※本稿は、日野眞克『ドラッグストア拡大史』(イースト新書)の一部を再編集したものです。
■「20倍理論」で急成長を遂げたツルハドラッグ
第三次成長期にもっとも売上高を増やしたドラッグストア企業の一社が、「ツルハHD」である。
ツルハHDの前身である「鶴羽薬師堂」は1929年(昭和4年)、北海道旭川市に創業者の故・鶴羽勝(まさる)氏が売場面積9坪の薬局を創業したことからスタートした。創業者の鶴羽勝氏は、店が暗くて入りづらかった当時の薬局・薬店の常識を破り、道行く人が誰でもわかるように、地域で一番大きく、背の高い目立つ看板を設置するなど、ユニークな経営を実行し、街の親切な薬店として戦中・戦後を生き残った。
戦後、京都大学医学部薬学科を卒業した鶴羽肇(はじめ)氏が2代目社長に就任し、薬局・薬店のチェーン展開を開始した。その後、1975年に旭川に四店舗、札幌に1店舗と店舗数を増やした。まだ店舗数が5店舗のときに、その20倍となる「道内100店舗」という大きな目標を掲げている。
先に述べたように、当時の「薬局」は薬剤師の資格が必要であり、「薬店」は薬種商(現在の登録販売者)の資格を持つ人間がいないと店を開けることができなかった。ツルハドラッグは、薬種商の資格を取得することを社内で奨励して教育もし、薬種商の資格を持つ店長を増やすことで、薬店の多店舗展開を行った。
そして、100店舗構想発表の14年後、1989年には実際に100号店を開店している。この「20倍理論」は、ツルハにおけるその後の経営目標のベースになった。1985年に店舗数が50店に達した時期に、「25年後に20倍の1000店を目指す」という誰もが実現不可能と思う壮大なビジョンを掲げた。
■2万店舗を目指しASEAN諸国への進出を目標に掲げる
「1000店など実現できっこない。大ぼら吹きだ」と思う人も多かったが、その27年後の2012年4月、「里塚緑ヶ丘店(札幌市)」を開店し、これが記念すべき1000号店となった。夢を現実のものにしたのである。
実現不可能とも思える大きなビジョンを掲げ、その夢の実現に向けて邁進(まいしん)することがツルハの企業文化である。社史である『ツルハの80年』で、鶴羽肇氏は「If you can dream, you can do it(もし、あなたが本気で夢を描くことができるなら、その夢はすでに実現されたと同じである)」という言葉を残している。
まさにツルハは「ビジョナリーカンパニー」なのだ。2012年に1000店を突破したツルハは、次のビジョンとして「25年後、全世界に20倍の2万店舗を目指す」と発表した。すでに出店しているタイを拠点に、ASEAN諸国へ店舗網を拡大するという新たな壮大な目標を抱いている。
1997年に、2代目社長・鶴羽肇氏の実弟である鶴羽樹(たつる)氏が3代目の代表取締役社長に就任してから、ツルハの驚異的な成長が始まった。昭和時代のツルハは、業態としての確立の機が熟しておらず、試行錯誤の連続だったが、1990年代半ばから始まった第2次成長期に飛躍的な発展を遂げた。
■「現場主義」を徹底した3代目社長
とくに1995年10月に東北一号店「幸町店(秋田県)」を開店し、第2の商勢圏に大量出店を開始したことが、ツルハの飛躍の大きなきっかけになった。鶴羽樹社長が就任した1997年の店舗数は160店と、1985年の50店と比較すると、思ったほど店舗数は増えていない。
1997年当時は、とてもではないが20倍の1000店の到達は不可能なように思えた。しかし、それからわずか15年間で、1000店を突破した。その後、初期からの幹部である堀川政司氏が4代目の社長に就任しても快進撃は続き、遂に2019年には2000店を突破した。
1000店から2000店になるのに要した期間は、わずか7年である。ツルハは、昭和時代の長い助走期間を経て、まるで階段を3段飛ばしで駆け上がるかのように、平成時代に爆発的な成長を遂げたドラッグストア企業なのだ。
鶴羽樹氏は、「現場主義」の男である。『ツルハの80年』で、鶴羽樹氏は「現在のように店舗数が多くなると、本部が企業経営を仕切っているように思いがちだが、それはまったくの錯覚である」と語っている。
また、母であるヒサ子副社長(当時)から、「小売業は店あってこその小売業であり、そして店に置く商品がなくてはならない。だから店はいつもきれいにし、問屋さんを大切にし、同時に嘘(うそ)をつかない、約束を守ることが大切だ」と重ねて教えられたという。
現場責任者である店長の役割については、「一つ目は、店内のさまざまな作業とルールを体得すること。二つ目は、社員との対人関係を良くすると同時に、お客様に信頼されるようになること。三つ目は、商品の陳列場所を覚え、商品知識を身につけることです」と語っている。
■社長と幹部の昼食は車内でコンビニ弁当
店舗数が増えるにつれ、一人で10店舗程度の経営責任を持つスーパーバイザーの役割が非常に重要になった時期に、その職務について筆者に次のように語ってくれた。
