孤独死や他殺などさまざまな事情で放置された遺体の現場を処理する「特殊清掃」という仕事がある。20年以上、特殊清掃の仕事を続けている高江洲敦氏は「強烈な死臭や大量の虫も今では意に介しません。ただ、数多くの現場を経験した今でも、どうしても慣れることができない作業があります」という――。

※本稿は、高江洲敦『事件現場清掃人 死と生を看取る者』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

■ヤニで汚れた引き戸の先には…

築40年ほどの木造アパート、2階の一番奥の部屋。

家主から預かった鍵を挿し、ゆっくりとノブを回す。わずかに開いたドアの隙間から、新鮮な空気を求めて無数のハエが顔をかすめて飛んできた。

不快な羽音の群れをやりすごすと、そっとドアを閉め、手にしていた大粒の数珠を首に巻く。室内は、カビ臭く、湿り気を帯びて淀んだ空気、そして油の腐ったような不快な悪臭がたちこめている。

玄関の奥、タバコのヤニで茶色く汚れた磨りガラスの引き戸を開ける。その和室には万年床が敷かれ、この部屋の主が横たわっていた。ただし、体液と血液でできた、黒ぐろとした人型の染みとなって。

室内を見渡す。布団の足元にあるテレビの画面には、斬りつけられた際に飛び散ったであろう鮮血が、黒く乾いて点々とこびりついている。安物のカラーボックス、小型のツードアの冷蔵庫、ビールの空き缶が散乱するローテーブル、それらの間に、ところどころ広がる黒い血痕。

撮影=高江洲敦
カビとゴミだらけの部屋。人を殺すのはカビではないかと思うくらい、事故物件にはカビが多い。この部屋からは新品の掃除機も出てきた。 - 撮影=高江洲敦

そして赤黒く汚れた布団からはみ出して、畳の上に上半身の形の染みがある。

■事件の様子がありありと浮かぶ「清掃現場」

すでに遺体は警察によって搬出されているが、現場には死亡時の痕跡がほとんどそのまま残されていた。事件発生時の様子がありありと脳裏に浮かぶ。

この人型の染みを残した部屋の主は、就寝中に何者かに刺された。血が噴き出す傷口の痛みに耐えながら、助けを求めるため布団から這い出そうとして息絶えたのだろう。鍵が壊されていないこと、部屋が荒らされていないことから、顔見知りの人物が凶行に及んだのではないかと思われた。

床に散らばる大量のウジムシのサナギを避け、飛び回るハエを手で払いながら、持参した塩をひとつまみ、そして小瓶に入れた酒を数滴、床に垂らす。ここで孤独に亡くなった方に思いを馳せ、「お疲れさまでした」と一言つぶやいて――。

殺人事件、死亡事故、自殺、病死。

さまざまな理由で住民が亡くなり、遺体が発見されないまま相当期間放置されると、その部屋は凄惨をきわめた状況となることが少なくありません。私は、人の命が失われ、遺体搬送後に死の痕跡が色濃く残された現場を清掃し、再び人が住める状態にまで完全に復旧することを生業とする「事件現場清掃人」です。

物件を所有する家主から依頼を受け、一般の清掃業者では手に負えない、いわゆる特殊清掃の現場に日々立ち会っています。

■人は死ぬと「腹が割れる」

人は亡くなると、夏なら死後1日から2日、冬でも数日で腐りはじめます。腐敗は胃や腸から始まり、体内で発生したガスによって遺体が膨張して、やがてグズグズに溶解した肉と皮を破ってガスとともに体液が噴出します。

私たちが「腹が割れる」と表現する現象です。目、鼻、口、肛門、体中の穴からも血液や体液が流れ出て、ゆっくりと床に染み込み、部屋の中には耐え難い腐敗臭が充満します。

撮影=高江洲敦
シーツに黒々染みこんだ遺体跡。 - 撮影=高江洲敦

また、死臭を嗅ぎつけて集まったハエが遺体の粘膜部分に産卵し、孵った大量のウジムシや、ゴキブリ、ハサミムシなどが屍肉をついばみます。こうして遺体はやがて骨となっていきます。

私の仕事は、死者が残した痕跡を消し去り、亡くなった部屋を再び生活できる空間としてよみがえらせること。今日もどこかの部屋で誰かが亡くなっている、その後始末をするのが「事件現場清掃人」なのです。

■臭いは取れず、感染症にかかることも…

私のふだんの仕事の様子を紹介しましょう。まず、欠かせないのは防護ゴーグルと防毒マスクです。強烈な腐敗臭や無数の虫、そして感染症から身を守るため、このふたつは必ず着用します。また、遺体から流れ出た体液や虫の侵入を防ぐため、衣服の上には雨合羽の上着を着用し、手にはゴム手袋、靴はビニールのカバーで覆い、雨合羽とゴム手袋の隙間は養生テープでしっかり塞ぎます。

一方で、下半身に着用するのは作業用のズボンのみです。以前は全身ツナギの防護服を着用していたこともありましたが、現場での作業は真冬でも大汗をかくような重労働ですから、通気性を確保しなければ脱水症状を起こしてしまうのです。

撮影=高江洲敦
特殊清掃の準備に取りかかる筆者。防毒マスクは欠かせない。 - 撮影=高江洲敦

強烈な腐敗臭が衣服や体に付着するとなかなか取れませんし、室内には目に見えないさまざまな細菌が繁殖していますから、作業中は手袋を外すたびに入念に手を洗い、作業後は必ず手と顔を消毒します。

入浴も1日に2回行うなど、常に清潔を保つようにしています。しかし、ここまで対策をしていても、ときおり結膜炎になったり、扁桃腺が腫れて高熱が出たりすることがあります。

