世界最大の「お礼大国」である日本。日本と韓国のお礼文化の違いとは? (写真:Ushico/PIXTA)

個人では仲がいいのに、国同士になるとなぜもめ続けるのか? 韓国で新政権が誕生した今、両国関係はどう変わっていくのか? いったい何を理解すれば、日韓のもめ事が解決するのか? 
これに答えるのが、『最強の働き方』『一流の育て方』などのベストセラーでもよく知られる、在日コリアン歴40年のムーギー・キム氏。京都に生まれ、日韓両国の文化の中で育ち、世界中で学び働きながらも、物心がついたときから40年にわたり、日韓関係について考えてきた。
日本と韓国、双方の視点や互いの誤解、それぞれの価値観をまとめた新著『京都生まれの和風韓国人が40年間、徹底比較したから書けた! そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。――文化・アイドル・政治・経済・歴史・美容の最新グローバル日韓教養書』が発売された。著者が「人生を通じて最も書きたかった1冊」だという。
本記事では、そのムーギー氏が「日韓お礼文化の決定的な違い」について解説する。

世界最大級の「お礼大国」である日本

突然だが、日本は世界最大級の「お礼大国」であることをご存じだろうか? GDPではアメリカや中国に大きな差をつけられ、ドイツやインドにも追われているが、GDG(Gross Domestic Gratitude)に関していえば、世界最大級の産出量を誇っている。


日本に住んでいると「こんなもんか」と当たり前になってしまうが、海外で長らく住んだあとに日本に来ると、会話の節々が「ありがとうございました」だらけなことに気がつく。

お礼を受けることは多くの人の生きがいになっており、多くの人にとって重要な「非金銭的報酬」となっているのだ。

逆に言えば、何かをしてあげたと認識したときに、「お礼の気持ち」を感じられなかったときは、表面上はニコニコしながらも「『ありがとう』がなかった!」と内心怒っている人が極めて多い。

これは、日本人の「承認欲求」が強いことの裏返しだろうか?

芸能人が、よく「あの若手にお礼を言われたかどうか」をテレビ番組で大騒ぎすることがある。

また実際に、「あの人はお礼を言わなかったから重鎮に番組から干された」系の話も多く、いかに日本は「お礼」が重要な社会かが垣間見える。

逆に言えば、「丁寧なお礼」をされると非常に満足する人も多いので、外国人が日本で溶け込み受け入れられるためには、極力頻繁に、四方八方にお礼を言いまくることで、日本社会で「あの人は偉大な御礼人(おれいびと)だ」と一目置かれることになるだろう。

感謝していても「お礼は言わない」韓国人の謎

これに対して韓国人は、いわゆる「道端で通りすがりの人に道を聞いて教えてもらっても、お礼を言わないレシオ(比率)」が日本に比べて高い。親しい関係であれば、なおさらである。

これはよく言われることでもあるが、「兄弟の間でお礼なんて水くさい、そんな仲じゃないだろ!」という意味でもあるのだろうか、日本人ほどお礼を言わない人が多いのだ。

とくに、私のような京都というハイコンテクストで重層的な「お礼」が求められるカルチャーで育った私としては、「え!? ここでお礼を言わないの?」と困惑することも多い。

たとえば、韓国人は知り合って間もないのに人の紹介を頼んできて、善意で応じてあげても、そのあとに連絡やお礼がないことは、私の経験ではしばしばである。

これは、「感謝の表明」を重視する日本では、極めて無礼だと思われるだろう。実際に韓国本国出身者と交際すると、めったなことではお礼を言わないこともあった。

もちろん、このような描写が当てはまらない人はいくらでもいるのだが、全体的な傾向として「平均値の位置」は有意に違うように思われる。

ただし、私は韓国本国から日本に移住した親戚にも聞いてみたが、「たしかに韓国人は日本人に比べお礼を言わないが、決して感謝していないわけではない」という。

実際に「どこまでやってあげたら、『ありがとう』と言ってくれるか」が気になって、密かに「プチ社会実験」をやってみた。

相手がお礼を言わざるをえないようにたくさんプレゼントし、さらに「あれはどうだったか?」と話を振りまくって、ようやく「軽く短く心がこもってない愛想笑い」とともに「チョワヨ(よかったよ)」と言ってもらったこともある。

ちなみに、その人に復讐すべく、何かやってもらったときに、わざとお礼を言わずに無言の仏頂面を貫いてみたのだが、相手はまったく気にしていない様子なのだ。

「親しき仲」でお礼を言うのは「水くさくて失礼」?

