輸入車が身近になった頃にヒットしたモデルを振り返る

 日本で本格的な自動車製造が始まったのは大正時代の初期からで、すでに100年以上もの歴史があります。また、同じ時期にはフォードなど海外のクルマの輸入が始まっていました。

日本で一世を風靡した往年の「外車」たち

 その後、1950年代に日本でもマイカーの普及が始まりますが、国産車に対して輸入車はかなり高額で、まさに富の象徴であり、ステータスシンボルのひとつでした。

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 それが平成になると物品税が廃止されたことや、円高基調になったことから輸入車が身近な存在になり普及が加速。

 そこで、かつて日本で一世を風靡した輸入車を、5車種ピックアップして紹介します。

●ボルボ「850エステート」

洗練されたデザインと使い勝手の良さからヒットした「850エステート」

 1989年にスバル初代「レガシィ ツーリングワゴン」が発売されると、スキーなどアウトドアレジャーブームという背景から大ヒットを記録しました。

 この流れに乗るように、他メーカーも次々とステーションワゴンのラインナップを拡充。

 そんななか1991年に発売されたボルボ「850エステート」は、比較的高額ながら日本で大人気となりました。

 当時、ボルボのクルマというと安全性が高く、知的な人が選ぶ質実剛健なクルマというイメージがありましたが、850エステートはスクエアなフォルムながらも美しく洗練されたデザインで、ボルボのイメージを大きく変えることに成功。

 搭載されたエンジンは2.3リッターから2.5リッターの直列5気筒で、これを横置きに搭載したFFを基本とし、4WDもラインナップ。

 また、ターボエンジン車ではハイチューンな限定車の「850 T-5R」や「850R」が発売され、どちらもすぐに完売するほどの人気ぶりでした。

 この850エステートのヒットは国産メーカーにも影響を及ぼし、同様な車格の日産「ステージア」やトヨタ「クラウンエステート」の誕生を導いたといえます。

 なお、今も850エステートのデザインや走りに魅了されるファンは多く、ボルボ・カー・ジャパンではレストアサービスの「ボルボ・クラシック・ガレージ」を展開し、850シリーズのレストアや部品供給を続けており、ユーザーをサポートしています。

●ジープ「チェロキー」

時代のニーズと日本の道路環境にマッチした「チェロキー」

 米ジープといえば、軍用車から派生した「ラングラー」に代表されるクロスカントリー4WDなどのSUVに特化したメーカーで、近年は日本でも好調なセールスを続け注目されています。

 このジープ車が日本で普及するきっかけとなったモデルが、ちょうど1990年代初頭の「RVブーム」の頃にヒットした初代「チェロキー」といえるでしょう。

 初代チェロキーは1974年に誕生し、日本に正規輸入されたのは1984年に登場した2代目からです。

 外観はステーションワゴンタイプの直線基調なシンプルなスタイルで、モノコックボディながらフロントグリルは伝統の「7スロット」を採用するなど、クロカン車を強くイメージさせました。

 当初、日本で販売されたグレードは「ラレード」と「リミテッド」で、400万円台からと比較的高額なグレードに限られていましたが、1994年からエントリーグレードの「スポーツ」を追加ラインナップ。

 1ドル100円を割り込む円高傾向だったことから200万円台の低価格を実現し、右ハンドル車を設定したこと、またRVブームの余波もあり、たちまち人気車種となりました。

 さらに全長4400mm×全幅1770mm×全高1650mm(スポーツ)のボディサイズで、アメリカ車ながら日本の道路事情でも使いやすいという点も、ヒットにつながった要因のひとつではないでしょうか。

 なお、当時はホンダディーラーでもチェロキーを販売しており、日本でチェロキーの存在を広めることに貢献したといえます。

●プジョー「205」

フランス車の魅力を広めたと言っても過言ではない「205 GTI」

 かつてフランス車というとシトロエンに代表されるデザインコンシャスなモデルや、ルノー「5(サンク)」など大衆車でも独特な乗り味のクルマがイメージリーダーでした。

 しかし、1983年に欧州でデビューしたプジョー「205」は、エントリーカーながら秀逸なデザインと優れた走行性能で、日本でも大いに話題となります。

 本格的に輸入が始まったのは1986年からで、なかでもトップグレードの「205 GTI」が、もっとも人気がありました。

 GTIのボディは3ドアハッチバックで、サイズ的には全長3705mm×全幅1590mm×全高1380mmと、当時のホンダ4代目「シビック」よりもひとまわりコンパクトです。

