新型コロナウイルスの影響で自動車業界は危機にある。だが、トヨタ自動車だけは直近四半期決算で黒字を計上した。なぜトヨタは何があってもびくともしないのか。ノンフィクション作家・野地秩嘉氏の連載「トヨタの危機管理」。第16回は「変化に対応できる人材育成」--。

※本稿は、野地秩嘉『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

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記者会見するトヨタ自動車の河合満副社長(当時)=2020年3月11日、愛知県豊田市 - 写真=時事通信フォト

■危機に対応できるかは、危機がやってきてわかる

「トヨタがどれほど危機に対応できるのか。それは平時にはわからない。リーマンショックのような危機がもう一度、来た時に、初めて力がついたかどうかわかる」

これは豊田章男の言葉だ。2009年に社長に就任して、会社をリーマンショックから回復させ、同時に品質問題への対応を行った。アメリカの上院公聴会に呼ばれて品質問題への証言を行ったのである。

その後、一息ついたと思ったら今度は東日本大震災が起こる。続いて、洪水、台風、地震……。彼が社長になってから休まる時期はなかったのだが、その間、トヨタの危機管理能力は上がっていた。

リーンな体制が継続しているため、危機管理が現場の通常業務のなかに組み込まれたともいえる。企業体力がついたとは、社員の大多数が日々、危機管理に近い業務をやっているからだ。部品在庫、完成車在庫が少ない体制で仕事をしていれば協力会社、販売会社の動静に関心を持たざるを得ない。また、危機になれば支援に行くと決まっているから、災害が起こるたびに情報を集める。

災害を他人事として受け止めるのと、「自分が支援チームに入って現場へ行くかもしれない」と考えるのとでは、おのずから危機への対処が変わってくる。

危機に対処するには、心はのんびりとさせて、脳と身体は活発に動かすことだ。

■教育方針がすなわち危機管理だった

事実、同社の危機管理にあたる人材を見ていると、平時と同じように仕事をする。鉢巻きを締めて腹に力を込めて、真っ赤な顔をして被災地へ支援に入るのではない。ビジネスバッグに水筒と着替えを入れ、安全靴を履いた姿で飄々と出かけていく。

トヨタでは「危機は大きな変化」と考えているから、最前線の社員も血相を変えることはない。

豊田章男は「自動車会社は100年に一度の大変革期」と言って、社員に変化への対応を促してきた。日頃から「変わらなきゃいけない」と言ってきた同社の教育方針がすなわち危機管理だったのである。

エグゼクティブ・フェローで、"おやじ"の河合満も「そうだ。その通りだ」とうなずく。

「危機が来たらではなく、常にそういう人を育てていれば、危機が来ても対応できる。現場はずいぶん前から変化への対応を始めているよ。EV化でいずれエンジンはなくなる。これは大きな変化だ。

だが、いきなりなくなるわけじゃない。少しずつ変わっていくわけだから、毎日が変化になる。うちの現場ではどこでも変化に耐えられる人を作っているところだ。変化に耐える人を育てていけば、何が起こっても順応してやっていく」

「現場は目の前のものをいいものにしてたくさん作る、生産性を上げる。1円でも安く作る方法を考える。変化に耐えるとはそういうことだ。僕はこの競争力の意識がなくなったら、トヨタはただの会社になると思っとる」

■自動化してからが本領発揮

確かにトヨタの生産現場は他社とは違う。トヨタの自動化ラインは、一度自動化したら終わりではない。例えば、3台のロボットを入れ、自動化しても徹底的にムダをなくす。改善して、3台のロボットが2台にならないかを考える。2台になったら次は1台にならないかとまた改善する。そして生産増になったら3台のロボットで生産性を倍に上げる工夫をしようと考える。

つねに進化させ続けるのがトヨタだ。組み立てラインも月の生産量に合わせ、タクトを変更するし、ラインそのものを伸び縮みできるようにしている。そして、自動化ラインをシンプル・スリム・フレキシブルにするための生産技術革新を続けるのが日々の日課になっている。

組み立てラインでは作業者がアンドンのひもを引き、ラインを停止させたら管理職は直ちに確認して、同時に保全マンがかけつけて、再起動させる。再発防止はその後の段階だ。そして、バックアップ工程(手作業)に切り替え、ラインを起動させる。

トヨタの現場には河合の目が光っている。平時から変化に柔軟に対応することで危機管理能力が養っている。

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■部品をつなぐ「調達マップ」の重要性

新型コロナ危機では中国の工場、協力工場が最初に止まった。その時点で調達、生産調査部はすぐに調達マップを見て部品をつなぐことを始め、手を打つことができた。だが、近年、頻発する異常気象、自然災害ではいつどこが止まるかがわからない。

調達マップを整備してはあるのだが、それでも、不断の努力でそれを最新にしておかなくてはならない。

ただし、言うは易し、だ。

世界中にある数万社以上の協力工場が何を作っていて、何個、どこに納めているかを調べていたら、それこそいくら人手があっても足りない。この調達マップの整備と更新は製造業の危機管理では重要な点だけれど、同時に、いかに簡単に、いかに時間と人数をかけずに行うかが問われる。

