松山英樹が「マスターズ」を制したら、感極まって泣くだろうと思いながらサンデーアフタヌーンを見守っていた。
これまで松山の涙を試合会場で見たことは2度あった。その1度目は、このマスターズだった。
2011年にマスターズ初出場を果たし、ローアマに輝いた松山は、翌年も2度目の出場を果たし、いい位置で終えられそうだった最終日、1番のファーストパットの感触に小さな違和感を覚え、そこから崩れて54位タイに沈んだ。
ホールアウト後、日本人メディアの前に立って何かを言おうとした松山の目から、大粒の涙がこぼれ落ち、「自分が不甲斐ない」と言って彼は激しく泣いた。
その後、2013年にプロ転向してからの松山は、どんなときも公の場で涙を見せることは無かった。
2014年の「ザ・メモリアル・トーナメント」を制した初優勝に始まり、2017年「WGC-ブリヂストン招待」を制して米ツアー通算5勝を挙げるまでの間、優勝してもほんの一瞬、ウルっとしたという程度で、「うれし泣き」と呼べるほどの泣き方をしたことは無かった。
うれしくないのだろうかと、不思議に感じたことは何度もあった。「勝ちましたけど、満足できる内容とは言えなかったので……」。優勝しても、渋い表情で、そんな言葉を口にしたこともあった。
きっと彼は、メジャーで勝つことが究極の目標であり、夢であるのだから、うれし涙はその日のために大事にしまっておいているのだろう。そんなふうにも想像していた。
無感情であるはずはない。その証拠に、試合会場から少し離れた場所で、メジャーになかなか勝てないという苦しい想いが涙になって噴き出したことは、実は一度だけあったのだ。
あれは2017年だったと記憶している。「全英オープン」出場のため、英国入りした松山は、チームメンバーたちとレストランで夕食を取り、さあ帰ろうかと屋外に出たとき、その場で泣き始めたのだそうだ。
やっぱりメジャーで勝ちたい。何度かチャンスはあったが、どれも勝つことはできず、「どうして勝てないのか?」「どうしたら勝てるのか?」と自問自答を続けていた日々の中、松山は周囲の想像以上に気持ちの上で追い詰められていたのだろう。
その年の「全米プロ」でジャスティン・トーマス(米国)に惜敗したとき、彼はインタビューエリアでしゃがみ込み、号泣した。うれし涙はしまい込むことができていても、悔し涙は止められなかった。
そんな松山の涙を見てきたからこそ、マスターズを制覇したら、きっと彼は、心のタンスに大事にしまっておいたうれし涙を取り出して泣くのではないか。そう思いながらサンデーアフタヌーンを眺めていた。
2位に1打差のトータル10アンダーという見事な勝利を挙げた松山は、ウイニングパットを沈めたときも、チームの面々とハグしたときも、グリーンジャケットを羽織った瞬間も、涙ではなく笑顔を見せた。
うれし泣きの代わりに、表彰式では万歳をして小さく飛び跳ねる仕草を見せた。10年前、感情のままに1人悔し涙を流した大学生の松山は、この10年、山や谷を乗り越え、必死に歩んでいるうちに、周囲と感情を分かち合うことを覚えたのだろう。
この優勝はまぎれもなく松山のものだが、日本の子どもたち、日本のみんなに捧げたい勝利なのだ。
「やっと日本人もできるとわかったと思う。僕もまだまだ頑張るので、みんなもメジャーを目指して頑張ってほしい」
だから、みんなで万歳。うれし涙ではなく、うれしい万歳は、みんなにとっての万歳だった。
文・舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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