幻冬舎創業期を支えた元ベストセラー編集者の山口ミルコさん。「ボス」との出会いから別れまで、同時代を生きた異業種の女性たちの発言を織り込みながら、自らの会社人生を綴った話題作『バブル』(光文社)から、その一部を紹介しよう--。

■自分はもっと何かできるんじゃないか、と思ってしまう

「これが私の望んでいた50代かどうかはわからないよね? って。つねに疑問符をもってしまうのです」

32歳で航空会社をやめたユキさん(51)は義父の介護と子育てを経て、その後〈再就職〉の道を模索した。元CA=キャビンアテンダントという職歴から離れようと葛藤したが、いまはそれを生かしてマナー講師として働いている……前回からのつづき、である。

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自分はもっと何かできるんじゃないか、と思ってしまう――そうした女性は、自分と同世代に多いのではないかとユキさんは言う。私(筆者=52)も同感だ。

平成バブル期に、女性の生き方の選択肢はぐんと増えた――そういうことになっていたときに、社会に出た〈バブル世代〉と呼ばれる私たち。バブルだったのはどっちかといえば当時のボスたちじゃないかしら? なのに〈バブル世代〉。その言葉は、否定的に使われることも。

■会社をやめた矢先、ガンに罹患していることが発覚

「『これまではいったいなんだったんだろう……』。

私くらいの年齢の女性って、そんなふうに、前向きになれない人が少なくないだろうなって。そして、ああこれからどうするのだろう、何かしないと……ってつねに考えてしまう」

あ〜〈ねば〉病ですよ、ユキさん。これぞ〈バブル世代〉という病――何かやらねばとクヨクヨ考えてしまう病、〈ねば〉。自分自身の細胞の迷走という意味では〈ガン〉の仲間ともいえる。〈ねば〉が悪化すると〈ガン〉になり、〈ガン〉の後遺症で〈ねば〉になることも。多くの日本人が、女性だけでなく男性も罹っている。いや、この国のみならず欧米資本主義地域に蔓延する病と言っていい。こと景気の良かった頃を知る世代が、たいていなんとなく罹っており、ときに重症化する。私も会社をやめたあとに罹り、しばらくは抜け出せなかった。

私が会社をやめたのは2009年の春。それまでは、ボスの会社にずっといた(編集長だった私のボスが、のちに独立して会社を興し、私もそこへ行くのだが、その話はしばらくあとの回に書く)。

私の場合は会社をやめた矢先、ガンに罹患していることが発覚し、退社直後は闘病生活を送っていた。私が〈ねば〉に振り回されたのは、ガン闘病が終わってしばらく経ってからのことである。

■やめたはずの職場に非正規社員として復帰する夢をよく見た

ガンと向き合っているあいだは、あまり考えずに済んだ。

退社時のあれこれ、行く先を決めずに40過ぎで会社をやめた自分の今後……そういったことはいったん棚上げとなっていた。ところが、抗ガン剤で抜けた毛が生えそろい、体力を取り戻すとともに〈ねば〉病が発症。

ガンとの闘いが終わったあとに訪れた、あらたな闘い。それについやした時間は、ずいぶんと長く感じられる。ガンの再発におびえながら、今後の自分はこれでいいのかと、グルグル考えてばかりいた。

焦り、ではなかった気がする――たぶん焦りとはちがうものなのだが。

あの日々をどう説明しよう?

私は、会社に復帰する夢を、よく見ていた。

なぜか、やめたはずの職場にいるのだ。非正規社員として。

■くたくたになるまで歩き回っても、どこにも着かない

かつての同僚や部下たちが、上司になっている。私には日替わりアルバイトの作業席が充てられた。メンバーは私の退社前と同じままで、みな忙しく社内を行き交って、私を見ると笑顔で声をかけてくる。

ボスの席の背にホワイトボードがあり、そこにみんなは予定を書き込むのだが、私には予定がない。なんにもないのに、外へ出たい。だから? を書く。それをボスに見抜かれているようで居心地が悪い。なのにボスは拍子抜けするくらい、優しい。あれ? だったらもっと会社にいてもよかったかな……なに言ってんだ、ところで私はなんでいまここに? 私は会社をやめたはずだけど。

そうだ、会社をやめなくっちゃ!

