幼少期、全国的なAKB48ブームが起きた。仲村も大阪の地でこのブームの波にのまれていた。板野友美のファンになった。私もいつかアイドルになりたい。そう思うようになっていた。

仲村「その夢は家族にも話していました。かわいい衣装を着て、歌って踊る人になりたいと思っていました。それか、バラエティ番組が好きだったから、テレビに出る人になってみたかった。テーマパークに行ったら並ばずに乗れるのかななんて思って(笑)」

 小学校では人見知りだった。勉強も運動も平均。身長は低い。学校で目立てる場面はなかった。

仲村「大阪だと面白い人がクラスの中心になるじゃないですか。そういう人たちにも私は興味がなくて。何も考えずに生きていました。家に帰ったらテレビを見るかゲームをするか。そんな毎日でした」

 ある日、地元・大阪に秋元康プロデュースのアイドルグループができると聞いた。チャンスだと感じたが、NMB48に申し込むには年齢が足りなかった。

 中学に上がると、現実を知る。アイドルになる自分を想像できなくなった。いつしか諦めるようになったが、心のどこかにある根っこが絶えていたわけではなかった。

仲村「高校2年の時、NMB48の5期生に応募してみたんです。そうしたら、三次審査まで通って、最後の17人に残ることができました。しばらくレッスン場に通って、最終セレクションを受けることになりました。でも、最後の審査に落ちてしまって、アイドルになることはできませんでした」

 挫折だった。それでも、アイドルまで手を伸ばせば届くところまで近づけた。夢だったアイドルが現実に感じられた。次のオーディションを探すと、名古屋のグループがヒットした。

仲村「最終セレクションに落ちた数か月後、今度はSKE48を受けたら、なんとか合格できました。同期に聞くと、私が一番大泣きしていたみたいです。大阪の同級生には1人だけ伝えました。『私、アイドルになるから名古屋に行くんだ』って」

 17歳を前にして名古屋での一人暮らしが始まったが、がらんとした部屋で趣味のゲームをしていれば寂しさは感じなかった。それは何年も変わらない。しかし、グループ内の出世レースに後れを取っている現実に変わりはなかった。

 そんな仲村が輝いた日があった。今年3月、SKE48劇場でのソロ公演だ。1人4曲ずつ、自分の好きな曲をセレクトして、ファンの前で歌える。仲村は張り切っていた。

仲村「私、アイドルっぽい曲が好きなんです。アイドル=かわいい、なので。自分で映像を見返してみたら、楽しそうな顔をしていました(笑)」

 表情から楽しさがこぼれ落ちていた。こんな顔もできるのかと驚いた。仲村の楽しさのバロメーターは目である。目ですべてを語ることができる。

 自分が好きなものには心を開放できた。なのに、そのソロ公演の頃から始まった新公演のレッスンでは悪戦苦闘していた。心に鍵がかかったままだったからだ。

 その瞬間は3回目のレッスンで訪れた。すでにSKE48の公式YouTubeでもその様子はアップされている。その日はレッスン前に、「今日は大きな声で歌おう」とメンバーで確認し合ってから臨んだ。なのに、先生から「全然声が出ていない」と叱られた。レッスンが終わると、後輩の青海ひな乃が「ちょっといい? 話し合った意味ないやん」と意見した。青海は思ったことを黙っていられないタイプだ。

 仲村は思わず反論した。

「自分以上にやってる人がいるから、自分がまだまだだなと思って、自信持って言えない人もいるし。手を抜いてるわけじゃないから。それをちゃんと分かって言ってほしいです」

 最後はほとんど涙声だった。人前で話すのが苦手な人間が初めて壁を越えた瞬間だった。その瞬間を振り返る。