「念のためあの人もあの人も呼んでおこう」と人数を膨らませても生産性は上がりません(写真: takeuchi masato/PIXTA)
アメリカではビジネスへの経済学の活用が進む一方、日本国内を見てみると、その波に乗り切れているとは言えません。ビジネスに役立つ経済学が、なかなか活用されていない現状があるのです。
その一例が「会議」。良質な会議では、1人の人間による決定よりも優れた意思決定が可能ですが、それにはいくつかの条件があると言います。せっかく会議を開催しても、やり方によってはかえって意思決定の質が下がってしまうことすらあるというのです。
どうすればよりよい会議、そしてよりよい意思決定ができるのでしょうか。新刊『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』より、会議の適正人数を見ていきます。
会議のベストな人数は?
前回(「会議で判断誤る残念な人々と正しい人々の決定差」4月21日配信)では、質のよい会議を実現するための個人の態度について、さまざまな学知をもとに考察しました。今回は、それを踏まえて、会議のベストな人数について考えます。
会議の最適な人数について、常に正しい一般解を与えるような研究はありません。そもそも会議は現実のまとまったデータがないのです。いちいち会議データを外部に公表したり、秘密情報を晒し続ける組織はないからです。しかしさまざまな体験談や実験研究を通覧すると、それなりに見えてくるものがあります。
また、日本でいう日銀政策委員会のような、金融政策委員会を国際比較した研究があります。そのような委員会は人数やメンバーが公開されていますし、委員会の成果をその国の金融情勢と見ることができます。もちろん金融情勢は、金融政策委員会の力だけで決まるものではありませんが、一要素ではあります。
Erhart, Lehment, and Vasquez-Paz らは金融政策委員会の人数と、物価の安定性の関係を調べています。彼らは5人、7人、9人が定員の国は物価が比較的安定しており、また人数を増やしても安定性が上がるわけではないと結論付けています。これらの研究は、人数と物価安定性の因果関係を厳密に調べるといったものではありません。しかし実際の会議を題材にした研究として貴重ですし、非常に示唆的でしょう。
実際の会議ではなく、実験で会議やそれに似た状況をつくって、そこで人数が結果に与える影響を分析した研究はいくつか有力なものがあります。ざっと結論だけ述べると、「5人の集団は、1人の個人よりも、状況変化を正確かつ迅速に察知する」。これはまあ当たり前かもしれません。5人だと、いわばセンサーが5つあるわけだから、1人よりも状況変化に気付きやすい。
ところが4人の集団と8人の集団だと、ほとんど察知に違いはない。これは当たり前ではないですね。人数を増やしたからといって、判断のよさが上がるというわけではない。アメリカでは1970年前後に、多くの州で陪審員の人数が6人から12人へと増やされました。
しかし、この変更によって、以前ほどきちんとした議論が陪審員の間でできなくなった、という指摘が多くあります。やはり10人を超える人数は、会議には多すぎるのでしょう。わたしは会議に関する論文をかなり読んでいると思いますが、「10人以上のほうがよい」といった結果は見たことがありません。
人数を増やしすぎると会議の質のはなぜ?
コンドルセ陪審定理は、人数が多いほど多数決の正解率が上がると示しています。これは数学的な定理だから正しいはずです。では、なぜ人間はその定理が示すとおりの結果を生まないのでしょう。2つ主な理由があります。
第1に、人間は手抜きをする。自分が頑張らなくても誰かが頑張ってくれるから、自分は頑張らない。そう聞くと当たり前に聞こえるでしょうが、実験研究を見ると、そんなとき人は本当に手を抜きます。そして、それを怠惰とばかりとらえてはいけません。やりがいをもてないのですね。本人の問題というよりは、職場環境の問題です。やりがいをもつのが難しい職場環境となってしまっている。
この点は会議の構成員を決める力がある人に強く気を付けてほしい点です。成長意欲が高い人ほど、そのように意欲を削がれる状態に置かれることを嫌うだろうから。しかし人は「念のためあなたも参加して」と、安易に会議の参加者を増やしがちです。すでに多くの人数がいるなら、その人は頑張る意欲をもちにくいですし、その人が頑張ったなら他の人が頑張りを減らすでしょう。
第2に、人数を増やすと、1人当たりの発言時間が減ります。通常、会議は時間が限られています。実のある発言をするためには、各人にそれなりの発言時間が要ります。私が参加するある官庁の研究会は、参加者が40人くらいいて、時間は2時間です。込み入った内容を喋る時間はありませんし、議論の応酬はできようがありません。コンドルセ陪審定理だと、意欲や発言時間は扱われてないのですね。だから人数が多いほどよいという結果になる。
そしてコンドルセ陪審定理でさえ、人数が増えるほどメリットは増えても、メリットの増え方は減るのです。経済学の言葉でいうと、限界便益は逓減します。そして参加者を増やすにつれ、人件費はほぼ一定に増えていきます。まとめると、人数を増やすとメリットは増えても、だんだんメリットの増え方は減る。人件費は一定に増え続ける。だから人数を増やしていっても、ある点で、デメリットがメリットを上回る。
メリットとデメリットが逆転する点はどこ?
では、人数を増やすことによるメリットとデメリットが逆転する点とはどこでしょう?私なりの答えを申し上げます。1人と複数人のパフォーマンス比較では、ほぼすべての実験で、複数人のほうに軍配が上がります。そして、4人や5人から人数を増やしても、パフォーマンスはとくに上がるわけではなく、全体としては下がる傾向が強いです。
では4人と5人とでは、どちらがよいのか。私は5人を推します。メンバーの間で意見が割れたとき、奇数なら賛否同数にならず、多数決で決定を下せるからです。5人だと各人の発言時間も確保できますし、各人が自分の存在感を感じられます。では3人と5人ではどちらがよいのか? はっきりした答えはありません。実験によっては、3人から人数を増やしても、集団のパフォーマンスは上がらなかったと結論付けるものもあります。
学知の上手な活用が、ビジネスの質向上の鍵になる
あとは現場で判断ということになるのだと思います。それでも適切な参加者数は3人から5人程度と、範囲を絞れました。この知見は非常に便利です。
人間の集団行動は、社会科学に多くの学知の蓄積があります。ここで述べた成果はそのほんのひと握りです。実際にこれらの成果を適用するには、自分の関わる現実ケースと合致する研究をいくつも参照して、細かく検討する作業が必要です。例えば「投資先を選ぶ意思決定は何人がよいのか」という現実ケースと近い研究を選ぶというように、です。
ここで扱わなかったテーマもいくつかあります。例えばコミュニケーションコストです。例えば前回の記事では多様性のメリットについては述べましたが、そのデメリットについては述べていません。参加者が多様だとコミュニケーションコストが上がる、というのはデメリットです。極端な話、全員が違う言語しか使えなかったら、まともに意思疎通はできません。多様性だから何でもよいというわけではないのです。
そこで最後にもう一度強調したいのですが、大切なのは形式論ではなく実質論です。手段と目的を混同してはいけません。
(坂井 豊貴 : 慶応義塾大学経済学部教授・Economics Design Inc.取締役)
外部リンク東洋経済オンライン