韓国慰安婦訴訟の判決後、記者団に取り囲まれる原告側弁護士(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

元従軍慰安婦に対する賠償金の支払いを日本政府に命じた1月8日の韓国・ソウル地裁の判決は、日韓両国内で賛否両論をまじえた激しい反応を巻き起こしている。

しかし、時間が経つにつれ、判決内容の問題点の指摘や日韓関係の今後の展望など現実を踏まえた議論が進み始めている。判決内容は何が問題なのだろうか。

今回の判決の理屈は、元徴用工への賠償を認めた2018年の大法院判決と似ている。日本の植民地支配は違法である。侵略戦争遂行のために作られた慰安婦制度は反人道的行為であり、不法行為である。従って元慰安婦は賠償を請求できるとしている。裁判所が認めたのは違法行為によって生まれた損害を償う「賠償」であることがポイントの1つだ。

過去の外交的成果を完全否定

そして、1965年の日韓基本条約や請求権協定、2015年の慰安婦合意など、日韓両国政府がこれまで積み上げてきた外交的成果を、被害者への賠償が十分にできていないとして完全に否定している。

判決で目新しい点は、メディアでも取り上げられている「主権免除」という慣習国際法上の規則を日本政府に適用しないとした点であろう。

国際社会を構成する国家はそれぞれ主権を持つ、対等な関係にある。従って、他国の行った行為が自分の国の法律に違反するとして、ある国が裁判にかけて一方的に有罪とするようなことは認められないというのが主権免除の趣旨だ。

判決はこれを否定するために、「慰安婦問題は強行規範に違反している」という論理を持ち出してきた。

強行規範というのは、条約法に関するウィーン条約の中で「いかなる逸脱も許されない規範」と定められている。ただし、具体的に何を指すかについては定まっていない。一部の国は奴隷取引や海賊行為、ジェノサイドなどが該当すると主張している。

判決の論理は、日本の慰安婦問題は反人道的行為であり、強行規範に違反している。従って主権免除は適用されず、韓国の裁判所に裁判権があるというのである。

判決はさらに、韓国憲法を持ち出して判決の正当性を主張している。慰安婦問題が強行規範に違反しているにもかかわらず、日本に対して何もできないとなれば、韓国憲法が保障している裁判を受ける権利が奪われてしまい、韓国の法秩序の理念に合致しないというのである。

判決は「不遡及の原則」に反する

近年、国際社会ではさまざまな人権侵害問題がクローズアップされ、人権を重視する動きが活発化している。今回の判決もこうした国際的潮流に沿ったものとして評価することもできるだろう。しかし、法律の世界になるとそう簡単でもない。判決にはいくつかの問題点を指摘できる。

まず強行規範の適用についてだ。この概念が国際法の世界で確立し、ウィーン条約に規定されたのは1960年代のことである。一方、慰安婦問題が起きたのは太平洋戦争中の1940年代である。つまり、慰安婦問題が起きた時代には存在していなかった強行規範という法律概念を、過去にさかのぼって適用し、違法であるとしているのだ。これはいわゆる遡及効にほかならず、法律の世界でいう「不遡及の原則」に明らかに反している。

強行規範の解釈にも問題がある。ウィーン条約は第53条で「強行規範に抵触する条約は無効である」としている。つまり、ウィーン条約の趣旨は、強行規範に反する二国間条約を作ってはいけないことだと解釈できる。個別の国家の行為が強行規範に違反する場合の処罰などは定めておらず、強行規範はあくまでも条約締結の世界の話にとどまる。

また主権免除に関しては、元イタリア兵がドイツ政府を相手に賠償請求した訴訟でイタリアの最高裁がドイツの主権免除を否定し、賠償を認めた判決がしばしば引用されている。この判決は国際司法裁判所(ICJ)に持ち込まれ、2012年にイタリアの主張が完全に否定され、ドイツの主権免除が認められた。

ICJの判断は、軍などの国家機関が武力紛争などの際に他国の領域内で違法行為を行っても、訴訟手続きで主権免除は認められるとしている。さらに、主権免除は特定の行為が合法か違法かは扱わず、強行規範の原則とは異なる事象を扱っているため両者は矛盾しないとしている。

