「あの日はすごい雨と風で。走っているとき、顔に雨が当たると痛かったですよ」

そう語るのは、聖火ランナーを務めた箱石シツイさん、104歳。現役の理容師だ。

聖火リレーを無事走って、笑顔でね、ほんとによかったんです。当日は雨で寒かったんですが、母は『疲れなんてない』って、元気でね。ゴールのところには、仲良くしている姪が立って待っていてくれて、ふたりで喜びあっていたんです」

と、長男の英政さん。

東京オリンピックに向け、福島からスタートした聖火リレー。続く栃木県では3月28日、ランナー最高齢の箱石シツイさんが、雨のなか見事な「走り」を見せた。

昨年、聖火ランナーに選ばれ、大会延期になったこの1年間「1日も休まずトレーニングをした」という。

自分で考えた「筋力体操」は、もう30年以上続けている。加えてこの1年は、聖火のトーチに見立てた同じ重さの物を持って歩くなど、聖火ランナーとしての準備もしていた。

「走るのは夜なので『寒いとしょうがないから』と言って、母は自分で着るものも準備しました。ユニフォームの下は白1色と決まっていたので、そういうことも自分でちゃんと用意して。週刊誌に『縞模様のセーターを着込んでいた』と書いてましたが、あれは間違いで、白のセーターを着てたんです。でも襟口から見えてしまうということで、別に準備していた厚手の肌着に着替えました」(英政さん)

雨足が強まった午後7時55分、聖火を受け取ったシツイさんは確かな足取りで200メートルを走り、次のランナーに聖火を繋いだ。ゴールでは大勢の観客が歓声を上げた。そのなかに、87歳の姪、齊藤あささんもいた。

「おばちゃん、おめでとう、って、迎えてくれてね。その翌日、突然亡くなったんです」(シツイさん)

「母とはいちばん仲が良くて、互いに独り身なので、しょっちゅう行き来してました。リレーの翌朝、僕が訪ねたときは、こたつで手枕で寝てたんです。きのう疲れたんだろうなと思ってたんですが、昼前になって甥っ子が行ったら、まだ起きなくて。

救急車とドクターヘリで運ばれました。脳内出血でした。母は僕ら夫婦と病院に走ったけれど間に合わなくて」

「おばさんたち、昨日は疲れたろうから」と、甥っ子が持ってきてくれた鰻重は、食べられなかった。

「母は、走ったことの疲れより、姪のことがショックで。あれからずっとしょぼーっとしています。これまで、悲しいことがあっても泣かなかった母が、声を上げて泣きました」

リレーのあと、「2−3日休んで、お店を開けます」と元気に話していたシツイさんだが、今は家のなかで「しょぼーっとしている」という。

シツイさんは栃木県出身、理容師の修行のため東京に行き、19歳で免許を取った。22歳のとき、同じ理容師の夫・二郎さんと結婚。都内に理容室を構える。第二次世界大戦末期の1944年、二郎さんは召集され、シツイさんは2人の子どもとともに故郷・栃木に疎開。戦後8年経って、二郎さんの戦死が伝えられた。

「父は、僕が生後10か月のときに出征して、そのまま帰りませんでした。だから僕は、ずっと、母の背中を見て育ったんです。誇らしい母です」

地元で「理容室ハコイシ」を開店。東京仕込みの技術で人気を博す。以来70年、この地で髪を切ってきた。100歳を過ぎてもなお「倒れるまでハサミを持つ」と語り、筋肉運動を欠かさず、聖火リレーのランナーを務めた。聞けば聞くほど、しなやかで力強いその生き方に引き込まれる。けれども…

「聖火リレーの疲れより、姪のことがショックで。いつも家をきれいにしてて、私の実家でもあるから、泊まりに行ったりもしてましたし。残念でならなくて、なんだか、ぼーっとしてしまうんです」

と、シツイさん。それでも、しっかりしたハリのある声で話してくれた。

理容室ハコイシは、予約があれば営業をする。毎日運動をして体を作り、常連客の髪を整える。箱石シツイさんは、現役の理容師なのだ。どうか元気を取り戻して、また軽快な走りと笑顔を見せてほしい。