26日に開幕する今季のJリーグ。川崎フロンターレの2連覇なるか。あるいは、4枠に拡大された降格を巡る争いが大きな見どころと言われている。しかし、筆者にはそうしたことよりもっと大きな関心事がある。昨季の今ごろ大きな話題を集めていたことだ。

 2月に開幕したものの、翌2節から長い中断に入った昨季。再開したのは7月4日だが、開幕とともに新規導入したVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)は復活しなかった。続行不可能となり、中断したままシーズンを終えた。今季が事実上の施行元年になる。しかしいま、さして話題になっていないところを見ると、昨年の今ごろの騒ぎは何だったのかと言いたくなる。

 それはともかく、VARは旧態依然とした日本のスポーツ文化に一石を投じる、画期的な判定システムだと思う。

 スポーツは教育で、審判は先生。日本人の多くはそうした環境の中で育ってきた。審判がいったん下した判定は絶対で、異を唱えるべきではないと教えられ育ってきた。

 だが、サッカーでは誤審は山のように存在する。主審と副審、そして第4審判の計4人でピッチに目を凝らしても、カバーしきれない領域は実際に多々存在する。どんなに優秀な審判でも見誤る。それでも、主審に文句は言えないという矛盾やストレスを、長い間サッカーは抱えた状態にあった。

 そこで難しい立場に追い込まれていたのが、建前を大事にする日本のテレビ局だ。特にその権化とも言えるNHKは、これまで審判が明らかなオフサイドを見逃しても、「微妙ですね」と言ってお茶を濁してきた。ディレクターもその映像を繰り返し流そうとはしなかった。臭いものに蓋をするように先に進もうとした。

 混乱を避けようした日本のメディアとは裏腹に、外国のメディアは審判のミスを鋭く突いた。問題のシーンをえげつないほど繰り返し流し、誤審か否かを積極的に論じようとした。

 何事にも意見することができない、あまりにも従順な日本人像がそこに浮き彫りになるのだった。偉い人に噛みつくことができない。外国での取材歴が長い筆者は、監督批判や協会批判をすることに抵抗はなかったが、たとえばテレビ局、それこそNHKなどにそうした気質は皆無だった。他の競技も同様。批判はほとんど聞こえてこなかった。

 日本のスポーツ界のダメぶりが露わになっている現在だが、メディアが、それはおかしいと感じても意見をせず、大人しく長いものに巻かれてきた結果だと思う。「微妙ですね」はその象徴的な台詞。何事も曖昧に終わらせようとしてきたツケを見ている気がする。

 VARは、日本人のそうした事なかれ主義的気質にメスを入れることになるシステムに見える。「微妙ですね」で片付けられてきた問題に、白黒つけようとするわけだ。審判の絶対性は揺らぐ。しかし一方で審判は、絶対的な象徴とされてきた不自然さから解放されることになる。

 昨季、面白かったのは、DAZNで始まったジャッジ・リプレイなる検証番組だ。協会のホームページでスタートしたものが、DAZNの視聴コンテンツに昇格したのだが、誤審は昨季のJリーグで、かなりの頻度で発生していることがその検証番組を通して明らかになった。VARが採用されていないのに、だ。 誤審は誤審として放置されることになった。だが、その大抵において、審判を責める気にはなれなかった。誤審をしても仕方がないぐらい際どいシーンである場合が多かったからだ。映像を幾度も繰り返し見て、ようやく判明するという、これぞ審判泣かせのプレーに幾度となく遭遇した。サッカーの難しさ、奥の深さ、つまり醍醐味を再認識させられた瞬間でもあった。