スーパー耐久第3戦SUGO3時間レースを走る「MAZDA2 Bio concept」(写真:マツダ

往年の「MAZDA SPEED」とは、何が違うのか。本社直轄の、いわゆるワークスチーム活動なのか。

2022年になって表舞台に出てきた「MAZDA SPIRIT RACING」について、マツダユーザーも含めて、世間では理解されていない部分が多いように感じる。

なぜならば、その背景には100年を超えるマツダの歴史の中でのさまざまなチャレンジがあり、さらにマツダが新しい時代に向けて直面している大きな課題があるからだ。

筆者は2022年に入り、スーパー耐久シリーズに参戦するMAZDA SPIRIT RACINGの取材を続け、第3戦が終わった段階でようやくその全容が見えてきた。

バイオ燃料でスーパー耐久に参戦

スーパー耐久シリーズ「第3戦 SUGOスーパー耐久3時間レース」は、2022年7月9日〜10日に宮城県の「スポーツランドSUGO」で行われた。ここでMAZDA SPIRIT RACINGの「MAZDA2 Bio concept」が無事に完走を果たしたのだ。

1カ月ほど前の富士24時間レースでは、レース終了の1時間20分前にクラッシュしてしまい、マシンのフロント部分にダメージを受けて自走が難しくなったため、無念のリタイヤに終わっていたから、念願の完走だ。

前戦でクラッシュしたマシンは広島マツダによって完全に修復され、SUGOでの練習走行と予選では、富士24時間で課題となったトランスミッション関連も含めて特に問題もなく、順調にことは進んだ。

決勝レースは出走台数が多いことから2グループ制となり、MAZDA2 Bio conceptは午前8時45分という、一般的な決勝レースとしてはかなり早い時間帯でのスタートとなった。スターティンググリッドには、マツダの丸本明社長と青山裕大専務が応援に駆けつけた。


スタート前、丸本明社長と青山裕大専務、ドライバーとともに(写真:マツダ)

マツダがエントリーするST-Qクラスには、カーボンニュートラル燃料を使うスバル「Team SDA Engineering BRZ CNF Concept」や日産「NISSAN Z Racing Concept」、水素燃料を使うトヨタ「ORC ROOKIE GR Corolla H2 concept」など、次世代バイオディーゼル燃料を使うMAZDA2 Bio conceptと同じように、未来に向けた研究開発の場として参戦している自動車メーカーがいる。

この日は好天に恵まれ、外気温は30度を超えていた。アスファルトやコンクリートからの照り返しが強い中、各チームがピット作業をこなしていく。

3時間におよぶ決勝レースがスタートすると、MAZDA SPIRIT RACING関係者全員の顔には“たしかな自信”が漲る。

24時間レースという大舞台を経験したことで、皆がモータースポーツに関わる一員として、また企業人として、そして一人の人間として“ひとまわり大きくなった”ように見える。

レース序盤に全コースで徐行となるフルコースコーションとなったが、チームは臨機応変にレース戦略を変更し、見事に完走。チーム代表であり、マツダの魂動デザインを支えてきた現シニアフェロー(ブランドデザイン)の前田育男氏は、ホッとした表情を見せた。


3時間のレースを完走した「MAZDA2 Bio concept」(写真:マツダ)

未来のマツダを考える場所に

ここで改めて、“MAZDA SPIRIT RACINGとは何か”を前田氏の説明をもとに紹介しておく。

チーム発足の直接的なはじまりは、2019年だ。それまで、さまざまなモータースポーツにプライべートで参戦していた前田氏が「マツダとしてスーパー耐久に出場するチームを作ろう」と発想。まずは、前田氏自身がスーパー耐久にプライベートチームでドライバーとして参加し、チーム運営のノウハウを現場で学んだ。

スーパー耐久は全国を巡る本格的な通年のシリーズ戦だが、参加者の多くはさまざまな経歴や職業を持つ、プロフェッショナルではない人たちだ。プロフェッショナルドライバーが助っ人として参戦しているチームもあるが、全体から見れば少数派である。

