汚部屋で育った自分の半生を漫画で描く、ハミ山クリニカさんの思いとは

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第93回。今回は番外編として会社員として働きながらも漫画家としても活動する女性の半生をお届けする。

「愛すべき美しいママを捨ててしまう物語」

ハミ山クリニカさんは某出版社で働く会社員だ。働きながら漫画を描き、2015年には単行本『心の穴太郎』(さくら舎)を上梓した。


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2020年、彼女が新たに描いた漫画がぶんか社の自社サイト『マンガよもんが』で配信されて話題になった。そして今年の3月に単行本化された。

その漫画のタイトルは『汚部屋そだちの東大生』(ぶんか社)だ。

優しくて、過保護で、だらしがなく、そして残酷な母親と東大生の娘が生活している汚部屋が舞台だ。主人公が苦しみながらも、周りの人たちの力を借りて成長していく姿は読んでいてとても胸に迫る。

物語の冒頭に

「これは私が愛すべき美しいママを捨ててしまう物語」

と書かれているとおり、主人公が汚部屋と母親から物理的にも精神的にも離脱するまでが描かれている。


ハミ山さん自画像

実はこの本は、ハミ山さんの半自伝的な作品である。

ハミ山さんがこれまでたどってきた道のりを聞いた。

ハミ山さんは、東京都で産まれた。

ハミ山さんの母親はハミ山さんが産まれた時点で仕事を辞め、専業主婦になった。

自宅は4部屋ある大きいマンションで、そこに母親と2人で暮らしていた。以降、ずっとその家に住み続けることになる。

ハミ山さんは幼稚園から高校までの一貫校に入学した。

「小学校の頃は父が週4回くらいは家に来ていて、部屋もきれいでした。母に対しては、『ヒステリックだなあ』と思っている程度でした」

母親は子供同士の人間関係によく口を出した。「この友達と遊んじゃダメ」という昔からある、親による友人の選別だ。

「とくに男子限定で口を出しました。顔がいい男子とは遊んでいいけど、クラスのヤンチャな男子とはダメ、みたいな感じでした。今思えば、小学生なのにクラスの男の子を結婚相手として考えているんですよね。ちょっと気持ち悪い考え方でした。

私は真に受けていたので、遊んじゃダメと言われた人とは遊びませんでした。当時は気難しいヤツと思われていたかもしれません」

学校に提出する作品、書道、作文、絵画などには母親が手を入れた。ほとんど母親の作品になってしまうこともあった。

「たとえそれで学校でほめられても、嬉しくないですよね。むしろ『バレたらどうしよう』という気持ちのほうが大きかったです。

母は、私が学校で評価されるように考えて行動したのは間違いありません。でも私を通して自分もほめられたいと思っていたんじゃないでしょうか? 当時は深く考えず、『そういうものなのかな?』と思っていました」

中学生になった頃、ハミ山さんのお父さんは徐々に家に来なくなった。

「父が来ないから、母は部屋を片付けるモチベーションを失ってしまったんだと思います。人目を気にしないところでは何もしない人でしたから……」

部屋は少しずつ汚れていった。

「自分の顔って毎日見てるから変化に気づけないじゃないですか? それと一緒で、あまりに自然に汚れていったから、家が汚部屋になっているってなかなか気づかなかったんですよね」

ガスの検針で職員が家に来たときなどは、職員に見える手前の場所だけを片付けた。片付けると言っても、例えば玄関に散らかる靴をゴミ袋に入れて奥の部屋に押し込むだけだ。

「ガスの検針が終わったら、荷物は戻すつもりなんです。でも結局は片付けず、そのまま放置されました。そうして気づいたら奥の部屋は天井近くまでゴミがたまってしまい使えなくなってしまいました。そしてゴミはあふれ、家中に汚れが広がっていきました」

ゴミは積み重なっていき、床はとっくに見えなくなった。置いてあった小さなテーブルとゴミの高さが同じになって、テーブルとしては使えなくなった。そのうちその上にもゴミが置かれまったく見えなくなった。


