[画像] お酒販売の制限は「法律の委任範囲を逸脱」、自民党の緊急事態条項をめぐる議論は「野党も共犯」…倉持弁護士が指摘する“リベラル派”の矛盾 - ABEMA TIMES

 「緊急事態宣言」から「まん延防止等重点措置」に移行した東京都。飲食店での酒類の扱いについて、政府が提供を午後7時までとし、アクリル板などの設置、手指の消毒の徹底、マスク着用の奨励、換気の徹底の“4要件”とともに4人以内での入店を求めているが、都ではさらに厳格な滞在時間90分以内、2人以内での入店としている。

 そんな中で浮上した、来月23日に開幕予定の東京オリンピック競技会場での酒の販売問題。組織委員会は時間帯を制限するなど一定の条件を設けて認める方向で調整していたが、各方面からの批判を受け、一点取りやめる決定をした。

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■酒類の提供をめぐる対応「法律の下の規範に委任できる完全に範囲を超えている」



 今年3月に東京都に対し時短営業の損害賠償請求訴訟を提起したグローバルダイニング社の代理人も務める倉持麟太郎弁護士は、こうした状況に対し「僕たちには営業の自由、移動の自由、集会の自由があると教科書で学んできたはずなのに、現実味のない戦争についてはすぐにギャーギャー言う弁護士や研究者ですら、コロナに罹るかもしれないという恐怖からか、沈黙してしまっているのではないか。

本来、何を根拠に、どういう自由が制限されるのか、その目的と手段を詰めないといけないはずだ。オリンピック競技会場での酒類提供に関しても、大会開催時にはまん延防止等重点措置が解除されている可能性がある。法的にも酒類提供の禁止はできないのではないか」と指摘する。



 「まん延防止については、できることとして営業時間の変更がマックスだと法律に書いてあるし、西村大臣も“休業要請はできないし、しません”と答弁している。附帯決議でも、営業時間の変更以外のことはやりませんと言いながら、政令、さらに厚生労働省の告示によって酒類の提供を禁止したりカラオケの営業を停止した。これは法律の下の規範に委任できる完全に範囲を超えている。



 仮にエボラのようなものすごく強いウイルスが蔓延し、その辺で人がバタバタと死んでいるという時だったら、罰則をかけてでも感染の疑いがある人を連れて行く、ということも甚だしい権利制約とは言えないと思う。しかし今の状況で目的と手段、効果のバランスを考えた時に、カウンターでソーシャルディスタンスを取って一人で食べるような場合まで一律に制限する必要は無かったのではないか。

 そもそも去年の夏から今年の年初までは一応は“平時”だったわけで、そこで議論をし、きちんと立法をしておくべきだった。それがないまま、1月になって感染者数が増えて“有事”になると、急に法改正しようとした。緊急事態のオペレーションとしても、非常にお粗末だったと思う」。



 ライターの中川淳一郎氏は「共謀罪が議論されている時に国会前で反対デモをしていた方々は、この1年間さんざん私権制限されまくっているのに、なぜ声を上げないのか。なぜ“リベラル”と呼ばれる人たちは自由を放棄しているのか」と疑問を呈する。

 倉持氏は「それが理解不能なところだ。先日、重要土地規制法が成立したが、これも罰則については政令に投げられてしまっているので、弁護士会は“私権制限だ”と反対の声明を出した。しかし、なぜかコロナ特措法に対しては出さない」と応じた。

■緊急事態条項は「単に行政権の権限を強化するためだけのものではない」



 倉持氏が指摘した“平時”と“有事=緊急事態”について加藤勝信官房長官は今月11日、「新型コロナによる未曽有の事態を全国民が経験し、緊急事態の備えに対する関心が高まっているこの現状において議論を提起し進めることは絶好の契機である」として“緊急事態条項”を憲法に盛り込むための議論の必要性に言及した。

 憲法記念日の5月3日、菅総理は「緊急時において国家や国民がどのような役割を果たし、国難を乗り越えていくべきかそのことを憲法にどのように位置づけるかは、極めて重く大切な課題だ」と指摘。自民党も大規模な災害や他国による武力攻撃などの際、一時的に内閣の権限を強化したり、国会の機能を維持したりする緊急事態条項を憲法に盛り込む案を提示してきた。



 一方、立憲民主党の枝野幸男代表は「政府与党の中から、憲法に緊急事態条項がないから強力な私権制限ができないという妄言が聞こえている。憲法や法制度について無知なのか。それならそもそも憲法に基づき行政権を担うに値しない」と厳しく批判している。

