吉田麻也に続き冨安健洋も怪我で代表メンバーから外れることになった。この2人。森保ジャパンでは不動のセンターバック(CB)として括られるが、冨安は2019年アジアカップ(UAE)初戦対トルクメニスタン戦では、守備的MFとしてスタメンを張っている。ついその3ヶ月前、10代の選手として代表に招集され、CBとしてデビュー。その3戦目には守備的MFという別のポジションの選手としてプレーした。頼もしくも画期的な若手としてこちらの目に飛び込んできた。

 森保一監督には意見したいことがいろいろあるが、10代の冨安を代表に初招集し、デビューさせた点は称賛に値する。シント・トロイデンからボローニャを経て、現在アーセナルでプレーする冨安だが、森保監督が早々と代表デビューさせ、言ってみれば箔を付けさせたことが、出世の追い風になったことは間違いない。

 アーセナルでは、CBでも守備的MFでもない右SBとしてプレーする。所属クラブでプレーする時間の方が、代表チームよりプレーする時間より長いので、本職はどのポジションかと言えば、右SBになる。

 ボローニャ時代も同様に右SBでプレーしているので、代表ではつまり本職ではないポジションでプレーしていることになる。それに守備的MFを加えれば、冨安はプレー可能なポジションは3箇所になる。しかし、その多機能性を森保監督は活用できていない。自分でせっかく種を蒔いておきながら、その芽を刈り取ってしまった。

 冨安が毎度、CBとして吉田とコンビを組む森保ジャパン。だが、冨安が守備的MFや右SBとしてプレーすれば、CBは必然的に他の選手が務めることになる。彼らに経験を積ませることができる。

 昨年3月、日本はアジア2次予選でモンゴルと戦い14-0で勝っているが、この時もCBは吉田と冨安だった。他の選手を起用する絶好のチャンスだったにもかかわらず、この2人を使ってしまった。冨安をあえて使うなら、守備的MFや、その時すでに本職だった右SBで起用するアイディアは浮かばなかったのか。多機能性抜群の冨安を、非多機能的に使用してきたことは痛い。 

 両者が揃って不参加となったいま、ファンやメディアは、代わりに出場するCB2人のプレーに不安を募らせているが、森保監督が自分で自分の首を絞めていることに対する言及は少ない。モンゴル戦をはじめとするこれまでの起用法がどれほど好ましくないことか。その答えが現在の姿、森保ジャパンが苦戦する姿に見て取れる。

 ただし終わったわけではない。戦いはまだまだ続く。勝利を追求しながらその中に、どれほど実験的な要素を組み込めるか。そのアイディアの数が多ければ多いほど、選択肢は広がる。長い戦いが可能になる。森保監督の目標は本大会のベスト8。その短い試合間隔の中で最低5試合以上戦おうとしているわけだ。

 にもかかわらず、森保監督は東京五輪後、選手起用について詰問されれば、
「次を見越してやることはできない。もっと選択肢の幅を広げるために準備をしなければいけなかったかもしれないが、日本が世界の中で勝っていくためには1試合1試合、フルで戦いながら次に向かうことが現実的」と言い返している。以前にも述べたが、この発言は致命的だ。それならばベスト8などと言うべきではないし、それ以前に日本代表監督に適さない。その資質に根本的な部分で欠けていると言いたくなる。森保監督は冨安の多機能性を追求すべしだと、ここで述べようとしているこちらの行為も、完璧に無い物ねだりになる。原稿を書き続ける意欲は失せてしまう。

 めげずに意見を続ければ、現在の日本代表で最も外せない、世界レベルに近い実力者は誰かと言えば、筆者的には冨安となる。この選手をいかに有益な場所に配置するか。相手が嫌がる位置に配置できるか。その多機能性をどう活用するかが、試合を左右する大きなポイントだと考える。