なかでもつらいのは、股間が妙に痛痒くなること。長時間の作業の途中でトイレに行き、用を足した際に(いくら念入りに手を洗っていても)、むきだしになった陰部に何らかの細菌が付着してしまうのかもしれません。

■“住人を食べて”育ったウジムシが床に…

こうして身支度を整えて現場に到着したら、まず行うのはお清めです。少量の塩と酒を部屋に撒いて故人をねぎらうことは、長い間の習慣になっています。

そして、最初にゴミの処理と掃き掃除を行います。現場では、床一面に広がったゴミや、故人の糞便など、実にさまざまなものを踏みつけますが、なかでももっとも多いのが、ハエやウジムシなどの虫の死骸です。

特に厄介なのは、屍肉を食べて育ったウジムシが蛹化したサナギです。誤って踏むと、プチャッという不快な感触が靴の裏から伝わり、全身に悪寒が走ります。このサナギを踏み潰す感触にだけは、いまだに苦手意識が消えません。

ゴミをあらかた片付け終えたら、二酸化塩素を主成分とする特殊な消毒液を部屋のすみずみまで噴霧します。死臭の主な原因は、腐敗の過程で細菌がタンパク質を分解して出す物質です。薬剤を撒くことで菌を死滅させ、臭いの原因を取り除いていきます。

こうして、ようやく本格的な清掃作業に入っていきます。

遺体から流れ出た体液や脂、血液、消化液などは、混ざり合い、盛り上がった状態で表面が乾き、固まります。これをスクレーパーで削り取り、残った汚れはスポンジでていねいに除去するのですが、体液や血液の固まりは表面を破ると強烈な腐敗臭が漏れ出て、ゴーグルをしていても目が痛くなるほどです。

ときには汚物にまみれたトイレや、何年も放置されたカビだらけの台所も清掃します。このようにして、部屋中のあらゆる汚れを取り除いていきます。

■一番つらい仕事は住人の想いがつまった「遺品整理」

しかし、ここまでの作業を行っても、遺体からあふれ出た体液や血液が畳やフローリングを通り越して、床下にまで染み込んでいるような場合は臭いが消えません。こうなったら交換できるものはすべて新品に換え、構造上外せない木材やコンクリートは、体液が染みこんだ部分を削ってコーティングを施します。

高江洲敦『事件現場清掃人 死と生を看取る者』(飛鳥新社)

こうして清掃を終え、仕上げにもう一度消毒液を噴霧したら、最後は鼻を床にこすりつけるようにして臭いが完全に取れたことを確認します。私の仕事では、ここまで行ってから、依頼主に物件を引き渡すのです。

ここまで読まれて、事件現場清掃人の仕事は、一般的な清掃業よりも、ずっと大変なつらい作業のように思われるかもしれませんが、私には試行錯誤を重ねて生み出したノウハウや長年に渡る経験の蓄積があります。

当初はその中で立っていることさえ難しかった強烈な死臭や大量の虫も今では意に介しませんし、どんなに凄惨な光景を目にしても仕事だと割り切ることができます。

ただ、数多くの現場を経験した今でも、どうしても慣れることができない作業があります。それは、その家で亡くなった故人が死の際まで大切にしていた遺品の整理です。

タンスの奥にしまわれていた記念の品、壁に飾られていたかつての恋人の写真、自殺した人が残した尖った文字で書かれた手紙……。これらに触れるとき、私はいつも身の引き締まる思いがします。

それまでどのように生きてきて、どのような状況の中で死んでいったのか。特殊清掃を通じてその最期を知り、遺品を通して故人の人生を感じ取ることは、その人の喜びや苦しみ、あらゆる感情を追体験することにほかなりません。

遺品の整理は、いわば故人とわたしとの対話。だからこそ事件現場清掃人にとって、もっとも大切な仕事だと思うのです。

■幽霊は見えなくても現場から伝わってくるもの

特殊清掃の仕事の話をすると、よく「幽霊を見たことはあるか」と聞かれます。幽霊が存在するかどうかは私にはわかりませんが、「死者のエネルギー」のようなものは、たしかに存在すると感じています。

ある意味では、この死者のエネルギーを拭い去ることまでが、事件現場清掃人の仕事なのかもしれません。死の直前まで暮らしていた部屋の残置物を処理し、徹底した清掃を行って死臭を断ち、故人の思いの込もった遺品を適切に処理すれば、この死者のエネルギーは消えていきます。

仕事の依頼主は、多くはご遺族や大家さんです。しかし、私は故人こそが真の依頼主であると考えています。

「この世の始末をしてくれ」

孤独のまま死を迎えた人が、私にそう言っているように思えてなりません。

死は、いつか必ず訪れます。いつ、いかなるときに命を失うことになるのかは誰にもわかりません。しかし、だからこそ生が輝くということもまた真実です。

死に方とは同時に生き方であり、死を語ることは生を語ることです。これまで20年近く事件現場清掃人を続ける中で私が出会った特殊清掃の現場は、今では3000件に上ります。

その一つひとつが、まるで鏡のように、私たちの生きる現代社会の真実の姿を映し出しているように感じるのです。

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高江洲 敦(たかえす・あつし)
事件現場清掃人
1971年沖縄県生まれ。料理人、内装業者、リフォーム会社等を経て、自殺・孤独死・殺人などの現場の特殊清掃、遺品整理、不動産処分を行う「事件現場清掃会社」を設立。2010年に著書『事件現場清掃人が行く』(飛鳥新社、現在は幻冬舎アウトロー文庫)を発表。知られざる事故物件の実態を世に知らしめた。これまでに立ち会ってきた事件現場は3000件以上。孤独死をなくすことを自らの使命に課し、今日も活動を続けている。
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(事件現場清掃人 高江洲 敦)