Jリーグや日本代表戦、海外の試合ももちろんだが、試合後、監督会見が開かれることがサッカー競技の慣例になっている。会見場のひな壇に座る監督と、一段下がった位置に座る記者とが、試合を振り返りながらやりとりを交わす場だ。

 日本と外国と文化の違いが最も現れる場所でもある。監督、記者とも熱くなりやすいのが外国。日本は概して理性的で穏やかながら、どこか嘘臭い。本音が簡単に明るみに出ることはない。とは言っても、日本にも外国人監督はいる。日本人監督の中にも熱くなる人はいる。何気ない一言に、本音が仄垣間見られることもしばしばで、サッカーの本質を探る機会として、出席して損をしない場所だと言える。

 だが、会見場での会見は現在、実施されていない。もっぱらZoomを通したやりとりだ。会見場での会見と趣は少々異なっている。質問者と監督との関係は、これまでより1対1感が強まった印象だ。

 監督は従来の会見場での会見の際、質問者だけに答えを返していたわけではない。同時に会場を埋めた他の記者にも伝えようとしていた。場所柄、自ずとそうした構図になっていたのだが、Zoomの会見は、監督も質問者も周囲の反応、場の空気感をうかがう機会がない。両者は閉ざされた世界の中に入り込みがちだ。

 会見場で行われる会見より、監督は一つ一つの質問に律儀に答えている。質問者に失礼がないように気を配っている。心なしか言葉遣いも丁寧だ。森保監督などはその代表という感じだが、それはともかく、言い換えるならば、監督たちはサッカー監督らしさを発揮できずにいる。 

 たとえば、イビチャ・オシムだったら、Zoom会見に臨んだとき、どんな話をするだろうか、ふと思ってしまう。記者の問いに対しオシムは、会見場のひな壇から、かなり偉そうに話していた。人生訓を垂れることもよくあった。聴衆を前に、演説している様子だった。質問への返答ついでに、聞かれていないサッカー哲学についてまで語ってきた。

 試合直後に報じるニュース記事には使えそうもない内容なので、その演説を中には面白がれない記者もいた。そうではないこちらにとっては、哲学の先生から講義を聴くような時間になっていて、今日は何を聞かされるのか、試合後のお楽しみになっていた。

 このように記者からの質問から少し外れた方向に、話を脱線させるタイミングが、Zoom会見にはない。自らのサッカー哲学を表明したり、サッカーの本質について喋ったりする環境にはないのだ。

 先日、J2リーグ、東京ヴェルディ対水戸ホーリーホック戦に取材観戦に行った時のことだ。味スタの現場は少なからずピリピリとしたムードに包まれていた。両チームから感染者がでたこともあるが、それ以上に大きかったのは、前の試合で東京ヴェルディが、アルビレックス新潟とのアウェー戦に0-7で敗れていたことにある。その前の週もツエーゲン金沢にホームで敗れていたので、もし水戸戦に敗れると、永井秀樹監督の立場が危うくなりそうだーーという話だった。しかし、開幕してまだ5試合を消化した段階だ。早くもそうした話が渦巻いていることに違和感を覚えずにはいられなかった。

 0-7はスコア的には確かに大敗だ。だが0-1で負けようが、0-7で負けようが変わりはない。長丁場のリーグ戦では単なる1敗に過ぎないのだ。それがサッカーである。日本代表が14-0で勝っても単なる1勝だ。得点がすべてではない。問題はどれほどテストができたか、だが、それはさておき、0-7を騒動にしたがる人に他意を感じずにはいられないのだ。

 しかし、たとえばZoomの会見では、そうしたサッカーの本質は語りにくい。0-7で敗れれば、画面の目の前にいる記者に対し、反論めいた意見は吐きにくい。永井監督率いる東京ヴェルディの場合は、攻撃的サッカーを前面に掲げて戦うチーム。オシムではないけれど、ある意味で哲学的なサッカーだ。一歩間違えば、大敗もあり得るサッカーである。0-7の大敗に怯み、サッカー哲学を変えれば、逆にチームは崩壊する。監督は選手から、ブレたな、口ほどでもない指導者だと、見限られることになる。

 東京ヴェルディは水戸に2-1で勝利を収め、結局、話は丸く収まった格好だ。筆者は試合後、所用があり、Zoomの記者会見を聞かずに会場を後にしたので、永井監督がそこで記者とどのようなやりとりをしたのか、知る身の上にはない。だが、以前に聞いたZoomの会見では、永井監督は話しにくそうにしていた。本領を発揮できずにいた。

 監督に就任したのは昨季なので、試合後、会見場で会見したことは、コロナ禍で中断に入る前に行われた、開幕戦1試合のみということになる。Zoom会見ではなく、会見場で聴衆を前に、標榜するその攻撃的サッカーについて、直に演説させてみたい監督だ。 理想を語ること、哲学を語ることは、スポーツ界のみならず、現代の日本社会に著しく欠ける点だ。しかしサッカーにはそうした現状を変える力がある。正確にはサッカー監督には、だが、それこそが、永井監督のようなタイプが増えて欲しい理由だ。会見場で、思わず耳を傾けたくなる監督のサッカー話に遭遇できる日はいつになるのか。コロナ禍の1日も早い終焉を願わずにはいられない。