■コロナ禍前を大幅に上回る5万人が参加

「政府が『盆踊りには行くな。他国の宗教行事に行くのは問題だ』と言い出したので、参加するかどうか迷ったんです。でも、行ってよかった。コロナ前の盆踊りより盛り上がっていて、とても楽しかったです」

会場には、例年を大きく上回る5万人が参加した(写真=在マレーシア日本大使館公式サイトより)

マレーシアで去る7月16日、クアラルンプール日本人会主催の盆踊り大会が同市郊外の会場で盛大に実施された。参加者数は実に5万人(主催者発表)。コロナ禍前の3万5000人を大幅に上回り、会場付近には一時「盆踊り大渋滞」ができるほどになった。

コメントをくれたのは、筆者が日頃、英国とマレーシアをつないで遠隔業務をしている縁で知り合ったイスラム教徒(ムスリム)の20代女性だ。ちなみに、マレーシアは英国から見ると旧植民地の一つ「英領マラヤ」から独立した経緯があり、ロンドンでも本格的なマレー料理レストランを数多く目にする。

マレーシアでの盆踊り大会は1970年代後半から行われており、日本古来の催しながら、現地の人々にも夏の風物詩としてすっかり定着している。

ところが、今年については少々様相が変わった。

■閣僚が「ムスリムは盆踊り大会に行かないように」

同国のイスマイル・サブリ首相が率いる政権で宗教問題を担当する閣僚、イドリス・アフマド首相府相が「盆踊りには他宗教の要素が入っているため、ムスリムは盆踊り大会には行かないように」と呼びかけた。これに加え、イスラム開発局(JAKIM)が、「盆踊りに異教の影響力の存在が確認された」との調査結果を公表したため、「ムスリムは盆踊りに行ってはいけないのか」と感じたマレー系市民の間で騒ぎが広がった。

なぜならJAKIMは、ムスリムが口にして良いとされる食料品等に対して付されている「ハラール(Halal)」マークの承認元になっているなど、「モノやコトがイスラムの教えに沿っているか否か」を客観的に判断する機関だからだ。それだけに、政府の宗教担当閣僚や承認機関が「盆踊りに行くな」と公言したことは、ムスリムの人々にとって非常に重い意味を持つ。マレーシア国内では、盆踊り大会に行こうとしていた市民の間で賛否両論の論争が巻き起こった。

■開催地の“王様”は政府に真っ向から反論

一方、宗教担当閣僚の発言の3日後、地元・スランゴール州のスルタン、シャラフディン・イドリス・シャー州王は、「盆踊り大会は実施して良い」とする、国の方針とはまったく逆の方針を打ち出した。国王が国の元首となっているマレーシアだが、各州(全部ではない)にもスルタン(州王)と呼ばれる州の君主がいる。

州王は、「数年前に盆踊り大会に参加したが、その際、盆踊りはイスラムの教えを汚すようなことはなく、日系企業社員らを対象とした単なる夏祭りのような社会的なイベントだった」と政府の判断に真っ向から反論。地元の宗教局に対し「盆踊りへの妨害行為は一切禁じるとした通知を市民向けに行う」ように指示も出した。

一部の市民の間では盆踊り大会の名称を「日本文化祭」または「社会祭」と改称する提案も出た。しかしこうしたアイデアに対し、多くのマレーシア人から「改称すべきでない」と反発する声も上がった。それほどまでに、日本の盆踊りは現地の人々に定着している催しといっても良さそうだ。

このように、開催前から政府の発言や州王の「ご判断」が話題を集めたこともあり、マレーシアで盆踊り大会に対する注目が一気に高まった。どんなことをやっているのか、と興味本位で訪れた市民もいたりしたため、コロナ禍前には3万5000人規模だった参加者数が一気に5万人まで膨れ上がったわけだ。海外で行われている盆踊り大会の類いでは、文句なしで世界最大のスケールとなった。

7月16日にクアラルンプール郊外で開かれた盆踊り大会の様子(写真=在マレーシア日本大使館公式サイトより)

■日本の音頭に合わせてマレーシア人が舞う

当日は、開門前の午後4時半から会場外に参加者の長い列ができ、浴衣(ゆかた)に身を包んだマレーシア人たちも多くみられた。会場中心には大きな櫓(やぐら)がそびえ立ち、日本の伝統的な音頭とクアラルンプール日本人学校の生徒たちの振り付けに合わせて来場者が見よう見まねで踊るといった様子だった。

午後7時15分に最初の踊りが始まると、参加者らのボルテージは一気に上昇。9時過ぎの終演まで、数多くのパフォーマンスが行われ、催しを楽しみにやってきた地元の人々と在住日本人たちが共に盆踊りの輪に加わる姿が見られた。

日本企業に勤めるマレーシア人男性は、今回はじめて家族と共に盆踊りに参加したという。「政府から『行くな』と言われた時はショックだったが、来てみたら日本の子供たちが踊る姿を見て大いに感動した。こんなに楽しい体験は、日本企業の皆さんがマレーシアでしっかりと根を張って活動しているからこそできること。宗教とか政治とかといった問題を抜きに、今後もずっと続いてほしい」と話してくれた。

現地の日本人駐在員男性は、「政治問題化したことが日本でも話題になったと聞き、開催できるのかどうか本当に心配した。無事に終わってよかった」とほっとした様子。日本人と一緒に働く地元スタッフが、こうしたイベントを通じて「ニッポン」を知ることで、社内のコミュニケーションの円滑化にもつながりそうだ。

■「あずきバー」7500本があっという間に完売

一方会場では、日本食を売る屋台も多く立ち並んだ。現地で活動する多くの日系企業が日本のモノを地元・マレーシアの人々に売り込む良い機会、とあって、これまた日本の夏祭りや神社の参道を思わせるにぎわいとなった。出店した48の企業のうち、井村屋(三重県)が現地生産している「あずきバー」は7500本があっという間に売り切れた。

