グラフィックデザイナーの西出弥加さんと訪問介護の仕事をする光さん夫妻は、夫婦ともに発達障害という共通点があります。妻はASD(自閉スペクトラム症)、夫はADHD(注意欠如・多動症)の特性をもち、お互いに助け合いながら暮らしています。苦手分野を克服しながら生きてきた2人ですが、今回は二人の子ども時代について振り返ってもらいました。

発達障害夫婦がお互いの子ども時代を振り返って…

私たちは発達障害同士の夫婦です。今は互いに工夫をしたり環境を選んで生活しているので、心身ともにずいぶんラクになりました。しかし、そんな私たちも子どもの頃は大変なことが多かったです。今回は夫婦の幼少期や学生時代の頃を振り返ろうと思います。

学生時代の経験から、人に優しくすることを心掛けている夫の光さん<写真>

●チックが治らなかった夫。仲間外れの原因にも…

ADHDの光くんは、子どもの頃「なんでウインクしてるの?」と友達に言われていました。しかし自分でもわざとしているわけではなく、いわゆるチックと呼ばれるものなので、本人からしたらショックです。そして、言葉をかけてくる同級生たちも悪気があるわけではありません。

チックとは、本人の意思とは関係なく急にとある動作が起こってしまうこと

また、多動が激しかった光くんは、中学、高校に上がるにつれて仲間外れにされたりもしました。お昼にお弁当を食べる際、「お前の席貸してよ」と席を半ば無理やり移動させられ、仲間に入れてもらえないこともありました。「この人なら友達がいないから席を変わってくれるだろう」と思われたのかもと光くんは振り返ります。また、座っていたらいきなり洗濯バサミを鼻につけられたり、つねにからかわれがちでした。
ひとつひとつのエピソードは些細なことなのですが、ちょっとした「仲間外れ感」が積もりに積もって、孤独を感じる学生時代でした。

また、ボールをぶつけられてメガネが割れたり、雨が降ったときに、水びたしになったバスケットコートのほうを使えと言われたりしていました。そのバスケットコートには水溜りがたくさんあり、ボールをついたら泥で汚れてしまうので、ドリブルができません。その水溜りのせいでスリーポイントシュートしかできないので、ほぼ「君は使えないところを使え」と言われている感覚です。光くんは、水浸しになってない方を使ってる人と一緒に、ドリブルの練習がしたかったのです。

この微々たる「仲間外れ感」は、ずっとなくなりませんでした。このようなことが続き、心に積もってしまったモヤモヤを、先生や友達、家族に言おうとしても「微々たることだ、気にするな」と言われるかもしれないと感じてしまい、誰にも言えなかったというのです。

●大人に誤解され続けた妻

一方、妻である私はというと、先生や周りの大人に誤解されることが多かったです。

私は家庭環境やアスペルガー気質のせいなのか、ものすごく無表情でした。母が私に「あなたは0歳の頃からずっと、予防注射でも一度も泣いたことがない、顔の表情も変わらない」と言われていました。どんなことが起きても笑わない、泣かない私を「生意気な、達観している子」と思う先生もいました。

私は、笑いたいし泣きたいときもありました。でも表情筋が発達していないことや、人の反応が怖くて体や顔で表現できなかっただけなのです。しないのではなく、できませんでした。

そして小学生のとき、先生につけられたあだ名は「無表情」です。特にいじめというわけではないのですが、「表情を出したいのになあ」というモヤモヤが常につきまとっていました。

また、これもアスペルガーのせいか性格のせいかわからないのですが、物事を物理的に捉える癖があり、感情を話す前に物理的にどうなっているのかを言葉で伝えることが多かったです。あたかも冷静に見えてしまうのですが、これは冷静だったのではなく、このような発想しか持てなかっただけで、決していきがっていたわけではないのです。

このような私を嫌う先生もいて、すごくがんばってテストで90点以上を取り続けたときも通知表は5段階中5にはならず、4か3にされました。いくらがんばっても内申点が上がらない、受験にも響くと思うと軽くパニックになりそうでした。
学生の私にとっては学校がすべてであり、逃げ場がありません。しかし先生の言うことを聞いて、明るく素直に真正面から先生を見て「はい! わかりました!」と言えない自分でした。人と目を合わせるのすら苦痛だったので、合わせたくないわけでもなかったのに、誤解に誤解が重なって、その先生はものすごく私を嫌いました。

表情のせいで「嫌な女」と先生に言われたこともありました。なぜ私は大人に嫌われるのかまったくわかりませんでした。

今また出会えたら「先生ごめん、私のアスペルガー気質のせいかもしれないです」と話せると思うのですが、その頃の私は幼かったので、自分のことすらわかりません。自分を今みたいに客観視して分析できません。私の何がいけなかったのか、なぜ嫌われるのか、なぜ頑なに私だけ目を合わせてもらえないのか、まったくわからず1人で泣いていました。私にも感情は多少、あったのです。

本当は甘えたいのに無表情だったので「君はいつも余裕だから1人でできるよね」というレッテルを貼られて「保護者」というあだ名をつけられたこともありました。

みんなのように「さやかちゃん」と下の名前で呼ばれたかったのですが、「西出さん」と呼ばれることしかなく、しっかりしてるから大丈夫と思いこまれていました。そんなわけで私は大人に甘えた経験が一度もありません。

 

●つらい幼少期を過ごしてきた私たちが今思うこと

光くんは学生時代の経験から、人に優しくしたいと思うようになりました。

夫婦間でも光くんは、私が単刀直入に言葉を発しても、怒りません。いつも優しい対応をしてくれますが、無理をしているわけでも、ストレスをためているわけでもないようなので、長年の経験が今の優しい光くんをつくったのかもしれません。

また、私自身は、人を外見や表情だけで判断するのはやめたいと思うようになりました。現在、私たちはYoutubeでも配信していますが、そこでも相談に乗ることが多いです。うまくできているかわかりませんが、できるだけみなさんとともに、ラクに、楽しく生きていく方法と探していけたらいいなと思っています。