会社をやめなきゃ、会社をやめなきゃ、……そう思って出口を探す。ところが出口がなかなか見つからない――。

ようやく出口が見つかって会社を脱出、なぜか走っている。

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一目散に逃げなくては……! と無我夢中で振り返らずに走って逃げて、たどり着いたのは戦後の荒れた町だった。

たくさんの闇市が出ていて、人びとがひしめきあっている。闇市には、就職説明会のように小さなブースがいくつも並んでいて、アジアで見かける屋台村の食堂のごとく賑わい、どのブースで仕事を見つけようかと私は物色しているが、くたくたになるまで歩き回っても、どこにも着かない――。

■CAだった彼女は、2人の子を持つマナー講師に

そんな夢をよく見た私も、退社からもうじき10年というところまできた。あのグルグルの日々とは、会社に守られ、がんばっていた頃を振り返っては、「もうちがう時代なのだ」ということを自分自身に言い聞かせ、それをわかるまでの時間だった気がする。

いまこうして同世代の女性たちに会いながら、30年前について書く機会をいただけてありがたい。「彼女」たちに会えて、よりくっきり見えてきていることもある。

CAだったユキさんに、話を戻す。現在マナー講師として働いている彼女は、2人の子を持つ母親だ。

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「若い頃には、先を見るっていう目がなかった。とくに仕事という切り口では、見ていなかった。40になったら子どもが成長して、50になったら好きなことをやって……という程度の〈将来〉しか、私にはなかったのです」

先を見る必要がない時代――そんなときに、私たちは社会に出ていたのですね。

■女性の人生の選択肢は増えた(ということになっていた)

もしもちがう道を選んでいたら……。選択肢があったと言われるだけに考えてしまう、とユキさんはつづける。

「仕事と結婚、そして仕事と子育て。キントウホウ30年って言ってますけど、どうなのかねって思います。私たちの時代には、いろんな働き方に対応する力が、企業のほうになかったし、私たちのほうにもなかった。そのあとがんばってやってきた人の積み重ねが物事を動かしてきた部分があるとはいえ、いまの若い人の現状をみると、けっきょくよくなっていないんじゃないかという気もします」

たしかに、私たちの世代がよのなかに出る頃、女性の人生の選択肢は増えた(ということになっていた)。

キントウホウやってますよ! の大合唱だった、バブルの頃。

「なんでもできそう!」というムードがよのなかを覆っていた。

時代の良さに乗っかって、将来の夢もバブルのごとく膨らんでいた。

多くの女性は、イキイキと働く自分の姿をイメージしたものである。もちろん働くだけでない、恋もして、旅もして、ゆくゆくは好きな人と家庭を持つ自分の姿もそこにふくまれており、そうした女性たちの人生まるごとを支える仕組みづくり、キントウホウもその第一歩になるはずだった。

■〈育児と両立〉という言葉は女性にしか使われない

「でもじっさいはちがいましたよね。たいへんだからがんばれよって、言われただけ。女が男と一緒に働けるわけないよね? 男と一緒って言うのだったら、もっとがむしゃらにやってくれなくっちゃ困るよー、え? なに? 結婚するつもり? ……そんな声も聞こえたような」

じきにバブルがはじけ、夢もはじけた。しかしキントウホウ世代の女性たちが夢破れるのには、もう少し時間がかかってしまう。もやもやしながら、それがなんなのかわからないうちに、よのなかは非正規雇用の時代へと入っていく。子を産み育てたい働く女性には、さらなるムリがかかることになった。