マレーシアでムスリム向けハラルスイーツの製造・販売を手がける「ふぁん・じゃぱんマレーシア」の五木田貴浩代表は、ハラル大福を1000個以上持ち込んだが、踊りが始まらないうちに完売してしまったという。「ムスリムの方も大勢来られ、当初政府が問題視した“ヒジャブに浴衣姿”の方もたくさんいた」。「これまで実施してきた盆踊り大会そのものだった」と言い、当初の閣僚発言は大会実施になんら影響を及ぼさなかったようだ。

浴衣にヒジャブ姿の参加者も多くいた(写真=在マレーシア日本大使館公式サイト)

マレーシアの盆踊り大会は、当地の日本人会の主催で1977年に初めて開かれた。当初は、現地に進出した日系企業が工場従業員向けに福利厚生事業の一環として始めたものだが、これを周辺市民にも開放、地元の政治家もこぞって参加するほどポピュラーな「市民の行事」となった。

盆踊りはそもそも、先祖の魂を敬い、迎え入れるお盆に人々が一緒になって踊るものだが、これが「仏教の思想につながる」と感じてしまった閣僚がいたというわけだ。

■なぜマレーシアで「日本の盆踊り」が人気に?

マレーシアの巨大イベントとなった日本の盆踊り大会だが、これほどまでに人々を集めた理由はどこにあるのだろうか。筆者は大きく2つの理由があると考える。

一つは、マレーシア政府が日本とのつながりを持つ政策を打ち出して以来、40年に及ぶ歴史があること。もう一つはマレーシアが多民族社会であることだ。

過去からの経緯を辿ってみよう。日本とマレーシアをつなぐカギは40年前にさかのぼる。

90歳を超えてもなお現役政治家として活躍しているマハティール元首相は、最初の首相を務めた40年前、自国の経済発展のモデルに日本をお手本とする「ルック・イースト(東方政策)」を打ち出した。

今年5月に行われた講演で同氏は、ルック・イーストを導入した当時の考えについて、「(日本が第2次世界大戦で敗戦したにもかかわらず)不死鳥のごとく立ち上がるのを目の当たりにし、興奮した」とし、「壊滅的な打撃から自らを再建し、不自由で崩壊した経済を再建していた」と分析。マレーシアの進歩と経済的追求を示すモデルとして日本を見習う必要があった、と述懐した。

こうしたマハティール氏による政策導入に前後し、1970年代から日本の大手電機・電子部品メーカーがマレーシアに製造拠点を開くべく次々と進出。クアラルンプール郊外や同国北部のペナン州などでは今も多くの日系メーカーが操業を行っている。今回の盆踊りもパナソニックが持つ製造拠点の隣接地「コンプレックス・スカン・ネガラ・シャーアラム」で行われた。

■アニメやマンガで見た「日本の風景」がやってきた感動

もう一つの背景である「多民族が共存するマレーシアの社会」についても触れておこう。

盆踊り大会の現地ポスター

冒頭に触れた女性を含むマレー系の人々は、マレー半島に住むいわば先住民といえる人々で「ブミプトラ(マレー語で「土地の子」の意味)」とも呼ばれる。マレーシアではこのマレー系が7割弱を占める。日本と文化的親和性が高いと感じている中華系華僑が約3割弱、そして残りの1割弱をインド系の人々が占める。

マレーシア人は日本のアニメやマンガ、オンラインゲームに普段から接しているし、日本料理レストランもファストフード系から超高級レストランまでなんでも揃(そろ)っている。そもそも、3つの民族が共存して暮らしているという背景があるため、「他の文化の受け入れ土壌が柔らかく、浸透が早い」といった特徴がある。

今回の盆踊り大会のように、日ごろ慣れ親しんでいる日本のアニメやゲームの世界が、自分の目の前に展開される光景は圧巻だ。話を聞いた参加者からは、「ニッポンの景色やおいしい食べ物」が自分の街にやってきたことに感動している様子が伝わってきた。

■デリケートな「宗教問題」の垣根を越えた

盆踊りが政府を巻き込む「宗教論争」に発展したように、多民族国家にとって宗教はデリケートな問題だ。想像してみてほしいのだが、例えば自分の文化圏とは異なる2つの文化(自分がマレー系なら、中華系やインド文化)のうち、どちらかのイベントだったらこんなに気持ちよく参加できないだろう。

提供=現地発行フリーペーパー『Mタウン』編集部
ムスリムのほか、さまざまなルーツを持つ人々が参加するマレーシアの一大イベントになった - 提供=現地発行フリーペーパー『Mタウン』編集部

みんなが子供のころから憧れてきた日本のものだからこそ、宗教の垣根なしにより楽しめたというのが本音だったのではないだろうか。今回の盆踊り大会の告知ポスターも、3つの民族の共存を意識したデザインが採用された。

5万人の盆踊り大会を通じて見えてきたものは、「マレーシアの人々は、民族・宗教に関係なく、日本のコト・モノをこよなく愛している」ということに尽きる。5万人もの人々が日本のイベント」を開催前から心待ちにし、そこを訪れた事実はとても大きい。

日本は外国人の入国にいまだに厳しい水準を設けているが、これほどまでに日本に熱狂する人々が海外にいることを忘れてはならない。こうした「日本好き」な人々をいかにして“ホンモノの日本”に来てもらうか、その戦略をそろそろ真剣に議論する時ではないだろうか。

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さかい もとみ(さかい・もとみ)
ジャーナリスト
1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。■Facebook ■Twitter
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(ジャーナリスト さかい もとみ)