幼い子どもたちにとってMRIは恐怖の対象でしかありませんでしたが…(写真:Ushico/PIXTA)

言葉を尽くしてもなぜ、相手に伝わらないのか?

「言いたいことを伝える」ためにはロジカルな考え方や会話の仕方が必須です。
BCG、アクセンチュアで19年間トップ経営コンサルタントをつとめた三谷宏治氏の著書『〔新版〕一瞬で大切なことを伝える技術』では、ロジカルに「考える・話す・聴く・議論する」技術が解説されています。

本稿では、同書から一部を抜粋しお届けします。

MRIは子どもたちにとって恐怖の対象だった

骨だけでなく、筋肉や臓器、血管を映し出せるMRI(核磁気共鳴画像法)装置は、1980年代に実用化され、世界に広まりました。これまで重症化するまで発見しづらかった病変(脳腫瘍や、子宮・卵巣・前立腺といった骨盤内の病変など)の発見・診断に、画期的な進歩をもたらしました。その世界シェア2位を誇るのがGE(ゼネラル・エレクトリック)です。

機器の性能向上や小型化に各メーカーがしのぎを削っていたある日、GEの技術主任ダグ・ディーツは病院のMRI検査室を訪れます。検査技師にヒアリングをするためでした。しかしそこで彼が見たのは、子どもたちが必死で泣き叫ぶ光景だったのです。

幼い子どもたちにとって、今から自分たちが縛りつけられ内部に通されるMRIの巨大で冷たい姿や、それが発する「ガンガン」という強烈な騒音は、恐怖の対象以外の何物でもなかったのです。その病院ではたった10分の検査のために、9割もの子どもに鎮静剤が打たれていました。

ディーツは自分のなすべきことが、機器の性能向上や小型化ばかりではないことを思い知ります。

ディーツはこの問題を解決するために、スタンフォード大学のdスクール(「デザイン思考」を教える教育部門。IDEO創業者たちが中心に立ち上げた)の門をたたき、その教えを請いました。まずは少人数の異職種チームをつくり、「子どもたちにとってMRI検査とはどんな体験なのか」を多面的に考察します。

そのボランティア・チームには、子ども向け博物館の幼児教育専門家や地元の小児科病院の「チャイルド・ライフ・スペシャリスト(入院している子どもとその保護者の心のケアに従事するアメリカの医療専門職)」も含まれていました。

そのうえで子どもや親たちにヒアリングを行います。「MRI検査はどうか」といった直接的な問いだけでなく、「病院では何がイヤなのか」や「退院したら何をしたいのか」を調べていきました。

子どもたちにとって本当にダイジなことを、理解するために。

その結果、入院中の子どもたちにとっていちばんの望みは「外に出て自由に遊びたい」「スポーツしたい」といったことでした。もちろんそれ自体に応えることはできません。でも、MRI検査を、それに近づけることはできるかも……。

GEはMRI検査を「冒険の旅」に変えた

ディーツたちはMRI検査を「海賊船に乗り込んだ子どもたちが、見つからないようにじっと隠れているというアトラクション」に変えてしまいました。

装置の外観はもとより、装置を設置する検査室全体をカラフルに装飾しました。子どもたちと接する検査技師にも「台本」を渡し、接し方を訓練しました。巨大な装置の中に入る前には「今から海賊船に乗り込むよ。海賊たちに見つからないようにじっとしていて」とそっと声をかけ、大きな音が鳴り始める前には「さぁ、海賊船が大砲を撃ち始めるぞ!」と大声で伝えます。

MRI装置にカラフルなシールを貼るところから始まった試作実験は、「アドベンチャー・シリーズ」という商品に結実し、鎮静剤が必要な子どもたちは1割以下に激減しました。MRI室は子どもたちにとって「また行きたい場所」に変わったのです。

リクルートは新規事業のアイデアを「不」に求めました。世の中の「不足」「不満」「不便」を洗い出し、それをなくすことをビジネスにしようというのです。そこから「便利」な情報誌が何種類も生まれました。いわば「ネガティブを潰す」作戦です。

子どもの将来を考えれば、家でのお手伝いはとても大切です。生活力や段取り力を培ってくれます。でも子どもたちは、進んで家事や家業の手伝いをしようとはしません。基本的には面倒で不快なものだからです。

でもそのネガティブな面を潰すのではなく、お手伝い自体をポジティブなものに変えてしまうほうが、子どもたちのやる気を引き出せるでしょう。

子どもたちはゲームが大好きです。スーパーへのお使いも、「オレンジ色の野菜で、学校のうさぎさんも大好きなものを買ってきて!」と頼むだけで、楽しいゲームに変わるでしょう。もちろんそのとき、子どもがニンジンではなく、カボチャを買ってきたとしても、笑って受け容れてあげなくてはいけませんが。

自分で「洗濯もの畳み」を遊びにした長女

わが家の長女はお手伝い手抜き派でした。彼女には「家のお手伝いよりも大切なもの(=卓球)」があったので、お手伝いのプライオリティーは低かったのです。

小学高学年の頃、彼女には「洗濯ものを畳む」という家事分担がありました。干された洗濯ものはすべて子ども部屋に運ばれます。それを畳んで親のものと子どもたちのものと仕分けをし、親のものだったら親の部屋に持っていく、までがお仕事です。

でも長女がサボるので、あっと言う間に洗濯ものが山となります。ある日ついに母親のカミナリが落ちました。

「ちゃんとやりなさいっ!」

しばらくしたら長女が「もう終わった」とニコニコしながら子ども部屋から出てきました。彼女は「洗濯もの屋さんごっこ」という遊びを発明して、あっという間にそのお手伝いを終わらせたのです。

「洗濯もの屋さんごっこ」は洗濯ものを売り買いする遊びです。長女が山となった洗濯ものを、妹2人に「売る」のです。


妹たちは「100円」「50円」と紙に書いた疑似通貨を持たされていて、「50円で買いたいです」「そんな安くは売りません」「じゃあ100円で」というようにやり取りをして、長女から洗濯ものを「買う」わけです。

「買った洗濯ものは畳んで持っていく」がルールです。妹たちは、争って洗濯ものを買っては、畳んで各部屋に持っていきました。

長女はつまらない「洗濯もの畳み」を、自ら楽しい「ごっこ遊び」に変えました。自分たちにとって、何より「姉妹3人で遊べること」がダイジだったから。

困ったら1段上がって考えよう

MRI検査を海賊ごっこに変えたディーツたちも同じです。「MRI検査は怖い」というネガティブを、装置の静音化などで直接的に潰すのではなく、テーマを拡げて子どもたちの生活全般について聞きました。そして「本当にやりたいこと」というポジティブな欲求(重み)を聞き出し、そこから解決策(差)を考えたのです。

困ったら、1段上がってダイジなことを考え直しましょう。