この背景にあるのは、お礼を言う関係は「水くさい他人の関係」ということだ。「お礼を言う必要もないほど親しい関係であること」を示すという礼儀の一環で、お礼を言わないという「一周グルリと回った礼儀感覚」がそこにあるという人もいる。

ただ、この特徴をデフォルメして面白おかしく外国人に吹聴する人がいるが、実際は普通にお礼をする韓国人も多いことを申し添えておこう。あくまで「日本のお礼文化」に比べると違和感が生じることがある、という意味である。

日本人によくある、何かしてもらったらすぐ携帯電話でお礼メッセージを送り、家に着いたら追撃砲で「無事に着きました、あらためてありがとうございます」とメールを送り、翌日念押し兼ダメ押しで「みなさん、ありがとうございました! 引き続きよろしくお願い申し上げます!」とメッセージを送り合う日本式お礼カルチャーに慣れると、「韓国人はお礼が少ない、無礼だ」と思ってしまうことだろう。

「それにしても韓国は、謝罪要求はしつこいのに、感謝はサラリかい……」と、失笑される読者もいらっしゃるかもしれない。これについては、見た目からして全然違う人種なら「別枠」として認識しやすいが、外見が似ているだけに、違和感が生じてしまうということだ。

実際に、外見的にも文化的にも相違点が多い西洋人に対しては「少しの共通点」を見いだして称賛し、逆に共通点が多いアジア人に対しては「少しの違い」を見いだして非難する傾向はよく知られた現象である。

なお時折、「日本のお礼文化も、行きすぎているのではないか」と思うこともある。

たとえば少しいいレストランや料亭だと、客が見えなくなるまで90度腰を曲げて、お辞儀されることも少なくない。運悪くレストランが長い通りに面していて曲がり角がないときは、それこそ客の後ろ姿が小さな黒点になるまでお礼が続く。

そのような状況が気詰まりなため、私は全速力でダッシュしたり、自動販売機の影に隠れて「お礼封じ」に出るのだが、皆様はどうされておられるだろうか。

在日コリアンも、「お礼」を非常に重視?

末筆ながら、京都生まれの在日コリアンの場合はどうだろうか? たとえば最近、私とほぼ同じような名前の弟が、株主提案でフューチャーベンチャーキャピタルの経営陣を全交代させ、自分が社長になるという異例のニュースが資本市場を駆け巡っていた。

私が親切に今後の展開に関してアドバイスのメールをこの弟に何通か送ったのに、「ありがとう」どころか全部無視され、腹を立てている私を、母のミセス・パンプキンが「いい歳して、しょうもない!」となだめるという局面が家庭であった。しかし、京都文化と韓国儒教文化の在日コリアンの私にとって、年下の弟に感謝なく無視されるのは、この上なく腹が立つことなのだ。

この無用な争いは、「ありがとう」の一言があれば避けられたはずだ。そしてこれは国家間でも同様で、「ありがとう」を一言いうかどうかが関係構築にとって重要なのである。

往々にしてどこの国も、「うちは隣の国にこれだけすばらしいことをしてあげたのに、相手は本当に恩知らずだ!」とプンスカしているケースが多い。

しかし相手国から見れば、自国こそ感謝されるべきだと思っていることが多いのだという教訓を新著『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』から紹介したところで、本日のコラムとさせていただきたい。

今回もお読みくださり、ありがとうございました!

(ムーギー・キム : 『最強の働き方』『一流の育て方』著者)