イギリス人のソウルフード「ベイクドビーンズ」。これは日本人にとってのカレーライスか味噌汁のようなものですが、第2次世界大戦中のイギリス空軍パイロットたちには「食べるか、食べないか」悩みの種だったようです。

軍隊メニューにもピッタリ? 日本のカレー的なイギリスの「ベイクドビーンズ」

 イギリスでは、白インゲン豆をトマトソースで煮込んだ「ベイクドビーンズ」をよく見かけます。これは国民食といってもよいほどメジャーな食べ物で、有名な「イングリッシュ・ブレックファスト」と称される朝食メニューには、目玉焼き(またはその他の卵料理)、ベーコンまたはハムやソーセージ、マッシュルームのソテーとともに欠くことのできない一品となっています。そのため、イギリス人は子どものころから食べ親しんでいるようで、老若男女問わず好きな人が多い一品です。


エンジンスタートの準備を行うイギリス空軍第35爆撃飛行隊(当時)のハンドレ・ページ「ハリファクス」爆撃機。これらの大型機は簡易トイレを備えていた(画像:イギリス帝国戦争博物館/IWM)。

 このように、ベイクドビーンズは多くのイギリス人に日常的に好まれていることに加えて、鍋で煮込むだけで簡単に作れるので、一度に大人数で喫食するような軍隊のメニューにも最適だったようで、イギリス将兵には馴染みの味であるため、好評だったといいます。現代の日本なら、さしずめカレーライスのようなメニューといえるかもしれません。

 おまけに、ベイクドビーンズを調理するのに不可欠な白インゲン豆は、乾かせば常温で長期間保管でき、トマトソースも缶詰で保存可能です。しかも調理済みの「ベイクドビーンズ」自体が、19世紀末から缶詰で販売されているため、一から作らず提供可能な点においても、軍隊食として好適でした。

食べるか否か 国民食を巡るフライボーイたちの大いなる悩み

 ゆえに、1918(大正7)年に世界で初めて陸軍や海軍とならぶ独立した軍種として誕生したイギリス空軍(RAF)でも、ベイクドビーンズは当初から人気のメニューで、しばしば供されていたようです。


イギリス空軍将兵の食事風景。服装から見て休息時の撮影と思われ、各自の皿上にベイクドビーンズが確認できる(画像:イギリス帝国戦争博物館/IWM)。

 ところがイギリス空軍が発足したのち、航空機の性能が向上して高空を飛行するようになると、パイロットをはじめとした航空機搭乗員(フライボーイ)たちの中に、飛行前にはベイクドビーンズを食べるのを控える者たちが増えたのです。

 その理由はオナラ、すなわち屁でした。ベイクドビーンズに使われている白インゲン豆はオリゴ糖を多く含んでいますが、食後にオリゴ糖が大腸に達すると、ある種の腸内細菌の作用によって発酵し、大量のガスが生じて普段よりも多くオナラがつくられるのです。

 この状態が地上や、あまり気圧が低くない低高度であれば「う〜ん、お腹が張るな〜」とばかりに、おならをプゥプゥすれば済みます。もっとも、同乗者にはくさい迷惑がかかりますが、まあ笑い話で済むことでしょう。

 ところが食後、与圧室のない当時の飛行機に搭乗し、ある程度の高高度まで上昇して気圧が低下してくると、腸内で生じたガスが地上よりも膨張し、オナラとして放出されるだけでなく、ガスが大腸を膨らませ痛みまで生じさせることもしばしば起こったのです。さらに、この腸内ガスによる腹部膨張のせいで、下痢も含めた排便まで促されてしまうといった“副作用”まで出るようになりました。

空で食べなければOK? 地上勤務には供されたベイクドビーンズ

 航続距離も飛行時間も短い単座戦闘機などであれば、ひとり乗りのためオナラだけでなく最悪“実”を漏らしてしまっても、本人だけ鼻が曲がり、股間に気持ち悪い思いをすれば済みます。

 ところが複数人で乗り込むような大型の爆撃機などでは、なまじトイレが備わるだけに、敵の領空での緊張状況下で、たとえばパイロットが長時間トイレにこもってしまうなどということにでもなれば、ほかの搭乗員たちは気が気ではありません。もちろん、本来の戦闘配置を離れ、寒空にお尻を出して便座に座っているパイロット自身が一番不安なのはいうまでもないでしょう。

こういった事情を踏まえ、イギリス空軍は1920年代から長らくベイクドビーンズを兵食として用いてきましたが、第2次世界大戦初頭、1940年ごろに飛行前食および機上食のメニューから外す決断をしたのでした。


2011年8月、英本土東部にあるイギリス空軍ミルデンホール航空基地に駐留するアメリカ空軍第100空中給油飛行隊で出されたベイクドビーンズ。オリジナルのイギリス風に比べてアレンジされている(画像:アメリカ空軍)。

 とはいえ、ベイクドビーンズ自体は空軍将兵から人気があったため、地上勤務者(グランドクルー)や差し迫った飛行任務のない航空機搭乗員たち向けには、その後も基地食堂での給食メニューとして、提供が続けられたそうです。

 ちなみにイギリス空軍のベイクドビーンズは、航空テクノロジーの発達による与圧室の普及によって飛行前食及び機上食として復権しました。しかし旅客機の機内食としては、与圧室とはいえ地上よりやや気圧が低いのと、多くの乗客のオナラが多くなっても困るので、提供を控えている航空会社もあるようです。