同じような店なのに、ほんのちょっとした違いが消費者の無意識に強力に訴え、繁盛店にすることがあります(写真:jazzman/PIXTA)

私たちはランチのお店に入ったり、何かの商品を購入したりするときに、どうやってその善しあしを判断しているのだろうか? 実は私たちは、無意識のうちに、そして瞬時のうちにかなりよい判断を下しているのである。そして私たちが判断材料としているものは、もしかしたら椅子などの家具やメニューのデザインなど、ほんのささいな違いによるものかもしないが、その背後には驚くべき理由があった。

今回、世界的な広告会社オグルヴィUKの副会長が、人々の心理に働きかけ、行動を変えるさまざまな「魔法」について書いた『欲望の錬金術』から、一部を抜粋・編集してお届けする。

閉店してしまった店と繁盛店のささいな違い

数年前、私の家から1キロちょっと離れた、かなりにぎやかな通りにカフェがオープンした。店内には20ほどの席があり、外の舗道にはいくつかベンチが置いてあった。悪くないカフェだったが、やがてつぶれてしまった。新しい人が店を買い取り、前と似たような方法で経営していたが、それもまた閉店してしまった。


そんなわけで、店舗を引き継いだ3番目の店主が同じ経営方法に頼るのは自信の持ちすぎじゃないかと思われたが、彼らは奇跡的にも成功するビジネスを生み出したのだ。料理や価格は前の店のものとあまり変わらないように見えた。それどころか、以前の店との唯一の変更点はごくささいなことに思われた。

今度の店は前よりも魅力的な椅子とテーブルを購入し、1日の始まりにそれを店の外に置いた。そして椅子やテーブルのまわりに人の腰あたりの高さの金網フェンスをめぐらせ、そこを一種のテラスにしたのだ。これは前の店のようにベンチを据えるよりは効率が悪かった。この移動式(したがって盗まれやすい)の家具は毎日閉店後にしまわなければならず、毎朝また並べなければならなかったからだ。

しかし、新しい店が成功した理由はまさにこの変化にあると私は考えている。

前にも言ったように、カフェはにぎやかな通りにあった──実際、運転に集中している人なら、店があることがすぐにはわからないだろう。「コーヒー」と書いてある看板を見つけたとしても、店の外に誰も座っていなければ、開店しているのかどうかはっきりしない──5分もかけて駐車スペースを見つけたあげく、店が閉まっていると気づくかもしれないのだ。

以前のいつも店外にあったベンチは、店が開いているかどうかを示すものとしては意味がなかった。対照的に、新しい椅子やフェンスはそのまま放置されれば盗まれるか、風に飛ばされるかもしれないので、それがあれば店が開いている保証になった──椅子やテーブルを通りに残したまま、店を閉めて帰ってしまう店主はいない。

「いや、ちょっと待ってくれ」とあなたが言う声が聞こえそうだ。「確かに理論的には正しそうだが、店外の家具が持ち運べるかどうかをもとにして、あるカフェが開いているかどうかを意識的に考えながら、幹線道路を運転している者などいないよ」

ある意味ではあなたの言うとおりだが、人はそんなことを意識的にやっているのではない──本能的にやっているのだ。そういう判断をするために思考プロセスを用いている。それは自覚している意識の範囲外で行われているのだ。

人はどこへ行くときでも、自分がそうしているとは少しも気づかずに、環境を手がかりとして無意識に推論を導き出している──それは自分が考えているとも思わない思考なのである。

脳は限られた情報で無難な判断をする

このような思考プロセスは、従来のロジカルなものというよりは心理(サイコ)ロジカルなもので、人が意識的な理由づけをするときに適用するのとは違うルールに頼っている。だが、脳が進化してきた状況を考えると、必ずしも不合理でもない。人の脳は数学的な正確さを用いながら完璧な決定をするように進化したのではないのだ──アフリカのサバンナでそんなものはあまり必要ではなかった。数字ではなく、偽物もあるかもしれない限られた情報に基づいて、破滅的ではない、かなりよい決断にたどり着く能力が発達したのだ。

不合理どころか、われわれがカフェの外にある椅子を見ただけで引き出せる推測は驚くほど賢いものである。いったん、そういった推論の裏にある論理的思考を理解したら、そのすごさがわかるだろう。

「営業中」と書かれた看板は無意味かもしれない。「休業中」と書かれた面にひっくり返すのを忘れただけかもしれないのだから。どっちにしろ、車からは看板が読みにくいだろう。「営業中」と書かれたネオンサインのほうが信頼できそうだ。電気を節約するため、店を閉めて帰る人は電源を切るだろうから。