ハミ山さんの実家の写真(撮影:ハミ山さん)

「テーブルがあったと思われる場所に手を突っ込んだら、指先にテーブルの表面が当たる……というような感じでした。

仕方ないのでダンボールを拾ってきて、組み立てたり、布団を折り曲げたりしたモノの上で勉強したり、絵を描いたりしてました。もちろんボコボコしていてやりにくいのもありますが、すべて母に丸見えでプライバシーがないのが嫌でした」

ハミ山さんが中学時代から徐々に汚れていった部屋だが、高校に入学した頃には、完全に汚部屋、ゴミ屋敷になっていた。

物がなくなり、クーラーやトイレが壊れた

汚部屋では物がよくなくなった。ボールペンなど小さいものがなくなるのは当たり前だ。かつては自炊していたが、いつの間にか炊飯器がどこかに行方不明になってしまったので自炊はしなくなった。

クーラーも壊れてしまったので、部屋の気温は外と変わらなかった。冬場は寒さを防ぐために部屋の中でもずっとダウンジャケットを着ていなければならなかった。

夏場は暑さをしのぐために扇風機を購入したが、扇風機すらそのうち埋もれて行方不明になった。行方不明になったら探さずに、新たに購入した。最終的には4〜5台の扇風機が埋まっていたという。

トイレも壊れて水が流れなくなっていた。用を足すたびに、バケツでタンクに水を注ぎ込んで流していた。母親は無精がって流さないこともあり、ハミ山さんは辟易とした。

風呂も給湯器が壊れお湯が出なくなった。仕方なく、銭湯に通っていた。

もちろん修理業者を呼んで直したり、または買い直したりしたほうが、精神的にも経済的にもいいに決まっている。だが汚部屋だから業者は呼べなかった。

だから何年もそのままの状態で過ごした。

「洗濯機はあって、洗濯して適当な場所に干していました。でも干した服も、そのうちゴミに埋もれてなくなっていました。実質使い捨てでした。だから下着や靴下は3枚数百円で買えるような安いものが多かったです。軽く掘り起こすと、すごい枚数のパンツが出てきて

『こんなにいたのね!!』

という気持ちになりました。

たまに母から『片付けて』と言われることはあったのですが、それは整理整頓してという意味で『物を捨てて』という意味ではなかったんですね。例えば10年前の新聞でも捨てようとしたら『あとで読もうと思っていた』とか言われてしまいます」

勝手に捨ててもバレないけれど、明確に量が減ったらさすがに気づいて怒り出すかもしれない。

そもそもハミ山さん自身、部屋を片付ける習慣がついていないのだから上手に掃除ができるわけもなかった。

もちろんそのような状況で、清潔に保てるわけがない。ゴミの下には大量の虫が湧いていた。


ハミ山さんの実家の写真(撮影:ハミ山さん)

「今だったら、ゴキブリが1匹いただけで『ギャー!!』って思うんですけど、当時は『ああ、いるなあ』くらいにしか思わなかったです。寝ているときに顔の上をゴキブリが歩いていることもよくありましたけど、それもなんとも思ってなかったです。

大小さまざまなゴキブリが何百匹、何千匹っているとなんだか慣れちゃうんですね。完全に感覚が麻痺していたんだと思います」

『汚部屋』『ゴミ屋敷』はテレビでもよく取り上げられる題材だ。そういう番組を見たら、ハミ山さんも

「自分の家もゴミ屋敷かもしれない?」

と気づいたかもしれない。

しかし部屋にあった大きなブラウン管のテレビは小学生の頃に壊れ、とっくにゴミに埋もれていた。高校時代はインターネットもできなかったので、外部にアクセスする手段はほとんどなかった。