チーム運営の規模や費用にも差があり、大型トランスポーターや休憩施設を持ち、億単位のお金をかけるチームもあれば、チーム関係の“持ちより”で成り立っているチームもある。しかし、いずれの場合も、“モータースポーツを楽しむ”という純粋な気持ちに満ちている点は変わらない。


MAZDA SPIRIT RACINGのチームメンバー(写真:マツダ)

そんな中で、学生時代からプライベートでモータースポーツに参加し続けてきた前田氏は、「こうした場にマツダも企業として参戦し、マツダ車を愛するユーザー、またマツダや販売店の社員とともに未来のマツダを一緒に考える場が必要だ」と考え、行動に移した。これが、MAZDA SPIRIT RACINGの本来の目的だ。

そして、前田氏が中心となり、2022年からの実戦参加を想定して、チームウェアなどのデザインを含めたさまざまな準備を水面下で進めたのである。ところが、事態は急変する。

2020年に入ってからコロナ禍となり、2022年に入ってからはロシアのウクライナ侵攻によりエネルギー供給を含めた経済不安が日本を襲った。

また、政治主導による欧州グリーンディール政策の影響からグローバルで一気にEV(電気自動車)シフトが叫ばれ、日本では国が「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」を発表。

これに対して4輪メーカー、バス・トラックメーカー、2輪車メーカーでつくる業界団体の日本自動車工業会は、「カーボンニュートラルに向けた山を登る道はさまざまある」という表現を使い、EVのみならず既存の内燃機関が活用できるカーボンニュートラル燃料や次世代バイオディーゼル燃料の可能性を模索する動きを始めた。

スーパー耐久ST-Qクラスは、その研究開発を世の中に対して“見せる場”となったのである。


トヨタは水素エンジンの「カローラスポーツ」で参戦している(写真:トヨタ自動車)

「極秘裏に進めるように」と上司から

マツダ社内では、2022年からMAZDA SPIRIT RACINGの活動が始まることを知っていた人もいたようだが、そこにカーボンニュートラルが大きく絡んでいることを予想した人はほとんどいなかった。

実際、ディーゼルエンジン開発担当者は「2021年10月下旬に突然、バイオ燃料によるレース参戦を極秘裏に進めるようにと上司から話がきた」という。目の前のターゲットは、それから3週間後に岡山国際サーキットで決勝が行われる、スーパー耐久2021シリーズ最終戦への参戦だ。

そのため、2010年代からマツダのディーゼル車でスーパー耐久に参戦しているプライベートチーム「Team NOPRO」から車両を借りて、海外から輸入した化石燃料由来の軽油ではなく、日本国内で原料から精製までを一貫して行うユーグレナ社の次世代バイオディーゼル燃料を使用することに。


ユーグレナ社の次世代バイオディーゼル燃料「サステオ」(写真:マツダ)

まずは、この燃料を使った場合のエンジン内の燃焼状態を確認し、燃料制御プログラムの最適化を進めた。納期が短い中でトライ&エラーを繰り返して結果を出す、いわゆる“アジャイルな開発”がいきなり始まったわけだ。そして、スーパー耐久2021最終戦の参戦になんとこぎつけ、完走を果たす。

2022年はTeam NOPROからマツダとして買い上げたMAZDA2 Bio conceptに加えて、MAZDA SPIRIT RACINGの本質であるロードスターでのST-5クラス参戦もあわせて行うという、大所帯になることが決まっている。

当初、ST-5クラスへの参戦は第3戦SUGOからを予定していたが、富士24時間でのMAZDA2 Bio conceptの修繕などさまざまな要因から、ST-5クラスへの参戦開始は「モビリティリゾートもてぎ」で行われる「第5戦 5Hours Race」に延期された。

こうして始まった、MAZDA SPIRIT RACING。チームは、チーム代表/チーム監督/エンジニアをマツダ本社の幹部や社員が務め、マツダ車での実績が豊富なTeam NOPROと、マツダ本社地元の販売店である広島マツダのレーシング部門「HM RACERS」などの社外のレース関係者がサポートする体制だ。


広島マツダの精鋭「HM RACERS」の作業は機敏かつ的確で驚く(写真:マツダ)