「〈育児と両立〉って言葉がどうして男の人には使われないんだろう? と思うんですよ。これだけイクメンとかって注目されても、〈育児と両立〉という言葉は女性にしか使われないままです。女性の枕詞になっている。女性は育児を〈仕事と両立〉しなければならなくて、なんで男はそうではないのだろう? 母性だけに頼って。たしかに母性はあるとは思いますけど。本来、男の人だって〈育児と両立〉して働くはずだって。なんかすごくそれは感じますね。だからどうしたらいいのか、はわからないのだけれど」

■同じ会社でずっと働き続けている人ってほとんどいない

バブルとセットで登場したキントウホウ。拡大する経済、増える仕事、女性もおおいに働いて! という国の方針。

「生き方を選ぼうと思えば選べたでしょ? と言われるかもしれないけれど、でも現実的には、選べたかっていうとまだまだ、でした。子育てにしても三歳神話があったり、保育園がなかったり。自分から動いていかなければならなかったけれど、難しかったのよ……と、自分をなぐさめながらきている人って、けっこういるんじゃないかと思うんですよね」

気づけば50代に突入し、会社勤めであれば定年までおよそ10年、長く見積もっても15年、というところまで、きた。

「働けるのもあと10年、15年……? これからどうやって働くかね? 私いつまで働けるんだろう? そうみんな考えると思うんですけど……50前後の私の友達だと、同じ会社でずっと働き続けている人ってほとんどいない。なんていうか、あまり道がなかったんですかね……と、過去を否定したくないのに、否定してしまう。そういうところが、私たちの世代にはあると思うのです」

ユキさんの問いは、あのグルグルな日々を、ふたたび私に突きつける。

■周囲の人は「お仕事順調ですね」と声をかけるが…

〈自己責任〉の種が仕込まれたのは、平成バブルの頃かもしれない。30年経って大きな花を咲かせている。すべてあなた自身のせいですよ、と言われたら、それに対して「はい、すみません」とつい謝ってしまうのも〈バブル世代〉か。

「いまこの歳になって先輩とか同期に会うと、すばらしい人たちがたくさんいます。ああいった年を重ねた女性たちを組織的に生かしていく道はぜったいにあったよねって、思う。私の職場でも、女性のマネージャーとして活躍した有能な元CAたちがたくさんいたのです。そういう女性たちを生かす、国の取り組みはぜったい大事。働き方改革で女性の就労促進を、とか言いますけどなかなか……」

山口ミルコ『バブル』(光文社)

今後もユキさんは短大や専門学校で講師をつとめながら、大学院でさらに学ぶ機会をうかがっているという。マナーの本も一冊書き上げた。そんな彼女に周囲の人は「お仕事順調ですね」と声をかけるだろう。ところが、ご本人はまだまだ、とおっしゃる。

バブル世代の〈ねば〉は根深い。

「あの……私、闘っていないんですよ。いいですかね……? こんな人生で」

――それはきっと、まっ最中だからですよ、ユキさん。

終わって、離れないと、きっとわからない。だから尊いのだと、いまは思える。

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山口 ミルコ編集者、作家
1965年東京生まれ。専修大学文学部英米文学科卒業後、外資系企業勤務を経て、角川書店雑誌編集部へ。「月刊カドカワ」等の編集に携わる。’94年2月、幻冬舎へ。幻冬舎創業期より編集者・プロデューサーとして、芸能から文芸まで幅広い出版活動に従事。書籍編集のほか雑誌の創刊や映画製作に多数かかわり、海外留学旅行社の広報誌の編集長等をつとめた。2009年3月に幻冬舎を退社。フリーランスとなった矢先、乳ガンを発症。その経験をもとに闘病記『毛のない生活』(ミシマ社、’12年)を上梓、作家デビュー。以降、エッセイ、ノンフィクションを執筆するほか、大学等で編集講義をおこなう。
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(編集者、作家 山口 ミルコ)