[画像] ポルトガル代表、「歴代最高の11名」

EURO2020のベスト16で強豪ベルギー代表とのビッグマッチを戦うことになったポルトガル。前回大会で優勝したディフェンディングチャンピオンが、ここで大きな試練を迎える。

今回は『Sportsmob』から「ポルトガルの歴史上最も偉大な11名の選手」をご紹介する。

ヴィトール・バイーア

ポルトガルの歴史上最も偉大なキーパーは間違いなくヴィトール・バイーアだろう。FCポルトと密接な関係を持っている守護神は若い頃から多くのタイトルに恵まれ、一時はバルセロナでもプレーした。

代表では1990年に21歳でデビューし、2002年まで80試合に出場。ただポルトガルがしばらく予選敗退を繰り返していたため、ワールドカップには2002年大会の1度のみの出場である。

ペペ

いつの間にやら38歳になったペペ。この年齢でもトップレベルを維持しており、おそらくポルトガルの歴史上でも最高のディフェンダーと評価されるべき存在だ。

レアル・マドリーでのキャリアではリーガを3回、チャンピオンズリーグを3回制覇。ブラジルからポルトガルに帰化したあと2007年に代表デビューし、それから118試合に出場している。

ナニ

「NEXTクリスティアーノ・ロナウド」と言われたために多少期待を裏切った感が出てしまったのが不運だ。現在アメリカのオーランド・シティでプレーするナニは、100試合以上の代表capを持っている名アタッカーである。

スポルティングで頭角を現しマンチェスター・ユナイテッドへ移籍、イングランドで長くキャリアを積み重ねた。若い頃の誇大広告さえなければ純粋なレジェンドになっていたはずである。

リカルド・カルヴァーリョ

現代のサッカーにつながるプレースタイルを持っていたリカルド・カルヴァーリョ。体格には優れなかったが、類まれなる知性を生かした守備、そして的確なビルドアップで活躍し、ジョゼ・モウリーニョ監督の「愛弟子」となった。

ポルト、チェルシー、レアル・マドリー、そしてモナコとビッグクラブに求められ、代表でも2003年から2016年まで長くプレー。EURO2016の優勝で有終の美を飾った彼は、引退まで89capを獲得し、5ゴールを記録している。

デコ

ペペと同じくブラジルから帰化してポルトガル代表の中心となった選手。2004年にポルト、2006年にバルセロナでチャンピオンズリーグを制覇し、異なったクラブで2度欧州の頂点に立った貴重な選手の一人だ。

2002年にポルトガルの市民権を獲得して招集を受託し、それから75capを獲得。EUROとワールドカップにそれぞれ2大会ずつ出場している。

マヌエル・ルイ・コスタ

世界で最も優れたMFは他にもたくさんいるだろうが、彼ほどサッカーファンを魅了した選手はなかなかいない。卓越したテクニックと繊細なパス、そしてアイデア。とにかく「美しい」プレーをする司令塔だった。

ポルトガル代表では94capを獲得し、26ゴールを奪取。3回のEUROと1回のワールドカップに出場。2002年大会ではグループステージ敗退に終わったが、ポーランド戦でゴールを決めている。

マリオ・コルナ

主にセントラルMFとしてプレーしたポルトガル伝説の選手。2014年に78歳で亡くなった彼は、16年のプロ生活のほとんどを愛するベンフィカで過ごし、19のビッグタイトルを獲得した。1961年、1962年にはUEFAチャンピオンズカップの連覇に貢献している。

また1966年のワールドカップに出場するなど代表でも57capを獲得。強烈なキックとゲームメイクを得意とした選手であった。出身地はモザンビークであり、引退後は母国に戻ってサッカー連盟会長や代表監督、スポーツ相を歴任していた。

フェルナンド・ペイロテオ

1930年代から40年代にかけて目覚ましい活躍を見せた、ポルトガルのサッカーの歴史上最初の名ストライカーといえる存在だ。プロキャリアのすべてをスポルティングに捧げ、総計544ゴールを奪い、6回の得点王に輝いた。

引退後の1961年にはポルトガル代表監督に就任し、短期間ながらも指揮をとった。なおその後は病気に悩まされ、合併症のため片足を切断しなければならなくなったほか、心臓発作のため60歳で死去している。

ルイス・フィーゴ

ポルトガル代表で127試合に出場し、当時の最多出場記録を更新した名ウインガー。後にクリスティアーノ・ロナウドに破られたものの、今もフィーゴの名前は伝説的なものとなっている。

スピードではなくテクニックで相手を抜き去り、正確無比のパスをストライカーに提供する。バルセロナとレアル・マドリーでプレーし、リオネル・メッシに次ぐ通算106アシストを記録した。

エウゼビオ

もちろんポルトガルの歴史上最も偉大なストライカーといえばエウゼビオである。1942年に現在のモザンビークで生まれた彼は若くしてポルトガルへと渡り、ベンフィカでデビュー。それからプロキャリアを通して745試合に出場して733ゴールを決めた。

スピード、テクニック、フィジカル、運動能力を兼ね備え、キャノン砲のような右足のシュートを持っていた。1966年のワールドカップでは大会9ゴールを奪取して得点王となっている。代表では64試合で41ゴールを決めた。

クリスティアーノ・ロナウド

もちろん最後はクリスティアーノ・ロナウド。これまで5回のバロンドールと4回の欧州ゴールデンシューを獲得してきた彼は、ポルトガルのみならず世界最高の選手として認められる者の一人だ。

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今回のEURO2020でのゴールにより、代表での得点数を109に伸ばした。アリ・ダエイが持つ数字と並び、ロナウドも「国際試合で最もゴールを決めた選手」となった。もちろん近日彼が単独トップになるだろう。