ゴミ袋が山積みで、風呂もトイレも使えないという1LDKに住む70歳の女性から、自治体を通じて「部屋を片付けてほしい」と依頼があった。作業開始から3時間ほどで室内はだいぶ片付いたが、作業後に依頼人が「お金がない!」と叫び出した。パニックになった依頼人がカバンの中をひっくり返す様子を見ながら、「発達障害の人が住む家は、ゴミ部屋になりやすい」という精神科医の仮屋暢聡医師の言葉が頭をよぎった--。(連載第10回)
仮屋暢聡医師

■「いつもどこで寝てらっしゃるんですか?」

(第9回から続く)

生前・遺品整理会社「あんしんネット」の平出勝哉さんが「残りはどれを処分するか」と尋ねると、依頼人のSさんは「ベッドの上の物は触らないでほしい」と答える。

【連載】「こんな家に住んでいると、人は死にます」はこちら

「それならゴミを捨てずに、ベッドの上の物を下に動かし、部屋の隅に整理しておくのはどうか?」と、平出さんは提案した。私もそれがいいと思った。しかしSさんは納得しない。私は床にひざまずき、Sさんに目線をあわせて話しかけた。

「いつもどこで寝てらっしゃるんですか?」
「ここのベッドの上で寝ている……いつもはそんなに置いていないから」

撮影=笹井恵里子
ベッドの上 - 撮影=笹井恵里子

Sさんが私を見ずに答える。

「追加費用がかかるわけではないし、必要なことがあれば私たちを使ってほしい。ベッドの下のものだけでも処分してはどうでしょう」

ベッドの下にも食品保存用のプラ容器や本などが詰まっている。その隙間でゴキブリが走りまわっているのが見えた。せめてここだけでも片付けたい。

■今夜もここで眠ることを思うと涙が出そうだった

「いい……」と、小さなSさんの声。

物を捨てられることに警戒心を抱いている。このとき私は自分の心に、Sさんにどうなってほしいかと問いかけた。

部屋を片付けることが私の目的ではないと思った。もちろん取材で来たわけだが、何とかSさんの生活を立て直せないだろうか。ゴキブリが走りまわるような衛生環境で、暖房器具が使えない寒い室内で、Sさんが今夜も眠ることを思うと涙が出そうだったのだ。

あとから思えば、自分の亡き祖母に重ねていたのかもしれない。私は2歳の頃に実母を亡くし、祖母に育てられた。その祖母は、孤独の中で72歳で亡くなった。目の前のSさんが祖母に見えたのかもしれない。

■「慣れているところが一番だから」

「僕らはトラックで処分するものを整理して確認してきますから」と、平出さんが言い残し、作業員は皆、いなくなった。室内には私とSさんだけ。

足のむくみが気になっていた私は、「病院にかかられているんですか?」とたずねた。

「えっと、かかっていない……」

聞き取れないほどの声だった。やっぱり誰も彼女の生活に介入できていない。

撮影=笹井恵里子
ベッドの上 - 撮影=笹井恵里子

私はSさんに向き直って“これで最後”という気持ちで、もう一度聞いた。

「寝づらくないのか心配なんです。こんなに物が積まれていて、この上に寝たら体が痛くなってしまう。一人で動かすのも大変ですし、私にやらせてもらえませんか?」

言い方がおかしかったのか、Sさんがハハハと、少し笑ってくれた。

「少しどかせば寝れるようになるから大丈夫」

「でも……」と、私がなおも言うと、

「慣れているところが一番だから」ときっぱり告げられた。

「そうか、そうですね。人にさわられるとわからなくなりますよね」と私が言うと、Sさんは黙ってうなずく。

■「違うの、昨日お金をおろしたの!」

しばらくして、平出さんが戻ってきた。

「本日の会計ですが、全部で19万3500円になります」

事前におよその金額を聞いていたらしく、Sさんは特に驚いた様子はなく、手元のカバンを開ける。そして一瞬止まってから、慌ててカバンの中をひっくり返していった。

「あれ、あれ。お金がない……あーーーーっ!!」

カバンからは、両手いっぱい程度の500円玉、100円玉がつめられたビニール袋、むきだしの12万円が出てきた。合計すれば19万円程度はありそうだが、Sさんは「違うの、昨日お金をおろしたの!」と叫ぶ。

平出さんが「ゆっくり探せばいいですよ」と優しく声をかけるが、耳に入っていないようだ。Sさんは「ない! ない! ない!!」と繰り返し、パニックになっていた。

■「ADHD」の患者宅はゴミ部屋であることが多い

この様子を見ていて、精神科医の仮屋暢聡医師(まいんずたわーメンタルクリニック院長)の言葉を思い出した。

仮屋医師によると、「注意欠如・多動性障害」(ADHD)の患者宅はゴミ部屋であることが多いという。ADHDは発達障害の一種で、忘れ物やミスが多い「不注意さ」や、落ち着きがなく行列を待てなかったり、興味のあること以外に関心を示さなかったりする「多動性」「衝動性」があるとされる。この障害が知られる10年ほど前までは「性格」といわれていたが、現在は障害と認められ、薬物治療が有効であることもわかっている。

