森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長が発した、五輪憲章に反する差別的な発言が波紋を呼んでいる。謝罪会見を開き、発言を撤回したものの、その不快さは日に日に拡大。辞任を求める声も広がるばかりだ。

 誰々はこうツイートしたとか、ネットには例によって著名人の声が紹介されている。

 だが本来、率先して言うべき立場にある人物あるいはメディアは、概して口を噤んだ状態にある。

 報道も遅れ気味だった。「女性は競争意識が強いから……」等々、問題発言を連発したのは、2月3日の夕方に開かれたJOCの評議員会で、反応のスピードは総じて、日本メディアより海外メディアの方が速かった。

 問題意識が低かったのか。進んで反応したくなかったのか。手をこまねいている間に先を越された印象だ。日本で大騒ぎになったのは、翌朝になってから。筆者にはこの時間のズレが気になって仕方がない。

「男だろ!」の時は、もっと甚だしかった。今年の箱根駅伝で優勝した駒澤大学の監督が伴走するクルマの中から、選手に掛けた檄である。お茶の間にもそれはバッチリ届いていた。実況、解説、ゲストをはじめ、中継に携わっている関係者の耳にも十分届いていたはずだ。

 しかし、「男だろ!」に、その場で異を唱える人は誰もいなかった。レース直後にネットに掲載されたニュース記事にも「男だろ!」は、美談として、勝因として紹介されていた。優勝から1日以上、過ぎてからだった。「あの檄は、差別的な言い回しではないのか。五輪憲章にも抵触するのでは」と言われ始めたのは。結局、好ましくない言い回しとして認識されたのは、3、4日経ってからになる。

 異を唱える声は、スポーツ界以外から湧いた。スポーツ界はこの檄に、なぜ素早く、的確に反応できなかったのか。瞬間、これはマズいと思った人はいたはずだ。勝者を必要以上に美化する箱根駅伝独得の圧に流されてしまったのか。本来、大学スポーツの一つに過ぎないものが、正月の風物詩として、国民的関心事になっているというバランスの悪さを見る気もする。

 だが根本的な原因は、フランクに意見を述べにくい日本のスポーツ界にある。優勝監督はいつ何時も持ち上げるものと決まっている。批判的な精神に欠ける日本の風土を見る気がする。

 スポーツに限った話ではないのかもしれないが、特にスポーツ界はダメな気がする。上の人の意見に素直に従いすぎる。これは先輩後輩の上下関係や、学閥によってスポーツ界が支配されていることと密接な関係があると考える。人間関係において縛りを掛けられた状態にある人で溢れているのだ。有名大学の体育会ラグビー部やサッカー部出身者が、なぜ大企業に就職しやすいかを考えると分かりやすい。

 意見をフランクに述べにくい日本のスポーツ界にあって、サッカーは例外になる。筆者がスポーツライターを名乗りながら、サッカーがメインの取材対象になっている理由でもある。だが海外に比べれば、それでもその足元に及んでいない。日本サッカーと欧州サッカーの一番の違いは何かと言われれば、メディアの報道姿勢にありと答えたくなるほどだ。

 顕著な例は、日本人の海外組の報道だ。現地メディアの採点はこうでしたとか、日本の報道は、そこにスタッフを送り込んでいるにもかかわらず、自ら評価しようとしない。可能な限り避けようとする。 と言うわけで、筆者がコメントを求められることもしばしばある。中にはなぜこちらにコメントを求めてくるのか、必然性に欠ける場合がある。浦和レッズのホーム、埼玉スタジアムに「Japanese Only」なる横断幕が掲げられた時(2014年)、あるテレビ局にコメントを求められたのだが、なぜ、その局は契約している解説者、評論家ではなく、こちらに依頼してきたのか。