 205 GTIには当初1.6リッター直列4気筒エンジンを搭載していましたが、後に120馬力(MT)を発揮する1.9リッターエンジンに換装され、トランスミッションは5速MTと4速ATをラインナップ。

 足まわりはフロントがストラット、リアがトレーリングアームと、形式的には特殊ではありませんが、同クラスの日本車よりも路面追従性やハンドリングが高く評価されました。

 205の成功によって後継モデルの206はさらなるヒット作となり、日本においてプジョーブランドの確立に貢献したといえます。

「外車」普及に絶大な貢献をした2台のドイツ車とは?

●BMW「3シリーズ」

日本におけるBMW車普及に多大な貢献をした「3シリーズ」

 1982年に欧州で発売された2代目「3シリーズ」はバブル期の日本で大ヒットし、「六本木のカローラ」という有名なフレーズを残したほどです。

 2代目3シリーズは1983年から日本に正規輸入され、ボディタイプは2ドアセダンと4ドアセダンを基本とし、後に「カブリオレ」やステーションワゴンの「ツーリング」、少量ですがキャビンの上部と後部がオープンとなる「バウアトップカブリオレ」をラインナップ。また、派生車として高性能な「M3」が誕生しています。

 ボディサイズは全長4325mm×全幅1645mm×全高1380mm(4ドアセダン)と現在の水準からするとかなりコンパクトで、2リッター未満のエンジンならば5ナンバー登録だったということもあり、それも人気を博した理由のひとつでしょう。

 スペック的は同クラスの国産車と大きな差はありませんでしたが価値は100万円以上も高く、好景気を背景にステータスシンボルという観点から若年層を中心に人気を博します。

 また、円高という背景から大量の並行輸入車も日本に上陸しており、正規輸入にこだわらない層のニーズに応えていました。

 バブル崩壊によって3シリーズのブームは一過性のものに終わりましたが、BMWが日本のマーケットを重要視するきっかけになったのではないでしょうか。

●メルセデス・ベンツ「190シリーズ」

エントリーモデルながらデザインや走りが高く評価された「190シリーズ」

 かつてメルセデス・ベンツのクルマというと、日本だけでなく世界各国のセレブやVIPが愛用する高級車の代名詞でした。

 一方で、さらなる顧客拡大という目的から、前出の3シリーズを追従するエントリーモデルを開発。それが1982年に誕生した「190シリーズ」です。

 190シリーズは当時の同社ラインナップのなかでは、もっともコンパクトなエントリーモデルであり、日本では1985年から正規輸入され販売を開始。

 初期のスタンダードグレードである「190E」では、ボディサイズが全長4420mm×全幅1678mm×全高1390mm、エンジンは最高出力115馬力の2リッター直列4気筒を搭載したことで5ナンバー登録でした。

 当時は、まだ3ナンバー車の自動車税が3リッター以下で8万1500円と非常に高額だったことから、5ナンバーの190Eの登場は大いに歓迎され、500万円前後と高額ながら一躍ヒット作となります。

 やはりメルセデス・ベンツというステータスは大いに魅力的だったのか、セレブのセカンドカーとしてだけでなく、中流意識の高まりから多少無理をしてでも手に入れたいというユーザーも数多く存在しました。

 また、品質や走行フィーリングは同クラスの国産車よりも高く評価され、エントリーモデルといえどもクルマづくりに妥協が無かったのも人気となった要因のひとつではないでしょうか。

 平成になると円高傾向がより顕著になったことや物品税の廃止などを受け、300万円台の廉価グレードが追加されるとさらに販売台数を伸ばしました。

 190シリーズは日本におけるメルセデス・ベンツ車の普及に貢献し、同社のイメージを変えたエポックメイキングなモデルといえます。

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 今回、紹介したクルマのなかでも850や2代目3シリーズ、190シリーズは今も走る姿を目撃することがあります。むしろ後継モデルよりも多いのではと思ってしまうほどです。

 850と車格が近いボルボV60や、現行モデルの3シリーズ、Cクラスは、どれも正常進化したクルマといえますが、前述のネオクラシックモデルは今も色褪せない魅力があり、ファンを魅了し続けています。