※この記事は2022年02月25日にBLOGOSで公開されたものです

今年1月、イギリスの放送界に激震が走った。日本のNHKにあたるイギリスの公共放送BBC(英国放送協会)の受信料制度が数年後に消える可能性を、同国の担当大臣が示唆したのだ。

公共放送の未来はどうなるのか。イギリス在住ジャーナリストの視点から考えてみたい。

BBCの受信料は年間2万5000円

BBCはちょうど100年前(1922年)に、民間の放送局として産声を上げた。開局から数年後に公共企業体となり、イギリスで最もよく利用されている放送局である。

BBCの国内の活動費は、NHKの受信料に相当する、「テレビライセンス料」(以下、便宜的に「受信料」)で賄われている。

受信料は年間159ポンド(約2万5000円、カラーテレビ放送)で、視聴世帯から徴収する。

民放をはじめ私企業の経営には浮き沈みがあるが、受信料制度で一定の収入が確保されてきたからこそ、BBCはこれほど長期にわたって存在できていたのかもしれない。

そんなBBCの受信料制度が廃止になるかもしれないというのだ。その経緯と今後を見てみよう。

受信料廃止案はBBCも寝耳に水、背景にはあの疑惑?

まず、1月16日、同国のデジタル・文化・メディア・スポーツ(DCMS)省のナディーン・ドリス大臣がTwitterで爆弾発言をした。

ドリス文化相はBBCの受信料が消えるとツイートした

受信料制度についての発表はこれが最後だ。高齢者が実刑判決で脅かされたり、執行人がドアを叩いたりする時代は終わった。

素晴らしいイギリスのコンテンツを支援し、販売するための新たな財源について議論を開始するときが来た。

This licence fee announcement will be the last. The days of the elderly being threatened with prison sentences and bailiffs knocking on doors, are over.

Time now to discuss and debate new ways of funding, supporting and selling great British content.

ツイートには保守系大衆紙メール・オン・サンデーによる独占記事が埋め込まれており、記事によると、今後の受信料の金額を巡るBBCと政府の話し合いが終了し、大臣は「今後2年間、受信料は現行の金額で凍結」を決めたという。

現在、イギリスのインフレ率は5%を超え物価がどんどん上がっている。それなのにBBCの受信料は据え置きという状況は、実際にはBBCの予算縮小を意味する。しかも、何十年も続いてきた、受信料制度そのものがなくなれば、BBCの死活問題になり得る。

大臣の決断によって、BBCは「政府と戦争勃発寸前となった」(メール・オン・サンデー紙)。

翌17日開かれた下院では、議長がドリス大臣に国民生活に大きく影響する受信料についての政府方針はツイートする前にまず下院で報告するようにとがめた。

BBCの受信料値上げ率について報告をした大臣は「受信料制度が消える」とは言わなかったものの、「一生懸命働く家庭の財布に新たなプレッシャーをかけることを避けたい」という理由から、今後2年間の金額据え置き(凍結)を改めて発表した。

大臣は、同日、下院で、2年間の凍結後ののち4年間、BBCの受信料は「インフレ率に連動して値上げする」とも述べており、ツイッター上での発言はかなりトーウンダウンさせている。

実は、大臣がTwitterで爆弾発言をした日、BBC側はまだ政府との交渉が続いていると解釈していたという。「寝耳に水」で知らされた格好だ。

一連の発言は、ボリス・ジョンソン首相が新型コロナ感染症対策でロックダウン体制を敷いている際に仕事と称してパーティーを官邸で開いていたとされ首相の進退問題にまで発展した「パーティー疑惑」の渦中に行われた。

「BBCの受信料制度がなくなる」となれば大きなニュースで、国民的議論につながるのは必至だ。ニュースの矛先をパーティー疑惑からほかの話題に移動させるために爆弾発言を行ったというのが大方の見方だ。

