「水谷選手は多いときには、月に3回受診することもあり、今までに計30回ほど来院していますね」

こう語るのは、三井メディカルクリニックの院長の三井石根さんだ。東京五輪の卓球ミックスダブルスで、金メダルを獲得した水谷隼選手(32)の主治医を務める。

’19年に水谷は、まぶしさで視力が急落し、ボールが見えなくなる“目の不調”を卓球専門WEBサイト「Rallys」で告白。一時は引退まで考えたという。

三井さんは、水谷が通院するようになった経緯をこう語る。

「水谷選手は2年半ほど前に、レスリングのリオ五輪金メダリスト・登坂絵莉さん(27)の紹介で訪れました。彼が初めて来院した際は、それまで視力回復への様々な治療を試しても上手くいかず、とても不安そうな表情で……。

検査の結果、レーシックの不具合から光の変化に瞳孔がついていけなくなり、ボールが見えなくなっていたことがわかったんです。サングラスだけでは補いきれないのでオサート治療を開始しました」

オサート治療とは、専用のコンタクトレンズを夜間装用することで、角膜表面の形状を矯正し、昼間の視力を上げるもの。レーシック後の修正にも効果的だという。

■「このご恩は一生忘れません」

「水谷選手にとって、ベストな状態にするため、今回の五輪ではこまめに連絡を取りあい、試合の時間帯にあわせて、レンズの装用時間を微妙に調整するよう指示しました」

決勝の前日も、三井さんは水谷本人にオサートレンズの装用時間を伝えたという。

「決勝進出が決まり、装用時間を相談するメールが来たので、決勝戦は夜だから一晩めいっぱい付けましょうと伝えました。決勝を目前にひかえた彼から『このご恩は一生忘れません』と嬉しいメールが届きました」

同じ静岡県出身の三井さんと水谷はコロナ禍前には一緒に食事することもあったそう。

「水谷選手が当時幼稚園に通う娘さんを連れてきたことがありました。彼はいつもと全く違う表情で娘さんにデレデレでしたね。娘さんは誰とでもすぐに打ち解けて物怖じしないタイプ。『おじさん一緒にゲームしよう!』とせがんで来るんですよ。卓球もやっていると言っていました」

水谷は主治医の強力サポートで、自らの視界だけでなく日本のモヤモヤも晴らしてくれたのだ――。