7月19日、羽生結弦さんがプロスケーターへの転向を表明して約2時間後。テレビ東京の独占インタビューに応じてくれた。

これまで世界のトップで戦い続けた羽生さんの苦悩、その中で得たものとは。そして今後の夢についても聞いた。

ー決意表明を終えて心境は?

会見を終えてからちょっとだけ時間が空いたので、少し整理がついたり頭の中を少し休められたりしました。自分としてもさっきの会見がすごく前向きにできたことが良かったなと思っています。

皆さんの中では競技会での羽生が見られなくなって寂しいという声もちらほらあって「そっかぁ」と思いながら見ていたんですが、これからももっと良いスケートを見せたいと思っています。次のステージに立ったんだなと思ってもらえるような演技ができるように努力していきたいなと思います。

ープロ転向についてコーチと話は?

コーチだけには言いました。憶測で(記事などが)わーっと流れるだろうなという感じはしたので、メディアに案内文を出させて頂いた直前にコーチに言いました。クリケットでお世話になった3人のコーチにだけ話しました。

「会見で出た言葉を聞いてほしい」と最終的には言ったんですが、英語では中々伝わらないニュアンスもあったと思います。前向きな言葉で伝えさせて頂いて、その上で「君の選択を尊重しているし、君と一緒に滑った日々が楽しかった。またすぐトロントに来てね」と言ってもらいました。

ー過去の大勢の恩師たちについて

僕が小学校1、2年生の時にオリンピックで優勝したら何て答えるんだろうと想像していたことがあって、その時にこれからスケートを見てもらう先生方の名前と幼稚園から大学までの全先生の名前を言おうと決めていたんです。

結局、抜けたら嫌ですし言わなかったんですが。スケートだけじゃなくて生きていく中で色々なことを教えてもらえる先生方に感謝したいなという気持ちでいました。

実際にオリンピックを連覇して、こうやって次のステージに立てる時に今までお世話になった方々の顔が1人ずつ思い浮かんできますし、皆さんに感謝を申し上げたいと思っています。ここで言うべきでないこともあると思うので、個人的にこっそりお礼したいと思います。



ー北京五輪後に恩師・都築章一郎先生からもらったメッセージとは?

今でもあの時の言葉を思い出します。「お前ほど報われたスケーターがどこにいるんだよ」と言われた時に「本当だな」って思いながら、今もその言葉は常に考えながらというか、胸の中のかなり芯に近い部分にある言葉ですね。

特に北京五輪は自分にとっては上手くいかなかった部分もあって結果も取れなかった悔しさがある状態で。足首も痛い、心も体もボロボロの状態で最終的には終わりました。だからあの言葉はすごく沁みました。あの言葉があってこその今の幸せなのかなと思います。