卓球女子の元日本代表の福原愛さん(32)の不倫疑惑がキャッチされ、世間を大きく賑わせています。

福原さんは2016年に台湾の卓球選手・江宏傑(ジャン・ホンジェ/32)さんと結婚。現在は二児の母として、台湾を拠点に暮らしています。

また今回の不倫疑惑報道と同時に江さんの福原さんへのモラハラ疑惑もスクープされており、夫婦に様々な問題が“ありそう”ということがクローズアップされる形となりました。

福原さんは2月に日本での活動を活発化させるため、株式会社omusubiを設立したばかり。今後は軸足を日本に移すのかと思われており、「これは夫婦関係の終焉か?」という見方もあります。

真実はこれから時間をかけて明らかとなっていくとは思いますが、筆者が気になったのは“福原さんの驚くべきスクープの撮られ方”です。

今回の不倫疑惑デートのスクープでは、55枚もバッチリ写真を撮られている福原さん。正直、メディア慣れしている人がこんな脇が甘くなるのかな……と首をかしげそうになります。

「撮らせた」とは言いません。ただもともと福原さんといえば独身のころから当時付き合っていた彼と路チューしたり、江さんと交際しているときもSNSにラブラブ投稿をしたりと“匂わせ行動”が極まっていました。

そもそも匂わせ行為をする人は“情動的で後先考えずに動いた結果、脇が甘くなる傾向”があります(そもそも人に見せびらかしている時点で、脇が甘いどうこうの話しではないのですが)。

でも普通の人からすると、リスクを取ってまで恋愛アピールする理由は理解できないですよね。情熱的でラブラブアピール大好きな人は、どんな価値観を持ち、そしてどんな思考回路で強めアピールをしてしまうのか。3つの傾向を紹介します。

■批判もラブラブの栄養素!

さりげない匂わせ行動というのは、見た人にモヤッとさせる要素をはらんでいます。かといってストレートに「彼のことが大好きです」というアピールもキスや目を覆いたくなるようなベタベタしたスキンシップまでいくと、人は不快感を覚えたりします。

これらは恐らく、多くの人が当たり前の価値観として持っている物だと思います。しかし匂わせ女子の場合、ここで生まれた批判の類も注目や嫉妬といった自分たちに注がれたエネルギーの1つだと解釈しがちです。

「みんなも本当はこういうことをしたいのに、できないんだろうな」「この幸せを伝えたい」といった自分よがりな解釈と押し付けにも似た行動を、匂わせ女子はしてしまうのです。

しかしその結果として炎上したり周りからの評価を落としたりする場合もあることを、彼ら彼女らは知りません。だって、目の前の“大好き”が一番だから。

■今したいことは今しなきゃ

匂わせ行動の多くは、あと少し理性が働いていれば止められるものばかりです。SNSでのラブラブアピールや、ひと目につくところでの大胆行動など。しかし匂わせ行動がクセになっている人は、“今したいこと”にものすごく忠実です。

同時に衝動で動くため、トラブルを大なり小なり経験していることも多い。その結果、トラブルの多くは何とかなるということも知っています(もちろん怒られたり批判されたりはするけど、死にはしないことを知っています)。

なんなら小さいトラブルは“恋人との関係を強固にする要素”くらいに思っているかも……。

福原さんのような大トラブルはこうもいかないものですが、匂わせるという行動のほとんどは当人の一人(ないしは二人)芝居と思って見たほうがいいのです。

■出すこと、匂わせることは1つの愛情表現

また匂わせる行動をした結果、喜ぶ人もいたりします。それは、匂わせられた恋人です。もちろん恋人の全員が喜ぶわけではありませんし、アピールも程度問題です。

この仕組みを知ってか知らずか、匂わせ行為が好きでな人はだんだんと臭いの強い表現をしがちです。そして、それを1つの愛情表現と捉えていたりもするのです。

こうした気持ちは、無意識に不倫や浮気をしたときの脇の甘さにも繋がるかもしれません。

愛情をきちんと出して伝えることは大切な表現です。しかし変に当人以外にアピールするクセがつくと、トラブルの元になるのは明白。福原さんだけでなく、過去に匂わせ行動をした芸能人がどうだったか思い出してみましょう。

匂わせ女子or男子の思考回路について、3つの傾向を取り上げてみました。

モヤッとした方はえもいえぬ気持ちになるものですが、エンターテイメントの1つとして見てみると平和な気持ちで傍観できるものです。

今回の福原さんの行動に、どのような背景があったのかはわかりません。

ただもし今回のスクープが決定的な不貞行為でなかったとしても、夫との問題を置き去りにしてデートを楽しむのはちょっと対応として幼さを感じます。

泣き虫愛ちゃん。気づいたら、名前に恥じぬ恋愛体質に育って……。なんだか見守ってきた一人として、気持ちは複雑です。

(文:おおしまりえ)