「ADHDの人は、順序立てて物事を整理できなかったり、大事な物と不要な物の区別ができなかったりするために、学校では机の中の整理ができず、家でも物が捨てられなくて部屋に物があふれています。生ゴミと書類が同列に置いてある部屋になっていることも多いんですよ。物理的にも片付けられないし、頭の中もごちゃごちゃして整理ができない。パソコンのデスクトップにフォルダをいっぱい置いてある場合があるでしょう。思考がああいうような状態になっているから、一生懸命探さないとどこに物があるかわからないんです」(仮屋医師)

■医師や弁護士、大企業勤務でも「片付けられない」

きれいな部屋に住むADHDの人は、非常に少ないのだという。仮屋医師に、ADHDの人のよくある部屋の写真を見せてもらった。たしかに物があふれている。

写真提供=仮屋暢聡医師
ADHDの人の部屋の例 - 写真提供=仮屋暢聡医師

「子供の時は親が面倒を見てくれるからいいのですが、成人すると日常的なことを見てくれる人はいなくなりますよね。そうすると、物もお金も自分が管理しなければならない。加えて大学生まではYESとNOで答えがある世界だったのが、大人になると答えのない中で“ベターチョイス”をする必要がある。ADHDの人はマルチタスクが苦手であることが多いので、優先順位や段取りがつけられず、作業がすべて中途半端になってしまうんです。部屋の中の整理も同じですね」

ADHDにかかっている割合は、成人の2.5%といわれ、高確率で遺伝する。片方の親がADHDであれば、子供4人生まれたとして3人がADHDを引き継ぐといわれるほど。そして成長するにつれ、「アルコール依存症や、気分障害、うつ病などと合併しやすい」(仮屋医師)という。

写真提供=仮屋暢聡医師
ADHDの人の部屋の例 - 写真提供=仮屋暢聡医師

「ADHDの大半は子供の頃に発見されますが、社会生活が営めるために気づかれず、成人して『依存症』を併発して精神科を訪れ、ADHDだとわかるケースが多いですね。医師や弁護士、大企業にお勤めの方もいて知能レベルや職業はさまざまですが、“社会への不適応”によって気づくのです」

■ADHDの人は、いつも同じバッグを使用することが多い

仮屋医師が、「ADHDの人」をイラストにしてくれた。かなり大きいバッグを一つ持っていて、その中にジュースや傘、領収書、保険証などさまざなものを詰め込んでいる。ADHDの人は、いつも同じバッグを使用することが多い。同じところに置いておかないと、物がなくなってしまうからだ。

イラスト=仮屋暢聡医師
ADHDの女性のイメージ図 - イラスト=仮屋暢聡医師

「“記憶の外在化”と僕は言っているんです。頭の中で整理ができないですから、かばんの中に“自分の分身”を入れるんです。首から鍵や携帯を下げるなど、身に付けることもありますね。それで他のところは構わない。左と右の靴下の色が違ったり、靴下に穴があいていたり、季節外れの洋服を着ていたり……などとということもよくあります」

■30分以上、「お金がない」と探し続けていたが…

再びSさん。30分以上、「お金がない」と探し続けている。

Sさんが平出さんにたどたどしく説明する。

「25万、銀行からおろしたのですが……」

平出さんが「いつも持ち歩いているカバンに入れたんですか?」と尋ねる。Sさんは「うーーん、うーん、うーん」と泣きそうになりながら、ベッドの上の物をばさんばさんと落としていく。「そこにはないのでは?」と平出さんや私が声をかけるのだが、聞いてもらえない。

私はカバンから取りだしたむきだしの12万円が、またなくなってしまうのではないかと、気になって仕方がない。何度も「しまってください」と声をかけるのだが、Sさんの頭の中は25万円でいっぱいのようだった。

「あったーーーーーーー!」

部屋の片隅にあった、いつもと違うカバンの中に封筒があった。中身はたしかに25万円。

■「依頼人が前を向ける整理(掃除)を」

支払いを済ませた後、平出さんはもう一度「僕たちにできることはないか」と、確認する。Sさんは「大丈夫。ありがとうございました」と頭を下げる。平出さんは一瞬、戸惑ったような表情をした。

「依頼人が希望するゴミを処分する」というのが仕事の合格点とすれば、それでもいいのかもしれない。

しかし、あんしんネット事業部部長の石見良教さんは、「依頼人が前を向ける整理(掃除)を」と口癖のように話している。今回の現場では、それができたとは言い難い。

できれば今日からゴミ袋の上ではなく、ベッドで眠ってほしいと私は思った。けれど、Sさんの心を動かすことは、ついにできなかった。私にとって悔いが残り、忘れられない現場になった。

(続く。第11回は2月27日11時に配信予定)

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)