スペインスーパーカップで、アスレティック・ビルバオはレアル・マドリード、バルセロナをたて続けに打ち破り、優勝を果たしている。彼らの闘志と勇猛さは出色。リオネル・メッシをも一発退場に追い込んだ。そして、名だたるアタッカーたちを前に、立ちふさがった守護神がいた――。

 伝統的に、名GKを輩出する土地がある。スペインの北、バスク地方だ。

 バスクはバスク州3県(ビルバオを県都とするビスカヤ、サンセバスチャンを県都とするギプスコア、ビットリアを県都とするアラバ)とナバーラ州、フランス領までを含め、面積は日本の四国に近い。バスク人の人口は300万人弱。辺境と表現されることもあるが、人々の気風は質実剛健である。スペイン国内では失業率が際立って低く、治安も良い。

 過去、スペイン代表のレギュラーGKはバスクから生まれている。1950年代はカルメロ・セドゥルン、1960年代〜70年代はホセ・アンヘル・イリバル、70年代後半はハビエル・ウルティコエチェア、1980年代はルイス・アルコナダ、1990年代はアンドニ・スビサレータ。そして現代表ではチェルシーでプレーするケパ・アリサバラガ、そしてスペインスーパーカップ優勝の殊勲者になったウナイ・シモンの2人がレギュラーを争う。


バルセロナを破りスペインスーパーカップに優勝したアスレティック・ビルバオのGKウナイ・シモン

 GKの人材だけは、レアル・マドリードもバルセロナも太刀打ちができない。バスク人GKに近づくことで、GKの本質が見えてくる。

 バスク人が異端なのは、守ってきた独自性にあるだろう。まず、言語が固有である。バスク語はラテン語と何の関係もない。体格は大きく、筋骨隆々としており、風貌もスペイン人と明らかに違う。血液型も、遺伝型で60%がRhマイナスだ。

 文化・スポーツでも伝統を守る。その昔は林業や石切が主要産業だったことで、丸太を速く斧で折る競技や、重い石を持ち上げる競技が根付いた。スカッシュにも似たペロタは、サッカーと並ぶ人気スポーツ。どんな町にも村にも、必ずペロタの会場がある。

 肉体的なパワーへの信仰やペロタの球体を弾く動きは、GKの基礎を鍛錬したという。事実、バスク人GKだったフレン・ロペテギ(現セビージャ監督)の父親は、重い石を上げる競技の伝説的王者だった。ケパは、ペロタの名手だという。

 そんな土壌が、傑出したGKを生んだのか。

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 1980年代まで、スペインでもユース年代では芝生のグラウンドが整備されていなかった。土ではダイブすると痛みが伴い、正しいフォームが作ることができず、そもそも子供がGKになるのに二の足を踏んだ時代である。しかしバスクではビーチサッカーが盛んで、砂場でのGKのトレーニングが確立されていた。

 EURO1964で優勝したスペイン代表の伝説的GK、イリバルはサラウスでビーチサッカーチームに所属し、技を磨いた。またEURO1984で決勝に進出したアルコナダは、コンチャ海岸がホームタウンだった。彼らは「特別なトレーニングはしていない」と言うが、模範となるGKが出たことで、後進たちがその存在に憧れ、系譜が作られたのだ。

「秘密の特訓? 石段を駆け上がるとか、厳しかったですが、それはどこも同じですよ」

 そう説明していたのは、イリバルである。

「例えばアスレティック・ビルバオは、バスク人だけでチームを強くしなければならないのです(バスク人選手のみがプレーを許される純血主義をとっている)。限られていることはハンデと言えるかもしれませんが、逆に士気は高まるんですよ。"自分たちでどうにかする"という覚悟が生まれるし、"先輩たちの後に続く"という気持ちにもなるんです。おかげで、戦う集団としてひとつになれるんですよ。GK同士も結束が強い。ライバルではあっても、競い合う仲間というか......」

 スカウティングの充実も、バスクサッカーの根底にある。他に頼れない。その自立心や責任感も、GKというポジションでは武器になった。

 そしてバスク人GKは、あくなき探求心で自らの技をしつこく改善し続けられるという。

「現代のGKは、完璧であることが求められる。攻撃における最初の選手で、守備における最後の選手でもある。苦手なことがあってはならない。例えば足技が使えなかったら、今はトップレベルでプレーするのは難しいと思う」

 ケパはそう話していた。

「バスクはたくさんのGKを生み出してきた。自分も先人たちと比較されるけど、まだまだだと思うよ。でも、尊敬すべき存在がいるのは誇らしい気持ちになるよね。自分も恥ずかしくないように、と」

 自らを鍛錬し続け、重圧に負けない。

 今シーズン、リーガ・エスパニョーラで首位を争うレアル・ソシエダの正GKであるアレックス・レミーロは、バスク人である。レアル・ソシエダの仇敵アスレティック・ビルバオの下部組織で育ったが、同世代に代表にも選ばれているシモンがいたことで、ライバルチームへ果敢に鞍替えし、頭角を現した。キックのよさに特徴がある非凡なゴールキーピングで、今やスペイン代表入りも噂される。

 近い将来、代表はケパ、シモン、レミーロと年の近い3人のバスク人GKの争いになるかもしれない。その光景を見た少年バスク人GKたちは、トレーニングに精を出す。バスク人GKであることに誇り高さを感じながら――。

 ちなみに、バスク人GKの系譜に唯一、長く風穴を開けたのがイケル・カシージャスだったが、「イケル」はバスク人名である。カシージャスの母親がバスク人の名前の響きを好み、息子につけたという。血筋的にはバスク人とゆかりはないが、奇妙な縁である。