得意な絵を生かして東京藝術大学へ進学

ハミ山さんは小さい頃から絵が得意だった。だから芸術大学に進学しようと思った。

「絵を描くのが好きだったか?と言われると疑問です。比較的得意で、それをやっていると褒められやすい。これをやったら得をするんだな、と考えてやっていたと思います」

そんな軽い気持ちで続けていた美術だが、ハミ山さんは東京藝術大学を受験し現役で合格した。東京藝術大学はかなり倍率が高く、進学するのがとても難しい大学の1つだ。

「すごく嬉しかったですね。大学って自由じゃないですか? そこではじめて自由を知りました。こんなに楽しい時間があるのか!!って毎日が楽しかったです」

ハミ山さんは母親に

「毎日が楽しい!!」

と伝えた。

母親は、喜ばなかった。

「うん、じゃあいつまでやるの?」

と言った。

「まさかいつまでも芸術大学になんかいないよね? 当然やめるよね?」

と強い圧力を、ハミ山さんにかけた。

「東京藝術大学を中退したのは、今でもすごく後悔しています。その頃の私は、もう20歳近い年齢になっているのに自我がまったくなかったんです。

母がそう言うならそうなんだろうな、と疑問にも思わず受け入れていました。考える力を育まれていないから、赤ちゃんみたいに言うことを聞いてしまいました」

半ば強制的に東京藝術大学に休学届を出した。そしてハミ山さんは、いわば仮面浪人の形で東京大学へ進学するための勉強をはじめた。

「『落ちたらどうなっちゃうんだろう?』

という危機感がすごかったです。

『来年は受かろうね?』

って母に言われて延々と受かるまで東京大学を受験させられたらたまらないと思いました」

必死に勉強して翌年受験に挑んだ。

ハミ山さんはなんと東京大学に合格した。東京藝術大学と東京大学のどちらも合格した人というのはまず聞かない。

『汚部屋そだちの東大生』は、東大入学のシーンからはじまる。晴れやかな入学式だが、帰る家は母の待つゴミ屋敷だ。


『汚部屋そだちの東大生』の一コマ

「私のお祝い事があると母はチョコレートケーキをホールごと買ってきました。私はチョコレートケーキが苦手だったのですが、食べないと『あなたのせいでゴミになった』と私に罪悪感を植え付けながら、ケーキをゴミ箱に捨てました。

東大の入学が決まったときも、もちろんチョコレートケーキをホールごと渡されました。冷蔵庫は壊れていて入れられないので、渋々全部食べました」

「自分の家はおかしい」と気づいていなかった

東大生になっても母の束縛はとけず、ゴミ屋敷から学校に通った。

しかし、そんな状態になってもまだ、具体的に自分の現状を把握することができなかったという。

「大学から家が近かったので友達と歩いて帰ることがありました。友達に『トイレ貸してくれない?』って言われたことが何回かあったんですけど、家には上げられませんでした。

ただ当時の私は『家が汚部屋だから上げられない』と思ってるわけではないんです。抽象的になんとなく『人を家に上げてはいけない』気がする、というような感じでした。具体的に『自分の家はおかしい!!』とは気づいていませんでした」

大学生になっても、母親の人間関係のチェックは続いた。少しクラスメイトの話をするだけで、

「育ちが悪そう。その子と結婚しちゃダメよ!!」

などと注意をした。

「携帯電話や手帳は勝手に見られていたので、スケジュールや人間関係は親に筒抜けでした。

結局母親が交際してもいいっていう男性はいませんでした。母親世代にとってどれほど“高スペック”な男性でもダメだったので、誰であろうとダメだったでしょうね」

『汚部屋そだちの東大生』では大学を卒業すると同時に家を出たことになっているが、実際には就職後も家は出られなかったという。

「就職先は今も働いている出版社を選びました。理由は本が好きだったからですね。就職に関しては親とたまたま意見があったので、あまりもめませんでした」

会社は、当たり前だが家よりも清潔だった。机と椅子があり、給湯器があっていつでも温かいお茶も飲める。

「『快適だ!!』って思って、朝早く会社に行って、残業してから帰りました。出張も積極的に行きました。家ではボコボコのところで身体を折り曲げて寝てましたから。『ホテルのベッドはなんて平らで寝やすいんだ!!』って感動しました」