 倉持氏は「僕らが普段有している権利を制限するとか、手続きを経ないといけないものができるようになるとか、立憲的な秩序を一度止める、その時に非常灯をどこにつけておくかと、というのが緊急事態条項の話なので、単に行政権の権限を強化するためだけのものではない。各国の緊急事態条項を見てみると、緊急事態では議会は解散してはいけないとか、裁判所は何日以内に司法審査をせよとか、憲法を改正してはいけないといったことが書いてある。その意味では、加藤官房長官の発言は論外だ。こんな時に憲法改正の話なんかできるわけがない(笑)。



 ただ、制限してはいけない権利のリストが書いてあったり、何カ月以内に国会の承認がなかったら自動的に解除されるといったことが書かれていることもある。緊急事態における僕らの権利をどうやって守るのか、国家権力をどうやってチェックするのか、という意味では必要なものだと考える。例えば今回の政府のコロナ対策を見ていると、与野党の密室の合意で作られたコロナ特措法によって国会の承認も何もなく、政令で何でもできる、しかも都道府県の首長に強大な権限を与えられるという法律が作られてしまった。

これにより、現行憲法下でもいくらでも私権制限ができてしまうことがわかった。逆に現行憲法下では、こうした権力の暴走を止められない。裁判所も違憲審査も消極的で、しかも高度な政治性があれば判断しない。



 この“空気”と“無法”の支配によって、権力者はコスパよく人々の行動変容を調達できたと思う。しかし僕たち法律家としては、店が潰れようが人が死のうが、“要請”でやられてしまうと訴えられない。そういう全く責任を取らない状態で、あそこまで人の行動の変化をさせることができるということを権力は知ったと思う。

つまり、緊急事態条項を盛り込むための憲法改正をするという、政治的なコストを払う必要は全くないということだ。枝野さんだって国会で叫んでいたが共犯だ。しかし、やはり何かあった時のために消火器や非常ボタンは置いておく必要がある。使わなければそれでいい。緊急事態条項とはそういうことだ」。

■元内閣法制局長官「“最悪の事態”を想定して用意をしておくべき」



 元大蔵官僚で、小泉内閣では内閣法制局長官を務めた阪田雅裕弁護士は「近代民主主義国家と言ってもいいかもしれないが、法治国家における唯一の統治の手段が法律だ。法律以外では権利の制限ができないし、逆に言えば、権利の制限ができるところに法律の意味がある。その法律の施行を止めましょうというのが、憲法に緊急事態条項を盛り込むということだ。

 これまで一般的に考えられていた緊急事態はパンデミックではなく、外国から武力攻撃を受けた場合や大災害が起きた場合といった有事だった。前者については有事法制、後者については災害対策基本法などによって、内閣の判断と権限で何ができるのかが決めてある。パンデミックについても、まさに武漢で流行した時期に新型インフルエンザ等対策特別措置法を適用しようと法改正したわけだ。



 ただし今の日本法律では、市民に外出自粛の要請はできても、外出を止める命令はできない。仮に空気感染しやすい非常に強力なウイルスが拡大し、ロックダウンが必要な場合、改めて法律を国会で審議するというのでは間に合わないこともある。使うかどうかは別として、そういう“最悪の事態”を想定して用意をしておくべきだと思う。

 一方、憲法に緊急事態を盛り込んだとしても、内閣が都道府県知事に命令をして、行政に限り私権の制限をする、補償と合わせた財産の接収みたいなことなどを法律でどこまで書いておくかという、冷静な議論をする必要があると思う。倉持さんが仰った、“政令委任のし過ぎ”がそうだが、どういう手続きを踏んで、どこまで行政がやれることにするのかをしっかり議論して、法律に書き込むことが必要だ」と話した。



 ジャーナリストの佐々木俊尚氏は「こういう議論をすると、必ず権力が暴走するから危ないという意見が出てくるが、日本の近現代史を振り返ると、大抵が“空気”に押し流されることによって悪い方向にどんどん行ったケースが多い。今回のコロナの件もまさしくそうで、お酒については“みんなに怒られるから出さないでおこう”とか、マスクについても“着けてないと怒られそうだから”という空気が世の中を動かしていると思う。このロジック以上に空気の圧力で何でも決まる社会より、法律の枠組みを作って歯止めかけようという方が民主主義的ではないか」と指摘していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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