日本人女性は本当に受け身なのでしょうか?(写真:PIXTA)

日本の女性は「恋愛に受け身」だと言われます。内閣府「平成27年度少子化社会に関する国際意識調査」では、日本・フランス・イギリス・スウェーデン4カ国の恋愛意識を比較したものがあります(対象は各国20〜49歳男女)。


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「気になる相手には自分から積極的にアプローチする」か「相手からアプローチがあれば考える」かという設問があり、これは恋愛に対する能動的か受動的かを判断する材料になります。

結果は、日本の女性の「相手からアプローチがあれば考える」が45%と4カ国中断トツです。(外部配信先ではグラフや図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)


同時に日本の男性も3割が受け身なのですが、おもしろいのは、西洋の男性は恋愛に能動的かと思うとそうでもなく、フランスやイギリスの男性は日本男性よりも恋愛に能動的ではないということもわかります。

実は「受け身」一辺倒ではない

いずれにしても、イメージどおり、日本の女性の受け身体質は明らかなのですが、果たして、本当に日本の女性はもともと受け身なのだろうか。

私の主宰するラボで、「はじめて異性に告白した年齢別の累計経験率」というものを調査したことがあります。それによれば、当然ながら、既婚男性は結婚する際にプロポーズをすることが多いので告白経験率は100%に近いのですが、未婚男性は8割程度にとどまります。


逆にいえば、2割の未婚男性は今まで一度も誰に対しても告白をしたことがないということです。これは、2015年国勢調査で50歳時未婚率が23.4%であることなどを考慮すると納得できる数字です。

もちろん、これは告白経験率などでそれがイコール恋愛に発展したわけではありません。告白をしても振られ続けることもあります。しかし、少なくともこれを見るかぎり、「若者の草食化」などと揶揄されてはいますが、未婚男性もなんだかんだ能動的にアクションをしていると言えます。

一方、女性のほうはどうでしょうか。確かに、男性と比べると自ら告白をする率は低いですが、既婚女性は全体的に8割、未婚女性でも6割弱が告白経験があります。女性だからといって「受け身」一辺倒ということではないことがわかります。

よくよく考えれば、恋愛で付き合う際に「告白は男からするもの」という考え方自体が間違いで、本来男女関係なくするものでした。この「告白は男から文化」は意外に歴史が浅いのです。

これが、全国的に行動形式として流布されたのは、1987年に始まったとんねるず司会の人気バラエティ番組「ねるとん紅鯨団」だと考えられます。男女のマッチングパーティーのことを「ねるとんパーティー」などと言いますが、その語源になった番組です。

この番組では、男女が集団でお見合いを行いますが、最後に、男が女の前に手を差し出して「よろしくお願いします」と告白するのが定番の流れでした。この方式は、30年以上たった今でも婚活パーティーなどではよく見られる光景です。

これ以前のテレビの恋愛バラエティは、「プロポーズ大作戦」や「パンチDEデート」などがありましたが、いずれも告白は、男女同時でした。この「ねるとん」方式が、「男から女に告白する」という形を世の中に広めた1つのきっかけと言えるでしょう。

それどころか、もっと日本の歴史を遡れば、「告白は男からするもの」どころか、女のほうからするのがむしろスタンダードだったのではないかと考えられます。

古事記ではイザナミからプロポーズ

「古事記」の中で、日本で最初に夫婦となったイザナギとイザナミのプロポーズのシーンが描かれていますが、男のイザナギのほうが声をかけるのを恥ずかしがっているうちに、女のイザナミのほうが焦れて先にプロポーズしてしまったという逸話があります(その後、2人は、男のイザナギのほうから声をかける形のプロポーズのやり直しをしています)。

神話だけではありません。昔話に描かれているエピソードをよくよく見ると、有名な「鶴の恩返し」なども女性に姿を変えた鶴が、男の家に押しかけて、「妻にしてください」と告白するパターンです。

「鶴の恩返し」だけではなく、昔話には、動物が女性の姿になって人間の男と結婚するという「異類婚譚」が数多くありますが、「蛙女房」「蛇女房」などそのいずれも、女のほうから押しかけ告白をしているものばかりです。