お金に関しては政府に依存していたBBC

受信料制度は、BBCと政府の取り決めによってほぼ10年毎に更新されるロイヤル・チャーター(王立憲章)によって定められている。BBCによると王立憲章では公共放送としての目的と使命などの役割や財源が定められており、これに基づき政府は毎年の受信料が決定されている。

現在の王立憲章は2027年12月末まで継続する。つまりドリス大臣がツイッターでほのめかした受信料制度の廃止は、「2028年以降」の話で6年後だ。ただ、決して遠い先の話ではない。

王立憲章では、BBCの編集権の独立性についても保障されており、視聴世帯からの受信料で経営を賄う仕組みは、BBCが政府を含めた権力側におもねることなく、特定の利権に左右されることもなく、独立した報道を続けるための土台になってきた。

しかし、受信料の値上げや値下げなど価格改定のカギを握るのは政府だ。所轄の大臣がBBCとの話し合いを通じて合意案をまとめ、議会で発表する形をとる。まずはBBCと政府が合意しなれば、次の段階には進まない。BBCはお金に関しては、その首に「政府から縄をかけられている」も同然なのだ。

死守した受信料制度

現在の王立憲章成立前、政府とBBCの間で話し合いが始まる前の段階で、政府はメディア環境の激変を理由に受信料制度の存続を疑問視した。

しかし、もし受信料制度がなくなって、ネットフリックスのようにサブスクリプション制度になってしまえば、BBCが受け取る金額は大きく下がるというのが、メディア専門家などによる定説だ。そこで当時(2015年)の経営陣は政府首脳陣らに掛け合って、「次の王立憲章終了まで、受信料制度は維持」を確約させた。その代わり、BBCはある条件をのんだ。

10年ほど前から税金が負担してきた、75歳以上の高齢者世帯の受信料の支払いを2020年以降BBCが全額負担することになったのである。この条件を受け入れることで、政府側が受信料制度の維持を認めた経緯があった。これは、正式な話し合いが始まる前に、当時の政府首脳とBBCの経営トップが内輪で決めたことである。

(注:ただし、2020年から高齢者家庭の受信料無料制度はなくなった。BBC側の負担が大きすぎるため、低所得の高齢者家庭のみ、受信料を無料とする形に変更された)。

2年間の受信料凍結の意味

2027年度(2027年4月から28年3月)まで、BBCの受信料体制は続く。ただし、ドリス大臣が述べたように、2023年度までの2年間(最初の年が2022年4月から23年3月、2年目が23年4月から24年3月)、現行の受信料が据え置かれることになった。

エネルギー危機で光熱費が高騰する昨今、インフレ率を加味すると、ドリス文化相が議会で述べた「生活の圧迫にならない」財源を考えるべきという主張にも一理ある。

しかし、BBCの財源にとっては打撃だ。受信料がBBCにもたらす年間収入の総額は約37億ポンドで、これは総収入49億ポンドの約75%にあたる。今回の2年間の凍結で実質20億ポンドの減収と言われている。

今後、運営しているチャンネルを閉鎖せざるを得ないかもしれないと言われている。

受信料制度の将来は

今や選択肢が増え、視聴者それぞれが異なる時間に異なる媒体で異なる番組を視聴している。ばらばらになった視聴者に「全員が共有することを前提にしたサービス」を提供する、という前提が崩れている。

筆者自身は、このような状況だからこそ、世帯収入にかかわらず、すべての人に同じように質の高い視聴サービスを提供して「共通の議論の足場」を作る存在としてのBBCやNHKという公共放送の意義は大きいと思う。

イギリスには税金で負担される国営の医療サービス「NHS」がある。在ロンドンのある友人は、NHSに使われる税金を何十年も払い続けているが、「一度もNHSのお世話になったことがない」という。それでも、彼は税金を払い続ける。自分がたとえそのサービスを使わなくても、同じ社会に住む誰かが使える。NHSは社会のみんなのためのものだからだ。

公共放送にお金を払い、社会を構成する全員のためのサービスを維持できる国は豊かな国だろうと思う。