どんな企業や組織でも、上司と部下に挟まれては胃がキリキリ痛んだり、時には権力をバックにつけ暴走気味な場合もあったりと、「中間管理職」と一口に言ってもさまざまですが、クルマの世界においても「まるで中間管理職だな」と思うクルマがあります。

中間管理職が乗りそう、ではなく、それ自体が中間管理職のオジサンみたいなクルマ、今回は3台の三菱車を紹介しましょう。

水島派 コルト1000F / 名古屋派 コルト1100(1966年)

■派閥争いに巻き込まれた?財閥系大企業の中間管理職

(左上)三菱 コルト1000F / (右下)三菱 コルト1100

クルマの中には、メーカーの合併で似たクルマが複数販売されるケースがあり、大抵はどちらか本命だけが残って片方は廃止するか本命の姉妹車として存続します。

しかし、そんな事情もないのに派閥争いのごとく複数の工場で似たクルマを開発、しかも両方とも量産、販売してしまうケースがあり、それが三菱の水島製作所(岡山)のコルト800F(1965年)と、名古屋製作所&京都製作所のコルト1000(1963年)。

1966年には前者が1,000ccのコルト1000F、後者が1,100ccのコスト1100となり、ボディが異なるとはいえユーザー層が被る2台は、さながら支社の派閥と利権を守るべく神経を使って立ち回る、いかにも大企業にいそうな中間管理職のようでした。

結局どちらも地味で売れ行きは今ひとつでしたが、初代ギャラン(1969年)でようやく両者は統一、三菱初のヒット作になります。

ギャラン(8代目GDIエンジン搭載車・1996年)

■世界初!量産車用直噴エンジンの未熟成で責任を取らされる

三菱 ギャラン VR-G(8代目)

今では当たり前の直噴エンジンですが、8代目ギャランに世界初の量販車用直噴エンジン「GDI」が搭載された時はもうお祭り騒ぎで、三菱の技術は世界イチィ!と喧伝しては、搭載車に「GDI CLUB」のステッカーを貼りまくりました。

いわば、同期より出世は遅れたものの、長年の苦労が報われる大型契約を取ったギャラン課長は、社長賞や急に事務の女の子からモテモテになったりと、有頂天。

しかし、ほどなく8代目ギャラン初期型の1.8L GDIは熟成不足が判明、ディーゼルエンジンのようにガラガラと異音を立てるなど各種不具合で連日クレームの嵐になってしまいます。

ついに「GDI」ブランドを廃止した三菱で、最後は「VR-4やレグナムは良かったんだけどねェ」とブチブチ言っていたギャラン課長は、出世の道も閉ざされたまま国内販売から消えていきました(ギャランフォルティスは実質ランサー)。

ランサーセディア(6代目ランサー・2000年)

■エボリューションしなかった「その他大勢」

三菱 ランサーセディア(6代目ランサー)

サイズアップした7代目がギャランフォルティスを襲名、8代目ギャラン課長の後釜に座った後も出世できなかった中間管理職が、当初ランサーセディアを名乗った6代目ランサー。

当時のギャラン店・カープラザ店双方扱いとなり、後者向けミラージュセダンとの統合が改名理由とも言われますが、ギャラン店でも同じ名前で、普通にランサー係長のままで良かった気もしますし、セディアは「課長補佐心得」くらいの意味でしょうか。

実際、ギャラン店とカープラザ店が統合されて1チャンネル制になると、2003年にただの「ランサー」へと名前を戻し、1.8Lターボの「ラリーアート」でスポーティ路線もアピールするも、ランエボに比べれば、名刺にプリントさせる資格マークが1つ増えた程度の違い。

7代目では国内からランエボX以外に名前が消えましたが、出向先の台湾では元気ハツラツ、今でもグランドランサーとして元気に販売中です。

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