汚部屋に住んでいる弊害も出た。

脱いだ服をそのまま地べたに置いて

「服、落ちてるよ?」

と言われることもあった。ハミ山さんにとって、地面に服を置くことはごく自然なことだったのだ。

「机の周りもすぐに散らかっちゃうんですね。書類もすぐになくしてしまう。

『みんなできているのに、なんで整頓できないんだろう?』

って考えてみて、

『そうか、そもそもやったことがないからか』

と気づきました」

ハミ山さんは給料をすべてそっくり母親に渡していた。学生時代にアルバイトしていたときからずっとそうだったし、母親にお金を渡すことにハミ山さんはなんの疑問も持っていなかった。

「自分がいくら稼いでいるのかすらまったく知りませんでした。はじめて違和感を持ったのは、初任給が出たときでした。新入社員たちがみんなで

『初任給が出たら何買う?』

みたいな話をしてました。それを聞いて

『初任給で買い物するってどういうことだろう?』

と思っていました」

ある日、大学時代の先輩に

「給料は貯金するつもり?」

と聞かれた。ハミ山さんは、

「いえ、お金のことは親にまかせているので……」

と答えると、先輩は顔を曇らせ

「え? それは気持ち悪いよ」

と言った。

「先輩もかつて親子関係に問題を抱えていた人だったので、“変さ”に気がついたみたいでした。そんなふうにいろいろな人のおかげで、少しずつ自分のことを客観視できるようになってきました」

しかしそれでもハミ山さんは具体的に家を出ようとは思っていなかった。

そしてついに家を借りることに

「親しくしていたグループ内に世話焼きの人がいて『家を出たら?』と言ってくれました。でも私は『そんな、まさか〜』みたいな感じでした」

その人は部屋が汚部屋であることよりも、母親に危機感を持ったようだ。

「お金はすべて母親に渡している」

という話を聞いて、

「それは、本当に家を出るしかないよ」

とシリアスに言った。そして何人かの友人がハミ山さんと一緒に賃貸物件の内見に付き合ってくれた。

「そのときはじめて

『アパートってこれくらいの値段で借りられるんだ!!』

って知りました。それで、そのままの勢いで家を借りちゃいました」

社会人2年目の冬だった。

借りた家に、母親にバレないように少しずつ荷物を運ぶことにした。

父の形見や、生活に必要な最低限のものをトランクにつめ、都バスに乗って新居に移動させた。運び終えると、何食わぬ顔で家に帰った。

そして、ある日スッと引っ越した。

「短い別れの言葉を書いた置き手紙を洗面台の上に置いておきました。それは母に最後に伝えたいことがあるからではなく、置き手紙をしないと失踪人として警察に通報されてしまうかもしれないと思ったからです。そうなってしまっては警察にも悪いし、おおごとになってしまいそうだったので」

