「ムーンライトながら」は373系のみ長良川の鵜飼いのヘッドマーク付きだった(2004年、筆者撮影)

長らく「青春18きっぷ」などを利用した格安旅行者に人気だった東京―大垣間の夜行快速列車「ムーンライトながら」が姿を消す。ムーンライトながらを知らなくても、「大垣行き夜行」といえば「聞いたことある」という年配の人も多いのではないだろうか。そもそも岐阜県大垣市はこの列車があったことで知名度が高かったともいえる。

大垣行き夜行の思い出

この列車は国鉄時代から運転されていて、その頃は愛称がなく、単に「大垣行き夜行」と呼ばれていた。その役割は多岐にわたり、東京から小田原までは東海道本線の遅い帰宅通勤客で混雑し、翌朝の豊橋から先は朝の通勤客で混雑する列車だった。東京から中京圏の夜行列車、東京の通勤電車、名古屋の通勤電車を一本にまとめたような存在だったが、もう1つ大きな役割があり、先頭車両の前にもう1両、荷物電車を連結しており、都内で刷られた翌日新聞朝刊の輸送も担っていた。国鉄時代の夜行列車には荷物車が連結されているのが当たり前であった。車両としては急行用の153系、165系などが使われていた。ほかの普通列車が近郊型の3ドア車「113系」だったので、少しグレードが高かった。

長距離客は列車出発の2〜3時間前からホームに列を作り、入線を待った。通勤客は出発5分前くらいに駆け込む人が多く、毎晩東京駅を満員で出発した。とくに金曜の夜は、旅行客と一杯ひっかけた退勤客でデッキまで超満員であった。

夜行列車として利用する客にとくに人気だったのがグリーン車である。1975年に利用したときのグリーン券が手元に残っているが、51km以上300円の時代で、夜行普通列車利用の格安旅行ながら、プラス300円で贅沢な気分になれたものである。程よく利いた冷房、座席間隔が長く、深く倒れるリクライニング座席と足載せは、現在の2階建てグリーン車などとは違って快適な汽車旅を味合わせてくれた。グリーン車も自由席なので、東京駅8番線ホームに入線の何時間も前から並んだ記憶がある。

「青春18のびのびきっぷ」(現在の「青春18きっぷ」)が発売されるのは1982年からであるが、その以前から大垣行き夜行は人気列車だった。その頃は周遊券が人気で、1975年の利用時も北陸周遊券を利用し、大垣行きで出発して米原経由で北陸地域へ入り、復路は大糸線・中央本線経由で東京へ戻っている。

国鉄からJRとなってからも人気の列車で、多客時には品川始発の臨時の大垣行き夜行が続行運転されるようになり、グリーン車の連結はないものの、定期列車よりは空いていた。車両は旧修学旅行用の167系などが駆り出された。

指定席券入手が困難な人気列車に、そして…

「大垣行き夜行」から「ムーンライトながら」となるのは1996年からである。愛称付きになったのは人気列車だからとかという理由ではなく、車両が特急「東海」や「ふじかわ」などのJR東海373系に変更、全席指定席となったためである。指定席販売には、列車を特定するために愛称が必要だったのである。

しかし、車両が373系となったことでグリーン車の連結はなくなった(373系にはグリーン車がない)。この時点で東京から小田原方面への通勤の役割はなくなり、東京から乗車するには指定席券入手が必要になった。全車指定席にする理由は、追加料金の徴収による増収目的ではなく、自由席に座りたい利用客が早い時間からホームに並ぶことを嫌ったのである。

編成は複雑で3両編成を3組連結した9両編成、1〜3号車は大垣行きで名古屋まで指定席、4〜6号車は大垣行きで小田原まで指定席、7〜9号車は名古屋止まりで小田原まで指定席となった。そのため、仮に指定席が入手できなくても、先行する列車で小田原まで行けば、座れる保証はないものの小田原から自由席に乗車することはできた。

ムーンライトながらは指定席確保が困難な人気列車となり、青春18きっぷのシーズンなど多客期には、JR東日本側の臨時列車が183系や189系で続行運転されていた。今振り返ると、この頃がムーンライトながらの全盛期だったのではないかと思う。青春18きっぷを使った旅といえば、「ながら」を真っ先に連想する人も多かったであろう。

しかし、その後は小田原からの自由席扱いもなくなり、JR東海が運行から退き、車両がJR東日本のものへ変更された。さらに臨時列車化され、車両が「踊り子」などの185系へと変遷していった。年々運転日が尻すぼみに少なくなっていき、「いずれ廃止も近い」というのは、鉄道ファンのみならず誰の目にも明らかだった。

違和感大ありの廃止理由

ところで、JRはムーンライトながらの廃止理由として、利用者の「行動様式の変化」と「車両の老朽化」を挙げているが、非常に違和感がある。行動様式の変化とは、夜行列車に人気がないとでも言いたいのであろうが、実際には、ムーンライトながらは指定席券発売と同時に満席になるほどの人気列車だったし、車両の老朽化については185系が引退するだけの話で、車両の老朽化で列車そのものを廃止するなら、踊り子も廃止になってしまう。

JRではまだまだ使えそうな特急車両が次々に引退しているので、車両はいくらでもある。ほかの車両を使えば存続は可能であろう。廃止の本当の理由は、利用客のほとんどが青春18きっぷ+指定席券での利用であり、収益性がよくない。かといって特急化すると青春18きっぷでは利用できなくなり、利用者がいなくなるという狭間で廃止になるのであろう。廃止理由は単に「経営合理化の一環」とでもしたほうがすっきりした気がする。

冒頭に、1975年には北陸周遊券で利用したと述べたが、現在は同類の割引切符がない。国内旅行に鉄道が使いにくくなっているという根本的な構造上の問題もあるように思われる。

報道のなかには高速バスとの競合を挙げた記事も見られたが、そうでもない気がする。どちらかというと、「ムーンライトながら」の指定席券が入手できないので、鉄道利用を諦めて高速バスを利用する人が多いというのが実態であった。「夜のうちに移動したい」という需要は現在もあり、その需要をバスに委ねているという構図であろう。

もし高速バスを引き合いに出すのであれば、高速バスはさらに厳しい環境で運行を維持している。バス1台の定員に対して深夜の乗務員が多数必要で、採算に乗せるのは難しく、東京側では数カ所で集客をして何とか利益を確保して運転している。バス会社にしてみれば、新幹線のような、いわゆる儲かる路線がないので、地道な努力の積み重ねしかないのである。JRが線路という施設を深夜に有効活用していないのももったいない話であり、鉄道会社にもバス会社並みの経営努力をお願いしたいものである。