つまり、ある国の行為が強行規範に反する重大な反人道的行為であることと、主権免除の是非は別の話であるというのだ。

揺らぐ国際関係の安定性

ソウル地裁の判決は、慰安婦問題が反人道的行為であり強行規範に反するから主権免除を適用できないとしている。このあたりの理屈は独自の解釈と言えるが、判決は「主権免除の理論は恒久的、固定的な価値ではなく、国際秩序の変動で継続的に修正されている」と言及し、自らの解釈を正当化している。

だが、各国が国際法を都合よく解釈して判決を出したのでは、法秩序の安定性のみならず国際関係の安定性も揺らぐことになるのではないか。

判決についてもう1つ指摘しておきたいのは、司法と行政の関係だ。

判決文の全文が入手できていないため詳細はわからないが、判決が戦後、日韓両国政府が外交交渉などで積み上げてきた成果である日韓基本条約や請求権協定、慰安婦に関する日韓間の合意とそれに伴う10億円の拠出、さらには日本の歴代政権の謝罪、アジア女性基金設立と償い金の支給などの取り組みを、肯定的に評価していないことは明らかである。

植民地支配が合法か違法かなど、根本的なところで日韓両国の見解は対立している。だからと言って国交を正常化しないわけにはいかない。そこで両国が政治的な譲歩や妥協を重ねて、今日まで外交関係を維持発展させてきた。

ところが、判決はこうした両国政府の実績を根本的に否定している。三権分立という権力分散システムのもと、司法の独立が確立した制度では司法と行政の間に緊張が生まれることは必然的なことであろう。

しかし、数十年をかけて日韓両国政府が作り上げてきた戦後補償の仕組みを、韓国司法は徴用工判決に続いて今回の慰安婦問題判決でも根底から否定した。地方裁判所の1人の裁判官の判断が日韓両国の関係に与える影響は計り知れないのである。

さすがに韓国外交部はまずいと思ったのか、報道官の名前で「裁判所の判断を尊重する」としつつも、同時に「政府は2015年12月の韓日政府間の慰安婦合意が両国政府の公式合意という点を想起する」というコメントを公表した。日韓合意は今も生きているということに言及することで、判決とは異なる見解を持っていることを強調しているのだろう。

しかし、行政府の意地を見せたのは外交部だけで、文在寅大統領も康京和外相も、判決に対して明確なコメントを示していない。元徴用工判決の際も、文大統領は判決に伴って生じる混乱への対応策を示すことなく今日に至っている。今回も沈黙を維持したまま任期を終えるつもりなのだろうか。

資産差し押さえなら日韓関係は崩壊

元慰安婦の人権を守り名誉が回復されることが重要なことは言うまでもない。そのために両国政府が可能な範囲で努力してきたことも事実である。両国政府は同時に、日韓の外交、政治、経済、文化の分野、さらには地域の安全保障などについて、国益を実現する義務を負っている。にもかかわらず司法の判断が全体を揺るがしかねない状況が生まれてきた。そうなると、最高権力者が司法の判断の効力に一定の制限をかけるなど何らかの行動をとることが不可欠であろう。

ところが韓国メディアではいま、文大統領の判断への期待ではなく、判決が日本の植民地支配の違法性、残虐性、不当性などを示す象徴として長期的に残るのではないかという見方が増えている。

主権免除を主張する日本政府が控訴しないため判決は確定するだろう。となると次のステップは、判決を執行するため原告が韓国内にある日本政府の資産を差し押さえ、売却する手続きになる。ところがウィーン条約は、外交使節の財産などの捜索、徴発、差し押さえまたは強制執行は免除されると規定している。

仮に日本政府の資産に対する差し押さえなどが行われると、日韓の外交関係は完全に崩壊してしまうだろう。しかし、ウィーン条約の制限を受けて原告が身動きが取れず、現金化ができなくなった場合でも、日本政府に賠償金の支払いを命じた判決は効力を失うことのないまま無傷で残る。そして日韓間で何か問題が起きるたびにこの判決が引き合いに出されるだろう。

結局、今の時点ではどう転んでも日韓両国が信頼を回復し、友好関係を前に進める道筋を描くことは困難な状況となってしまった。