誰もが知る「浦島太郎」ですが、「亀を助けて、亀に連れられて竜宮城に行った」という流れは、後世に作り替えられたもので、もっとも最古といわれる、713〜715年ごろの『丹後國風土記』の中に書かれた浦島伝説では、こうなっています。

「浦嶋子(浦島太郎のこと)は、一人舟で釣りに出て、五色の亀を釣りあげた。彼がうたた寝をしている間に亀は美女に変身し、いきなりプロポーズされて、常世(竜宮城)へと連れられる。嶋子は常世で姫と結婚し夢のような3年間を過ごす」

つまり、浦島太郎も女性からのプロポーズを受けているわけです。「異類婚譚」だけではありません。未婚者が「愛」より「金」を圧倒的に信じる理由の記事でも紹介した「炭焼長者」も、DV夫と離婚した妻が、炭焼きで生計を立てている貧乏な五郎の家に泊めてもらい、女から告白して夫婦となる話です。

むしろ昔話の中で、男から告白して結婚したという話のほうがまれです。それくらい、結婚における主導権は女の側にあったのです。つまり、そもそも日本人男性は、3割程度の一部の恋愛強者を除いては、大多数が受け身だったのではないか、とするのが妥当でしょう。

昔話とは基本的に民間庶民の口承がベースとなっています。だからこそ、庶民の生活の原風景がそこに描かれているとみていいでしょう。

日本の伝統は「皆婚」ではない

日本が皆婚社会となったのは明治民法以降のせいぜい100年程度の歴史しかありません。昨今、未婚化や非婚化が騒がれて、さも「日本の長年の常識が覆された」ようなイメージばかり植え付けられていますが、むしろ日本の伝統は皆婚ではありません。

100年前の日本人が「全員結婚」できた理由の記事に書いたとおり、日本でもっとも婚姻数が多かったのは1972年の約110万件ですが、2015年は約64万組に激減しています。

その差、46万組ですが、その期間のお見合い結婚と職場結婚の合計のマイナス分がぴったり46万組です。つまり、日本の婚姻数の減少は、お見合い結婚と職場結婚というお膳立て婚の減少と完全一致するわけです。

言い換えれば、見合いや職場婚というこの社会的な結婚のお膳立てシステムとは、そもそも「受け身」な男たちのためにこそ必要な「上げ底システム」だったのです。そうなると、未婚化解消には、女性の能動的な行動が重要になってくるわけですが、それもまた難しい相談です。

内閣府が実施した「平成30年度少子化社会対策に関する意識調査」によれば、20〜49歳未婚男女の「結婚していない理由」の第1位は、男女とも「適当な相手に巡り合えない(男45.9%、女48.1%)」となっています。


さらに、この「適当な相手に巡り合えない」と答えた人だけを対象として、「巡り合えない理由は何か」についての男女差分を見ると、非常に興味深い結果が出ました。

男が「巡り合えない」理由は、「好きな人はいるが、相手が自分を好きになってくれない」という片思い状態が多いのに対し、女は、「そもそも人を好きにならない」という理由が最も男女差分で抜きんでて高くなっています。女性の場合、「既婚者ばかりを好きになってしまう」というジレンマも見受けられます。

誰かを好きになっても、相手から好かれない受け身の男」と「能動的だけど、条件などが合致せず、結局誰も好きになれない女」という状態なのですから、それはマッチングされなくて当然です。特に、本来能動的だったはずの女性が、誰も好きにならなくなったのではあれば、男女ともに「不動」の状態となり、結婚どころか恋愛関係にすら進まなくなるでしょう。

結婚の新自由主義の到来

皆婚を実現した社会のお膳立ては、今から思えば個人にとって「不自由な結婚」だったかもしれません。しかし、自由恋愛による「結婚の自由化」がもたらしたものとは、婚姻数の減少と離婚数の増加です。

自由に結婚していいと言われると結婚は作られず、壊されてしまうのです。それはまた、一部の能動的な恋愛強者男性だけが恋愛と結婚を何度も繰り返す時間差一夫多妻制を生むと同時に、一度も結婚しない生涯未婚の数をどんどん増加させていくことにもなるのでしょう。

これは、まさに自由な市場原理に基づく経済が格差を生んだように、恋愛自由市場による「結婚の新自由主義」の時代が到来したといえるのだと思います。