そしてハミ山さんはやっと念願だった1人暮らしをはじめた。

「家を出てすぐの頃は、母の夢ばかり見ました。とても怖かったです。外を歩いているときに、母と姿形が似た人を見ると、心臓がドドドドって高鳴りました。

そして私もなかなか部屋を片付けられませんでした。すぐに散らかってしまいます。

『私も、片付けができないんだな……』

って気がつきました。

家を出たら、自由に伸び伸びと暮らせると思っていたけど、そんなに簡単なものではないんだなと思いました」

だが普通の家に住むようになって、今まではできなかったこと、やりにくかったこともできるようになった。

「机を手に入れました。『机があるとこんなに楽にお絵かきができるんだ!!』って思って楽しくなって漫画を描き始めました」

そのときに描いた漫画が2015年に単行本化した『心の穴太郎』だった。身体に穴の空いたキャラクターが活躍する、少し寂しさのあるギャグ4コマ漫画だ。

結果的には、1人暮らしの期間はあまり長くは続かなかった。

結婚相手の実家との交流で受けたカルチャーショック

ハミ山さんは数年前に結婚して、現在は2人のお子さんのお母さんになっている。
 
「結婚後は夫の家族と交流するようになりました。それで、普通の家ではどのように生活が送られているのかをはじめて見ました。カルチャーショックが大きかったです」

例えば、

「トイレでは専用のスリッパを履く」

という行為だけでもハミ山さんには驚きだった。きちんと、不浄の空間と、清浄な空間を分けている。

土足のまま家に上がっていた、ハミ山さんの実家とは、大きく違った。

「よく自分の常識のなさに悩みます。少しずつ覚えていこうと思うのですが、きりがないんですよね。マニュアル本があるわけじゃないですし」

子育てをするうえで、自分にも気をつけている。

「上の子もまだ2歳なので、親子の対立にはなっていません。ただ食べ物を残したりすると

『せっかく作ったのに……』

と言いそうになりますが、母親がチョコレートケーキを捨てた姿を思い出して思いとどまります。

いつも無自覚のうちに母のようなことを言ってしまうのではないか? という恐怖はあります。虐待を受けた人が『負の連鎖をつなげるのがこわいから子どもを作らない』と言っているのを聞いたことがありますが、気持ちは本当によくわかります。

ただ『気をつけなければならない』ということが自覚できているうちは大丈夫なのかもしれない、とも思っています」

会社で働きながら、子育てもする、忙しい日々をすごしながら昨年『汚部屋そだちの東大生』の連載をはじめた。

「汚部屋に住んでいた時代の話」を描いた理由

なぜ今になって「汚部屋に住んでいた時代の話」を描こうと思ったのだろうか?


『汚部屋そだちの東大生』(ぶんか社)。3月10日発売。本作と同内容の電子単行本は1巻、2巻と分冊配信し「ebookjapan」で4月15日(木)より先行配信。その後、4月29日(木)より全電子書店配信する

「毒親モノの漫画を読むと『性根の曲がったお母さんが主人公をいじめる、暴力を振るう』みたいな極端な話が多いように感じました。でも私の家はそういう感じではなかったです。

『本当に優しい人が真綿で首を絞めるように何年も何十年も苦しめてくる虐待があるんだよ』

というのを伝えたかったんです。

見た目がボロボロだったり、怪我してたりしたら、周りの人に気づいてもらえると思います。でもそうじゃなく、普通に生活しているように見えている人の中にも、実は虐待の被害者はいるんですよ。

そういう繊細な状況は、ストーリーをつけて漫画にしたほうが伝えやすいのではないか? と思いました。

執筆は、自らの半生を客観的に振り返りながらの作業になりました。描きながら気づくこともたくさんありました。母親に関しても『このとき、母はこんな気分だったんだろうな』とか想像しながら描きました」

作品はLINEマンガでも掲載されていたため、作品についたたくさんのコメントを読むことができた。その中には

「漫画を読んで、自分の家が汚部屋だと気づきました」

「自分の家もハミ山さんの家と同じような環境なのですが、家から抜け出ることはできず、今は無職です」

など、切実なものもあった。

また、

「『会社に娘は出社していますか? 取り次いでください』

という不自然な電話がかかってきたが、この漫画を読んでいたので取り次ぎませんでした」

というコメントもあった。

ハミ山さんは、ひょっとしたら、漫画で誰かを助けられたのかもしれないと思った。

「汚部屋やゴミ屋敷の問題って誰が悪いというわけでもないと思うんです。メディアでは、汚部屋の住人を悪者にしてしまう場合もありますけど、ただ責めるのではなく、救っていくことのほうが大事だと思います」

『汚部屋そだちの東大生』が話題になったあと、新たな仕事の依頼も来ているという。

「現在は新たにストーリー漫画の連載の準備をしています。これからも新しい作品をお届けできるよう頑張りたいです」

とハミ山さんはとても前向きに話を締めくくった。

壮絶な半自伝的作品を描きあげたハミ山さんが、今後どのような漫画を描くのか、楽しみに待ちたいと思った。