ウクライナを最初に訪問したのは、チャンピオンズリーグ(CL)でディナモ・キエフがベスト4に進出した1998-99シーズンの4月。名勝負となった98-99シーズンの準決勝ディナモ・キエフ対バイエルンの第1戦になる。

 4月2日、他に選択肢が見当たらず、ボリースピリ空港から35USドル支払って乗り込んだ白タクは、フロントガラスにヒビが入った旧東ドイツ製のオンボロ車だった。キエフ市内までの道のりは40キロ。バイエルンの本拠地ミュンヘンが空港から市内まで35キロなので、道のりはそれより少しばかり長い。

 高速道路はなかった。一般道路を延々と走った。驚くほど真っ直ぐだったので、理由を運転手に尋ねれば、ボリースピリ空港はかつて軍用として使われていて、この一本道は戦闘機が着陸するための滑走路の役を果たしていたのだと返してきた。車窓に広がる光景を眺めながら、ひんやりとした気持ちに誘われたことを鮮明に覚えている。

 最後に訪れたのは2018年5月。CLファイナル決勝、レアル・マドリー対リバプールの取材観戦だった。この時はボリースピリ空港からキエフ市内の入り口までを往復するシャトルバスが開通していて、そこで地下鉄に乗り換えて市内に向かった。空港から市内に向かう直行電車が走ったのはその後らしいが、現在はその界隈はどうなっているだろうか。

 CL決勝の取材で毎度問題になるのは宿だ。両軍各数万のサポーターが訪れるのだから、不足するのは当然。ロンドン、パリといった欧州を代表する懐の深い観光都市でも、宿は簡単には確保できなくなる。

 2017-18シーズン決勝を開催したキエフは、例年になく厳しかった。やむなく民泊サイトにアクセス。アパートの間貸しを探すことになった。結果、貸主から少なからずの、おもてなしを受けることになった。朝食を作っていただいたり、市内を車で案内してもらったり、帰りは親切にも、空港まで送り届けていただいた。お土産に頂戴した名物の蜂蜜が絶品で、それからというもの蜂蜜と言えば、ウクライナ産ばかり買う習慣がついている。

 CL決勝の観戦取材後に向かった先は隣国のロシアだった。ロシアW杯を取材するために。日本にいったん戻った後、出直したわけだが、この2018年は、いま振り返ると印象深い年になっている。

 モスクワのシェルメチェボ空港に到着する瞬間まで、気分はこの上なく憂鬱だった。それまでの経験から、モスクワは筆者の中で訪れたくない都市の最上位に掲げられていたからだ。イミグレーションはいつも長蛇の列で、入国に何時間も費やさねばならなかったからだ。

 ところが到着してビックリ。係員が笑顔で迎え、開いているゲートへと誘導してくれたのだ。通過するのに1分とかからなかった。この驚き、感激はそれからおよそ1ヶ月強。ロシアW杯大会取材を終え、出国するまで維持された。筆者にとってロシアW杯は、通算10回目のW杯取材だったが、オーガナイズやおもてなしは過去最高レベルと言えた。1ヶ月強に及ぶW杯をどの大会よりも快適に取材することができた。後ろ髪を引かれるような気分でロシアを後にしたものだった。

 ほどなくして、2021-22年シーズンのCL決勝の舞台がサンクトベテルスブルクに決まると、再訪を楽しみにしたものだ。

 あれはいったいなんだったのか。CLとW杯取材のためにウクライナとロシアに立て続けに出かけていった2018年。いま振り返れば夢のような出来事になる。2018年より、2022年のいま現在の方が夢に見えてしまう。

 ウクライナには2012年にも長期間滞在している。ユーロ2012を取材した際だが、綺麗な風景等々、当時撮影した写真を再び眺めると、なんとも言えない気持ちがこみ上げてくる。良い思い出なのか、悪い思い出なのか、混乱させられる。