材を重ねても、クレプトマニアとはこうだ、とまとめる気持ちにはならなかった。むしろ、聞けば聞くほど、どんな経緯で万引きするようになったか、そのときの気持ち、なぜやめられないのか、といった事情は人によると感じるようになった。

なぜ万引きするのかという問いに、「この品物のために自分のお金を使いたくない」という気持ちが強い人もいれば、万引きするときのスリル、誰にも見つからなかったという成功感をあげる人もいる。盗んだものをすぐ食べる、使うという人がいた一方で、さわりもしないで押し入れに入れたままという人もいた。

■社会的な地位や、コミュニケーション能力とは関係なく発症する

当事者のなかには、万引きで検挙された当時、医師、公務員など責任ある仕事に就いていたり、地域コミュニティーにリーダー的にかかわったりしている人たちもいた。かといって、おおかたが高い教育を受け、責任ある立場にいた、というわけでもない。

そんななかで共通点をあえて探すとしたら、治療につながるまでは、万引きを病気の症状とはとらえず、自分の人格、「悪人性」に還元しがちだったことだろうか。

ある女性は「病院とつながるまで、こんなに常習的に盗んでいる人はこの世にいない。自分は日本一の万引き犯で、世界一狂っていると思っていた。病院のミーティングに出て、(同じような人が)こんなにいるのかと」と語った。「自分が覚悟をもっていればやめられるものだと思っていた」「(病院に来てみて)こんなにいるんだ。自分だけじゃないんだ」と話す人もいた。

治療の道を見つけるまで、いかに孤独に問題を抱え込んできたのかを実感した。自分のことを客観的に話そうとする人たち、ともいえるかもしれない。初対面の記者に本来話す必要などない、言いにくい話をあえて切り出す。ただし、これはクレプトマニアの人たちの特性というより、治療でミーティングなどを通して、自分を見つめ、発言することにある程度慣れた人たちの特性なのかもしれないと感じる。

程度の差はあれ、万引きによって家族や恋人、仕事など大切なものを喪失した経験のある人たちである。クレプトマニアについて聞くことは、その人の人生をそれなりの長さの時間軸で聞くことになった。多くの人たちは、かなり以前にさかのぼり、家族や身近な人のかかわりになんらかの原因を見いだしていた。

■年間4615億円に及ぶ万引き被害に、専門家はどう対応すべきか

国内の万引き被害の総額は、年間4615億円に及ぶという試算がある。2010(平成22)年、政府と民間団体による万引き防止の会議で示されたデータで、影響は被害に遭った店にとどまらず社会・経済に広く及ぶことを、あらためて考えさせる金額だ。

竹村道夫、吉岡隆(編)『窃盗症 その理解と支援』(中央法規出版)

する側も、される側も、損失や万引き対策のコストが最終的に回ってくる一般市民にとっても、万引きをなくせるなら、それにこしたことはない。今後、必要なことは何か。医療面では、医師や看護師、精神保健福祉士ら、より多くの専門家がクレプトマニアに関心をもち、知見を積み上げることだろう。

潜在的な需要に対し、知識、経験のある専門家は十分とはいえないのではないか。取材した患者、家族のなかには、万引きに関連して過去に受けた治療に対する不満、不信をあらわにする人が少なくなかった。別の医療機関で摂食障害の治療を受けていて、万引きをやめられないことも思い切って医師に伝えたが、あいまいに返されるだけで、万引きをすることの治療にはつながらなかったといったケースだ。

群馬県内にある赤城高原ホスピタルには、首都圏はもちろん、本州以外からも患者が訪れていた。本人だけでなく家族も治療にかかわっていく必要があることを考えると、通うのが負担にならない場所で治療を受けられることは不可欠だろう。患者の万引きが見つかり裁判を受ける事態になって、精神科医の意見や証言が求められることが今後増えることも考えられる。専門医が少ないという理由で、こうした機会が制限されたり、裁判が遅れたりすることはあってはならないことだと思う。

取材で出会った当事者は、治療につながったという意味で恵まれた人たちだった。病気との関連に思いをいたした家族や弁護士がいて、支えられていた。その一方で、何度も盗みを繰り返し、家族や友人との関係も途絶え、一人で苦しんでいる人たち、刑務所との行き来を繰り返している人がどれだけいるのだろうと考えざるをえない。万引きという病への偏見をなくし、必要な情報を伝えていくメディアの責任を、あらためて感じている。

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井田 香奈子(いだ・かなこ)
朝日新聞論説委員
1969年生まれ。東京大学大学院修了。1992年朝日新聞社入社。北海道報道部、京都支局、東京社会部、米国留学などを経て、現職。
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(朝日新聞論説委員 井田 香奈子)