■「完成することはない」

河合も「そうだ」とうなずく。

「サプライヤーさんは一次、二次、三次、四次まである。今は完璧なマップですと言われても、僕はそんなわけはないといつも言うんだ。実際にあったことだけれど、ある部品は2社が作っているはずだったのが、元の元までたどってみたら、実は1社だけだったなんてことはあるんだよ。そうしたら、そこが被災したら、車は作れない。最後までたどって、複数のルートを作らないといけない。

調達マップの整備、新しくすること。これは危機管理の道案内マップみたいなものだ。それを見ながら、支援に行ったり、部品をつなぐわけだから」

自動車部品3万点のなかには特殊な技術でないと作れないものがある。部品を採用する段階から、代替部品はどこで入手できるかまで考慮に入れておくことが必要なのだ。

河合も「どんなことをしても調達マップが完成することはない」と言い切る。

「僕らは危機のたびにマップを見て、取引先が何を作っているかを確認する。この材料なら、万が一の場合はここがあるとか、確認しないと気が済まない。危機管理では何度も苦い経験を積み重ねている。ただ、今回の様子を見て、現場のみんなが教訓を生かす体質はできたとは思っている」

■数々の危機を乗り越えて原則はできる

トヨタの危機管理のこれまでを総括する。

本格的に始まったのは1995年の阪神・淡路大震災だ。

大部屋での壁管理、白板の活用、先遣隊の派遣、協力会社、被災地域への支援などはこの時にできた。

次に危機に臨んだのがリーマンショックだった。この時は災害ではなく需要の急減である。対処はトヨタ生産方式にのっとった生産現場の姿を取り戻すことだった。「異常が顕在化したらラインを止める」という原則を再確認し、「売れる場所で売れる車を売る」という販売面での原則を打ち立てた。

その次のステップは東日本大震災だった。規模が大きく、また長期化した災害に対して、トヨタは東北地方へ工場を移し、雇用を作った。災害支援の規模を大きくし、時間軸を長めに設定したのである。

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以後は毎年のように、自然災害が起こっている。それに合わせて危機管理、危機対処が行われている。数年前から、本格的な物流カイゼンが始まっている。

そして……。

2020年、新型コロナ危機が起こった。世界各地の工場は停止し、減産した。また、需要も減少した。しかし、トヨタは赤字に転落しなかった。赤字を出さずに済んだのはこれまでの危機体験とそれに対する耐性の強さ、そして、具体的な対処行動があったからだ。つまり、度重なる危機がトヨタを強くしたと言える。

■「まず税金を払える企業にしよう」

エグゼクティブ・フェローの友山茂樹は「そうです。危機管理の方法が確立するのに10年はかかっています。それでもまだ完成はしていません」と語る。

「豊田が社長になった時、とにかくリーマンショックの赤字から脱却することが重要でした。豊田は、まず税金を払える企業にしよう、と言っていました。最初の5年くらいは業績の立て直しに集中したのです。将来に向けて動き始めたのはやっと2015年頃になってからでしょうか。

2018年にはTPS本部を作り、ばらばらになっていた生産調査部を再構成し、TPSをあらためて徹底する活動を始めました。

同時に車両物流や部品物流などの物流部門もTPS本部の傘下に組み入れ、物流のカイゼンを本格的に開始しています」

「また、販売分野にTPSを導入する流通情報改善部もTPS本部の傘下に組み入れ、生産、物流、販売、サービスまで一貫してTPSを展開する体制を作りました。2020年からは人事、総務といった事技系職場にもTPSを入れる事技系TPS自主研活動に着手しました。

異常を見つける、異常があれば躊躇なく止める。生産でも事技系でも現場が自立的に、異常があったらラインを止めていい、そして、パイプラインの在庫は膨らましちゃいけない。仕事を止めたことは後で報告すればいい。それをどうやって挽回するかというのは後で考えればいい……。

今は事技系の仕事も、異常があったら、アンドンのひもを引いて止めていいんだと思うようになってきました。関係者が集まって、なぜ遅れたんだ、なぜ異常があったんだということを職場で明らかにする雰囲気が醸成されつつある」

■日ごろのムダをなくすことから始まる

日本の社会は「組織が決めたこと」をなかなか変えることができない。時代や環境が変わって、あきらかに不合理と思われることでも、止めたり、変えるのは至難の業だ。

さまざまな書類事務におけるハンコの存在がそうだった。新型コロナ危機が起こり、ハンコを押すためだけに出社するという人間が大勢出てきたため、やっとハンコがなくなりつつある。危機が来ない限り、組織のカルチャー、人間の日常行動はなかなか変わらない。

野地秩嘉『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)

いい機会だから、危機に陥ったら、何かを変えるべきだ。「昔からやっていること」「かつて、みんなで決めたこと」を疑って、不合理だと判断したらやめる。事態を止めないのは組織が老いているからだ。サムスンをグルーバル企業にした李健煕(イ・ゴンヒ)は、1993年、ドイツ・フランクフルトで「みんな変わろう。妻と子以外はすべて変えよう」と演説し、新しい経営方針を示した。

成長しようと思うのなら、それくらい変わらなければならない。

トヨタが異常を顕在化し、つねに職場を見直しているのは組織の老化を防いでいることでもある。

危機管理は老化した組織にはできない。言い換えれば組織の老化、個人の老化を防ぐことは危機管理の第一歩でもある。いらない規則や取り決め、ムダに多い幹部の役職、やたらとハンコが並んだ稟議書……、こういうものはすべてバッサリと切る。

危機管理を言い立てる前に日ごろのムダをなくすことだ。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)