しかし、風よけのフェンスの向こうにある、軽くて積み重ねられる椅子は──信用してもいいシグナルだろう。言い換えると、椅子は効果的な宣伝の役目を果たしている。椅子を買う費用と、店の外にそれらを並べて1日の終わりにはまた積み重ねるという日々の労力は、まともな営業をしているカフェだという信頼できるシグナルだ。理性によって意識的に理解されるものではなく、それとなく理解されるシグナルである。

私は30年以上にわたって広告業界で働いてきて、多額の予算を備えた大企業と働くことが多かったが、小規模なビジネスの運命を左右する無意識のシグナリングが持つ力の大きさに今でも魅せられている。それだけではない。いくつかのささいなシグナルを実行すれば、そんな結果にならなかったかもしれない、申し分なく価値があるビジネスの多くが失敗することを思うと怖さも感じる。

従来のような宣伝に費用をかける余裕がないかもしれない比較的小さなビジネスも、心理(サイコ)ロジックの働きにちょっと注意を払うだけで運命を変えられるだろう。そのトリックとは、ビジネスが行われる場でのもっと広い行動システムを理解することだ。

カフェはメニューのデザインを向上させることで売り上げを増やせるだろう。小さな店の多くは照明が不充分なため、通りすがりの人は閉店中なのかと思ってしまう──その結果はどれほどビジネスにとって損失だろうか? 窓がすりガラスのせいで、不必要に客をおじけづかせているパブも多い。入る前に中をのぞけないからだ。

ピザ配達業者はピザと一緒に紅茶やコーヒー、牛乳、そしてトイレットペーパーの配達も引き受ければ、競合が多い市場で差別化を図れるだろう。レストランはテイクアウトの料理を道路脇で受け取れるようにすることで、売り上げを増やせるかもしれない──または、「裏に駐車場あり」という看板を増やすことによって。

効率化や最適化が抱える限界

ありえそうにないことだが、失敗した2軒のカフェのどちらかがビジネスの悩みを解決するために経営コンサルタントに相談したとしても、家具を変えろと提案する者はいなかっただろうと私は思っている。店主はビジネスにおける左脳的な面をすべてカバーするさまざまな提案の長いリストを受け取ったに違いない──価格、在庫コントロール、従業員のレベルといったもののリストだ。

スプレッドシートに載ったものはどれも、効率性を上げるために分析され、数値化され、最適化されたものだろう。しかし、椅子について述べた人はいなかったはずだ。

さて、私の考えをもう一歩進めよう。椅子とテーブルの存在から、そのカフェが営業中だと確実に推測できるだけではない。さらに深い点まで考えてもいいだろう──人は無意識に推測しているはずだ。手間をかけて通りに椅子を置く店なら、少なくともまずいコーヒーを出す可能性はなさそうだと。それは精神的な能力の賢明な使い方ではないように思われる──コーヒーがおいしいかどうかを知る方法は、買って確かめるのが本当ではないのか?

「ここのコーヒーがおいしいだろうと思ったよ。椅子を見たからね」と言ったら、とてもばかげた言葉に聞こえるだろう。しかし、ちょっと待ってほしい──もしかしたら、心理(サイコ)ロジックとささやかな社会的知性を用いれば、あるつながりが見つかるかもしれない。

まず、新しい椅子に投資して毎日わざわざそれを舗道に置く人なら怠惰ではないはずだし、自分のビジネスに金をかけている。さらに、彼らは自分たちのビジネスが成功すると考えているようだ──成功を期待しなければ、費用をかけなかっただろう。

椅子はコーヒーの完璧さを約束するわけではないが、少なくともまあまあの品質だろうという頼れる指針である。風よけのフェンスや椅子を買う事業主なら、たぶんまともなメーカーのエスプレッソマシンやちゃんとしたミルクやコーヒー豆にも投資しているだろう──従業員の訓練もしているに違いない。店主はすぐさま利益を最大にする短期のゲームではなく、よい評判や忠実な顧客基盤を築いて長期のゲームをする人だろう──そうなると最低でも、カプチーノはおいしいはずだ。

スーパーマーケットのジレンマ

もちろん、この手のシグナリングをやりすぎないように気をつけなければならない。高そうなひじ掛け椅子を店外に置けば、人々は──不合理でもなんでもなく──店自体も高級店だという結論を出すだろう。

この問題はスーパーマーケットを設計するうえで重要なジレンマだ。店での価格がどう感じられるかに影響する主な要素は、奇妙なことに実際の価格ではなく、その店が備えている贅沢さの程度なのである。

もし、このように宣伝を重視することが行きすぎで我田引水に見えるとしたら、私はあなたに共感する──実際、私自身もそう思うのだ。しかし、すべては宣伝をどう定義するか次第なのである。実際に、説得力のあるメッセージを提供することが必要な場合は多いし、ある意味でそれはごまかしがきかない。情報は無料だが、誠意はただで得られないのだ。

(翻訳:金井真弓)