ドライバーは、チーム代表の前田氏のほか、マツダの車両実験を行う社員や社外のエキスパートドライバーが務める。こうした混成チームであることが、実にマツダらしい。

だが、基本的には本社直轄のいわゆるワークスチーム活動であるといえる。なお、ST-5クラスのロードスターについては「ロードスターに関連するレース実績があるドライバーも含め、チーム体制を調整中」という。

マツダとモータースポーツの関係

さて、マツダのモータースポーツ史について、6年の月日を経て完成した『マツダ百年史 正史編・図鑑編』を紐解けば、これまでマツダ本社がレース活動全体を指揮するワークスチーム活動の期間が、意外と短かったことがわかる。

1964年の第2回日本グランプリに「キャロル360」で参戦したのがマツダモータースポーツの始まりで、1970年までの東南アジアやヨーロッパでのレース参戦が、ワークスチーム活動だった。

オイルショックの影響で日系メーカー各社がワークスチーム活動から撤退した1970年代は、ツーリングカーレースでの「サバンナRX-3」、富士グランチャンピオンシリーズでの「マーチ76S」など、マツダが有力チームに技術支援する形で国内レースを戦う。


「RX-7」や「RX-8」のルーツとなる「サバンナRX-3」(写真:マツダ)

これらは、マツダがドイツのNSU社とバンケル社と技術提携したロータリーエンジンの周知活動が主な目的だった。

1970年代も後半となると、マツダの経営再建が軌道に乗ったことでモータースポーツ参戦の中期計画を立てる。「第1次3カ年計画」では、「RX-7」によるアメリカ・デイトナ24時間レースを販売店のマツダオート東京チームと連携して、見事にクラス“ワンツーフィニッシュ”を成し遂げた。

同じ1974年には、マツダとして始めてルマン24時間レースにも挑戦している。このときは、マツダオート東京を含めたほかのチームと連携して参戦。さらに、1979年にはマツダオート東京として参加した。

続く「第2次3カ年計画」では、ヨーロッパの有力チームと組んで「ファミリア(Mazda323)」でラリーに、「RX-7」で耐久レースなどに参戦している。ルマン24時間をともに戦ったマツダオート東京への技術支援も強化した。

こうした中、ヨーロッパのラリー拠点として「マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ(MRT(E)」を1983年に設立。さらに同年、マツダオート東京などとマツダの共同出資で「MAZDA SPEED」を設立している。

その後も、1984年から「第3次5カ年計画」によって、モータースポーツ活動がグローバルでのマツダ車の販売強化を裏で支えてきた。さらに1989年から新たに4カ年計画を立て、その成果が1991年の「787B」によるルマン24時間での日本チーム初優勝に到る。


ルマン史上、唯一のロータリーエンジン搭載での優勝となった「MAZDA 787B」(写真:マツダ)

またバブル崩壊後の経営立て直しなどもあり、ルマン24時間での勝利を1つの区切りとして1992年10月、マツダは関連会社や有力チームなどと協力して行う形のモータースポーツ活動を休止した。

それから、2022年のMAZDA SPIRIT RACINGの本格活動開始まで、アメリカの耐久レースシリーズ「IMSA」など、地域のマツダ関連企業が主体とったレース参戦はあったものの、マツダ本社がチーム運営全体をマネージメントするモータースポーツ活動はなかった。

サブブランドとして育てていく

MAZDA SPIRIT RACINGの誕生は、1992年の休止発表から30年ぶり、1970年のワークス活動休止から数えれば実に52年ぶりのワークスチーム活動再開だと言えるのだ。

ただし、前述にようにMAZDA SPIRIT RACINGは、メーカー主導の「勝つことが絶対」といったガツガツした事業ではない。


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マツダの毛籠勝弘専務は、MAZDA SPIRIT RACINGのこれからについて「マツダの新たなるサブブランドとして継続的に展開できるよう、大切に育てていきたい」と豊富を語る。

ユーザーや販売店とマツダが手を取り合って、マツダのこれからのあるべき姿を追い求めていこうという、MAZDA SPIRIT RACING。参加するすべての人の笑顔が絶えないモータースポーツ活動が歩んでいく姿を、これからも近くで見守っていきたいと思う。

(桃田 健史 : ジャーナリスト)