イーサン・ホークとリヴァー・フェニックスが出会ったのは1985年の映画『エクスプローラーズ』。イーサンは当時14歳でこの作品でスクリーンデビューを飾った。リヴァーは15歳だった。年齢が近かったことから2人はオーディションやキャスティングで役を争うことが多々あった。そのほとんどの役をリヴァーが獲得したと言われているが、プライベートでは深い友情を築いていたという。1993年、リヴァーが薬物の過剰摂取で亡くなるまで親友だった。

最近、新聞「ガーディアン」のインタビューを受けたイーサンはインタビュアーに「なぜハリウッドの大作のような気軽な映画に出演しないのか?」と聞かれると「僕の最初の共演者は薬物を過剰摂取してサンセット・ブルーバードで亡くなったんだ。彼は眩しい光だった。でもこの業界は彼を食い潰してしまった」とリヴァーの死を振り返った。「それが僕には大きな教訓になった。僕がロサンゼルスに引っ越さない理由を一言で語るとするなら、僕のような俳優がああいう環境に身を置くのは危険すぎるということだろう」。ハリウッドから距離をおき、小規模でもユニークな作品に出演し続けているわけを明かした。

イーサンはリヴァーだけでなく『その土曜日、7時58分』で共演して親交のあったフィリップ・シーモア・ホフマンも薬物の過剰摂取で失っている。また『いまを生きる』で共演して以来尊敬していたロビン・ウィリアムズの自殺も経験している。「世界のどこでも薬物とアルコール、鬱は恐るべき敵だ。人は自分の求めているものを手に入れれば幸せになれると思っている。でも自我や人生の目的、愛は外から来るものではない。見えたままの姿とは限らないものを称賛するカルチャーのせいで気をそらされてはいけない」。

過去のインタビューで2001年にオスカーにノミネーションされた直後からユマ・サーマンとの結婚生活がうまくいかなくなり、離婚直後には鬱も経験したと明かしているイーサン。それでも約35年に渡ってキャリアを築き続けられたのはリヴァーの人生が教えてくれたもののおかげなのかも。