「スーパーバイザーは、店内作業のスペシャリストでなければならないと思います。たとえば、窓ガラスの掃除やレジ打ちなどの作業が、誰よりも上手でなければなりません。パートさんの掃除のやり方が間違っていたら、その場でスーパーバイザーがお手本を示して、OJT教育(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)ができなければならないからです。
だから、店長やスーパーバイザーは、常にアップデートされていく最新の店内作業を習得し続けなければなりません。店舗を回って、店長や部下に『頑張っているか』と言うだけの激励屋のようなスーパーバイザーは必要ないと考えています」
また、どんなに忙しくても「店舗回り」を続ける現場主義の精神が、ツルハの企業文化として根付いている。筆者は、20年ほど前に鶴羽樹社長(当時)ほか、何人かの幹部と一緒に、函館市で店舗回りをしたことがある。
昼飯どきになって、「どこの高級レストランで食事をするのか?」と思っていたところ、地場のコンビニである「ハセガワストア」のやきとり弁当(実際は焼きトン弁当)を、幹部が割り勘で購入していた。そして、当時のスーパーバイザーの社用車である1300ccの日産NOTEの車内で、素早く弁当を食べて昼食を済ませ、午後の店舗回りを再開した。
時間がもったいないので昼食はコンビニ弁当というルールは、ツルハの伝統なのだそうである。筆者は鶴羽樹氏から、「300円均一の居酒屋がいい」「『海鮮居酒屋はなの舞』の餃子が一番美味しい」といった庶民的な好みの話を何度も聞かされたことがある。
大企業の社長とは思えないような質素で庶民的で飾らない人柄が、多くの人に愛された。鶴羽樹氏の人柄の良さが、ツルハHDを成功に導き、平成時代の飛躍的な成長の原動力になったといってもいいだろう。
■地域に根差したドラッグストアと提携して拡大を進めた
ツルハHDは、積極的なM&Aによって規模を拡大した代表的なドラッグストア企業でもある。
ツルハは2006年に中堅ドラッグストアの「くすりの福太郎(本社・千葉県鎌ケ谷市。小川久哉社長)」と資本・業務提携を結び、翌年には当時としては大型のM&Aを行った。当時から単独での成長にはこだわらず、志を同じくする企業と一緒になり、ともに歩むことによる成長を目指していた。
その後、「ウェルネス湖北(島根県)」「ハーティウォンツ(広島県)」「レデイ薬局(愛媛県)」「杏林堂薬局(静岡県)」「B&D(愛知県)」「ドラッグイレブン(福岡県)」など、地域で愛されているドラッグストア企業と資本・業務提携し、グループ戦略による規模の拡大を一気に進めた。
■40代の新社長が就任し次なる目標を目指す
2013年11月、ツルハと広島が地盤の「ハーティウォンツ」とのM&Aの発表があった日に、広島テレビでニュース速報のテロップが流れた。広島では抜群の知名度を誇るハーティウォンツがM&Aされることが、広島県では驚きをもって報道されたわけである。
地域に根差したドラッグストア企業とのM&Aを象徴するようなエピソードだ。ツルハHDのグループ戦略の特徴は、地域で愛されているグループ企業の屋号(ブランド名)をそのまま残していることだ。M&Aによって規模を拡大すると同時に、ローカルで支持されているブランド名はそのまま残すという戦略は、アメリカでも見ることができる。
たとえば、アメリカ最大のスーパーマーケット企業「クローガー(Kroger)」は、M&Aを繰り返しながら規模を拡大してきたが、地域に定着しているローカルスーパーの店舗名はそのままにしている。
2018年に買収したシカゴの「マリアノス(Mariano's)」という店舗も店名、特徴的な売り方をともに、そのまま残している。アメリカを代表するドラッグストアのウォルグリーンも、マンハッタンで愛されている「デュアンリード」の店舗名は、買収後もそのまま変更していない。
2020年6月、鶴羽樹氏の後に社長を継いだ堀川政司(まさし)氏の退任に伴い、鶴羽順氏が創業家の跡継ぎとして5代目の社長に就任した。グループでの売上高1兆円突破、全世界2万店構想に向けて新社長が指揮を執る体制に若返っている。
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日野 眞克(ひの・まさかつ)
月刊『マーチャンダイジング』主幹
ニュー・フォーマット研究所代表取締役。1959年生まれ。チェーンストアのための専門誌、商業界の月刊「販売革新」編集記者を経て、ニュー・フォーマット研究所を設立。21世紀に通用する流通システムの構築を目指して、流通向け専門誌・月刊『マーチャンダイジング』を創刊。21世紀の成長を目指す小売企業・メーカー・卸売業の製配販社が参加する研究団体「ニューフォーマット研究会」を主宰。著書に『ドラッグストア拡大史』(イースト新書)などがある。
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(月刊『マーチャンダイジング』主幹 日野 眞克)
外部リンクプレジデントオンライン